12月13日(水)この半年くらいで、いちばん状態が良かったかも [日常(通院)]
12月13日(水)
14時、整体マッサージ。
右肩の凝り。
腰に違和感。
足の状態は、まずまず。
側臥の姿勢で、右腰のサイドに痛い筋。
あとは、酷く痛む部位はなし。
この半年くらいで、いちばん状態が良かったかも。
要は、仕事を減らして心身にストレスをかけなければ、いいということだが・・・。、
14時、整体マッサージ。
右肩の凝り。
腰に違和感。
足の状態は、まずまず。
側臥の姿勢で、右腰のサイドに痛い筋。
あとは、酷く痛む部位はなし。
この半年くらいで、いちばん状態が良かったかも。
要は、仕事を減らして心身にストレスをかけなければ、いいということだが・・・。、
宝くじチェック、還元率69% [日常]
12月13日(水)
年末恒例、宝くじ(昨年の年末ジャンボ)チェック。
130枚(3万9000円分)で、
1万円 2本
3000円 1本
300円 13本
合計 2万6900円(還元率69.0%)
1000本に1本(0.1%)の1万円が2本もあったから、惨敗ではないが・・・。
福猫ちゃんに、蟹でもおごろう。
年末恒例、宝くじ(昨年の年末ジャンボ)チェック。
130枚(3万9000円分)で、
1万円 2本
3000円 1本
300円 13本
合計 2万6900円(還元率69.0%)
1000本に1本(0.1%)の1万円が2本もあったから、惨敗ではないが・・・。
福猫ちゃんに、蟹でもおごろう。
藤原道長の写経、金峯山寺で発見 [お仕事(古代史)]
12月12日(火)
おおっ、すごいものが見つかった。
藤原道長直筆の「阿弥陀(あみだ)経」の写経=文化庁提供
寛弘4年(1007)、吉野・金峯山の山上に、藤原道長が埋納した自筆の紫紙金泥経典15巻のうち9巻(法華経7巻、観普賢経、阿弥陀経が各1巻)が「発見」された。
下半分が欠損しているが、巻物の原形をとどめ、奥書に記された発願文や道長自身を示す「左大(臣)」などの文字も読みとれる。
道長が埋納した金銅製の経筒は、江戸時代の元禄4年(1691)に、山上蔵王堂の造営を行った際に出土し、その後は、山下蔵王堂の金峯山寺に保管されていた(国宝指定)。
中身の経典は、東京・上野毛の五島美術館に4巻があり(重要文化財指定)、今回金峯山寺で「発見」された9巻と合わせて13巻。あと2巻はどこ?
-----------------------------------
行方わからなかった藤原道長の写経、世界遺産の金峯山寺で発見…納戸の木箱から風呂敷に包まれ
平安時代中期に権勢を振るった貴族・藤原道長(966~1027年)の直筆の写経9巻が、奈良県吉野町の世界遺産・ 金峯山寺(きんぷせんじ) に残されていたことが、文化庁などの調査でわかった。道長が金峯山(現・山上ヶ岳)の山上に埋納したと伝わる写経15巻の一部で、江戸時代に掘り出された後、行方がわからなくなっていた。
金峯山寺は、飛鳥時代に修験道の開祖・ 役行者えんのぎょうじゃ が開いた寺。経巻は2015年に同寺の管領(住職)が使う納戸の木箱から、風呂敷に包まれた状態で発見され、文化庁や県が17年から調査を進めてきた。
縦の長さは最大15・5センチ。埋納されている間に水で腐食したとみられ、下半分が欠損している。紺紙に発色のよい金泥で書写した豪華なつくりが、道長の当時の権勢をうかがわせる。
江戸期に出土した15巻の一部が、五島美術館(東京都)などに残され、下半分の欠損、紺紙に金泥のつくりが共通している。また、写した経の内容に重複がなく、文化庁は道長直筆の写経と判断した。
平安貴族・藤原道長(966~1027年)の直筆の写経9巻が見つかった奈良県吉野町の 金峯山寺きんぷせんじ がある一帯は、修験道の聖地として古くから貴族や大衆の信仰を集めた。道長がそこに写経を埋納して栄華を極めたことで、極楽往生や現世利益を願い写経を埋める「経塚」の風習が広がったとされ、研究者は「仏教史や文化史を研究する上で価値の高い資料」とする。
道長は、天皇の外戚として朝廷の実権を握り、摂関政治の全盛期を築いた。自らの権勢を満月(望月)に例えて詠んだ「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」の和歌で知られ、「源氏物語」の作者・紫式部の後ろ盾となった人物でもあった。
道長の日記「御堂関白記」などには、左大臣時代の寛弘4年(1007年)8月、金峯山(現・山上ヶ岳)を詣で、山上に写経15巻を埋めて灯籠を建て、「経塚」とした記載がある。
写経を納めた経筒は、江戸時代の元禄4年(1691年)に出土したと伝わり、現在は金峯神社(吉野町)が所蔵している。しかし、中の15巻の写経は散逸し、うち3巻分が五島美術館(東京都)に、他に金峯神社などに一部残されているだけだった。
新たに見つかった9巻は、法華経7巻、観普賢経と 阿弥陀あみだ 経が各1巻。下半分が欠損しているが、巻物の原形をとどめ、奥書に記された発願文や道長自身を示す「左大(臣)」などの文字も読み取れる。
金峯山寺の五條良知・管領(住職)は「古来の吉野の信仰の歴史を示す貴重な資料だ」とする。
京都国立博物館の宮川禎一・特任研究員(考古学)は「道長の埋めた経の全体像が確認できた。その後、経塚の風習がどのように変遷したのか研究の進展が期待できる」と話している。
『読売新聞』2023/12/12 15:00
おおっ、すごいものが見つかった。
藤原道長直筆の「阿弥陀(あみだ)経」の写経=文化庁提供
寛弘4年(1007)、吉野・金峯山の山上に、藤原道長が埋納した自筆の紫紙金泥経典15巻のうち9巻(法華経7巻、観普賢経、阿弥陀経が各1巻)が「発見」された。
下半分が欠損しているが、巻物の原形をとどめ、奥書に記された発願文や道長自身を示す「左大(臣)」などの文字も読みとれる。
道長が埋納した金銅製の経筒は、江戸時代の元禄4年(1691)に、山上蔵王堂の造営を行った際に出土し、その後は、山下蔵王堂の金峯山寺に保管されていた(国宝指定)。
中身の経典は、東京・上野毛の五島美術館に4巻があり(重要文化財指定)、今回金峯山寺で「発見」された9巻と合わせて13巻。あと2巻はどこ?
