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買春の確実な、たぶん最も古い事例 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

1月16日(火)

買春の確実な、たぶん最も古い事例。

源師時(1077~1136)『長秋記』元永2年〔1119〕9月3日条
「相公(源師頼)は熊野を迎え、与州(藤原長実)は金寿を抱き、羽林(源顕雅)は小最を抱く」

摂津広田社に参詣した帰路、江口(現:大阪市東淀川区)の遊女と遊んだ記録。
「熊野」「金寿」「小最」は相手になった遊女の名。
貴族が江口・神崎の遊女を召した記録は、もっと古いものがあるが、相方の名まで記録しているのは珍しい。

もう一つ。
藤原頼長(1120~1156)『台記』久安4年(1148)3月21日条

「柱本の辺りに宿す。今夜、密に江口の遊女を舟中に召し、これに通ず」

この時、頼長(内大臣)は舟で難波の四天王寺に詣でた帰りで、柱本(現:大阪府高槻市)あたりに停泊した際に、江口の遊女を舟中に召して性的関係をもった。
江口(淀川河口)の遊女、かなりの距離を出張している。

ちなみに、頼長は難色好みで知られるが、この時は女

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「色里」の成立 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

1月16日(火)

日本における「色里」の成立。

平安時代中期(10世紀)になると、京と難波を結ぶ淀川水運の河港に「遊女(あそびめ)」が集まる。
 江口・神崎(摂津国=大阪府)。
住吉詣の貴族たちも利用。

平安時代後期~鎌倉時代(11~13世紀)になると、瀬戸内海航路の港(津)にも遊女が集まる。
 室津(播磨国=兵庫県)、
 鞆の浦(備後国=広島県)、
 赤間関(長門国=山口県)
遊女の「長(おさ)」=統率者は、ほとんどの場合、女性。
女性たち(擬似母系集団)による自立的な売春であり、男性による遊女の管理・収奪は、まだ周縁的だった。
「法然上人絵伝」.jpg
画像は、讃岐国に流罪になる法然上人の船に漕ぎ寄せる室津の遊女。
(「営業」ではなく説法を聴きに来た)
鼓を持つのは巫女の、傘を差し掛けられるのは貴人の象徴。
櫓を操るのも女性であることに注意。
「法然上人絵伝」(1209年)

「立君と辻子君」(七十一番職人歌合絵巻).jpg
「七十一番職人歌合絵巻」(1500年頃)の「辻子(ずし)君と立君」。
左の家で、男の来訪をうけているのが「辻子君」(左上)。
右の路上で、男と会話(交渉)しているのが「立君」。

室町時代の京に、路上で客を誘う「立君」と、家で客の来訪を待つ「辻子君」の2つの売春形態があったことがわかる。
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