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行方わからなかった藤原道長の写経、世界遺産の金峯山寺で発見…納戸の木箱から風呂敷に包まれ
平安時代中期に権勢を振るった貴族・藤原道長(966~1027年)の直筆の写経9巻が、奈良県吉野町の世界遺産・ 金峯山寺(きんぷせんじ) に残されていたことが、文化庁などの調査でわかった。道長が金峯山(現・山上ヶ岳)の山上に埋納したと伝わる写経15巻の一部で、江戸時代に掘り出された後、行方がわからなくなっていた。
金峯山寺は、飛鳥時代に修験道の開祖・ 役行者えんのぎょうじゃ が開いた寺。経巻は2015年に同寺の管領(住職)が使う納戸の木箱から、風呂敷に包まれた状態で発見され、文化庁や県が17年から調査を進めてきた。
縦の長さは最大15・5センチ。埋納されている間に水で腐食したとみられ、下半分が欠損している。紺紙に発色のよい金泥で書写した豪華なつくりが、道長の当時の権勢をうかがわせる。
江戸期に出土した15巻の一部が、五島美術館(東京都)などに残され、下半分の欠損、紺紙に金泥のつくりが共通している。また、写した経の内容に重複がなく、文化庁は道長直筆の写経と判断した。
平安貴族・藤原道長(966~1027年)の直筆の写経9巻が見つかった奈良県吉野町の 金峯山寺きんぷせんじ がある一帯は、修験道の聖地として古くから貴族や大衆の信仰を集めた。道長がそこに写経を埋納して栄華を極めたことで、極楽往生や現世利益を願い写経を埋める「経塚」の風習が広がったとされ、研究者は「仏教史や文化史を研究する上で価値の高い資料」とする。
道長は、天皇の外戚として朝廷の実権を握り、摂関政治の全盛期を築いた。自らの権勢を満月(望月)に例えて詠んだ「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」の和歌で知られ、「源氏物語」の作者・紫式部の後ろ盾となった人物でもあった。
道長の日記「御堂関白記」などには、左大臣時代の寛弘4年(1007年)8月、金峯山(現・山上ヶ岳)を詣で、山上に写経15巻を埋めて灯籠を建て、「経塚」とした記載がある。
写経を納めた経筒は、江戸時代の元禄4年(1691年)に出土したと伝わり、現在は金峯神社(吉野町)が所蔵している。しかし、中の15巻の写経は散逸し、うち3巻分が五島美術館(東京都)に、他に金峯神社などに一部残されているだけだった。
新たに見つかった9巻は、法華経7巻、観普賢経と 阿弥陀あみだ 経が各1巻。下半分が欠損しているが、巻物の原形をとどめ、奥書に記された発願文や道長自身を示す「左大(臣)」などの文字も読み取れる。
金峯山寺の五條良知・管領(住職)は「古来の吉野の信仰の歴史を示す貴重な資料だ」とする。
京都国立博物館の宮川禎一・特任研究員(考古学)は「道長の埋めた経の全体像が確認できた。その後、経塚の風習がどのように変遷したのか研究の進展が期待できる」と話している。
『読売新聞』2023/12/12 15:00
生得的な女性・男性と性別変更女性・男性を区分するのは不可能 [現代の性(性別越境・性別移行)]
12月12日(火)
「GID特例法」で戸籍の性別の取り扱いを変更した人は、2004~2022年の19年間で約1万2000人。
人数は、最高裁判所が集計・発表しているが、誰が変更した人かは、誰も把握していない。
各家裁には審判の書類があるはずだし、個々人の戸籍を調べれば変更の痕跡はあるが、それを行政や他人が調べるのは、プライバシー保護という点で不可能。
重大な人権侵害。
「身体検査をすればわかる」という人もいるが、国民全員の身体検査をするのは大変な手間だし、身体検査の強制は重大な人権侵害。
つまり、誰が生得的な女性・男性で、誰が性別変更女性・男性であるかを区分するのは不可能だし、それによって社会的な取り扱いを変える制度もまったく実効性がない。
「GID特例法」で戸籍の性別の取り扱いを変更した人は、2004~2022年の19年間で約1万2000人。
人数は、最高裁判所が集計・発表しているが、誰が変更した人かは、誰も把握していない。
各家裁には審判の書類があるはずだし、個々人の戸籍を調べれば変更の痕跡はあるが、それを行政や他人が調べるのは、プライバシー保護という点で不可能。
重大な人権侵害。
「身体検査をすればわかる」という人もいるが、国民全員の身体検査をするのは大変な手間だし、身体検査の強制は重大な人権侵害。
つまり、誰が生得的な女性・男性で、誰が性別変更女性・男性であるかを区分するのは不可能だし、それによって社会的な取り扱いを変える制度もまったく実効性がない。