明治末期~大正期の新派女形のセクシュアリティ [性社会史研究(性別越境・同性愛)]
12月24日(日)
明治末~大正期の女形に「天下三尻」と称せられる人がいた。
井上春之輔、花園かをる、若水美登里とのこと。
(鎌田意好「異装心理と異性装者列伝」『風俗奇譚』1965年9月号)
井上春之輔は、新派の静間小次郎一座の立女形として活躍した人で、「奥様お春」と言われた。
後に一座の色敵役・浮世捨次郎と「夫婦」になった。
日本映画初期の女形俳優・監督として活躍する衣笠貞之助(1896~1982年)が、1916年に、京都の静間小次郎一座に入ったときに、一座の花形女形・井上春之輔の名から「小井上春之輔」と名乗ったという話がある。
花園かをるは、歌舞伎女形の板東秀調(1880~1935年)の弟子で、後に新派の川上音二郎一座に入り、立女形として重きをなした人。
劇作家の佐藤紅緑の「お手つき」と言われた。
若水美登里(1882~1934年)は、浅草の常盤座の立女形として活躍し、後に連鎖劇の山崎長之輔の一座に入った。また初期の映画にも出演している。
妖艶な美貌で知られ、潮来地方(茨城県)を巡業中、佐原(千葉県)の呉服屋の若旦那に見初められ、結婚を申し込まれて大騒動になるエピソードがある。
「天下三尻」の名が示すとおり、20世紀初頭の新派・女形には男色行為(肛門性交)が伴うのは珍しいことではなかった。
これは、明治の九世・市川團十郎 (1838~1903年)の「歌舞伎改革」(1880年代)で、歌舞伎女形と男色の関係が(少なくとも公式には)断絶した結果、女性化心理が強い女形が新派に活路を求めたことによる。
実際、劇団関係者との男色関係だけでなく、地方回りなどの際に地元有力者に請われて酒席だけでなく枕席に侍るのは。むしろ常態だったと思われる。
明治末~大正期の女形に「天下三尻」と称せられる人がいた。
井上春之輔、花園かをる、若水美登里とのこと。
(鎌田意好「異装心理と異性装者列伝」『風俗奇譚』1965年9月号)
井上春之輔は、新派の静間小次郎一座の立女形として活躍した人で、「奥様お春」と言われた。
後に一座の色敵役・浮世捨次郎と「夫婦」になった。
日本映画初期の女形俳優・監督として活躍する衣笠貞之助(1896~1982年)が、1916年に、京都の静間小次郎一座に入ったときに、一座の花形女形・井上春之輔の名から「小井上春之輔」と名乗ったという話がある。
花園かをるは、歌舞伎女形の板東秀調(1880~1935年)の弟子で、後に新派の川上音二郎一座に入り、立女形として重きをなした人。
劇作家の佐藤紅緑の「お手つき」と言われた。
若水美登里(1882~1934年)は、浅草の常盤座の立女形として活躍し、後に連鎖劇の山崎長之輔の一座に入った。また初期の映画にも出演している。
妖艶な美貌で知られ、潮来地方(茨城県)を巡業中、佐原(千葉県)の呉服屋の若旦那に見初められ、結婚を申し込まれて大騒動になるエピソードがある。
「天下三尻」の名が示すとおり、20世紀初頭の新派・女形には男色行為(肛門性交)が伴うのは珍しいことではなかった。
これは、明治の九世・市川團十郎 (1838~1903年)の「歌舞伎改革」(1880年代)で、歌舞伎女形と男色の関係が(少なくとも公式には)断絶した結果、女性化心理が強い女形が新派に活路を求めたことによる。
実際、劇団関係者との男色関係だけでなく、地方回りなどの際に地元有力者に請われて酒席だけでなく枕席に侍るのは。むしろ常態だったと思われる。
また新宿でトランスヘイト・デモ [現代の性(性別越境・性別移行)]
12月23日(土)
今日の新宿駅東口のトランスヘイトデモ、参加者は15~20名とのこと。
前回は17~18名だったので、規模は大きくなっていない。
ただ、主張内容は、いっそう悪質化している。
今日の新宿駅東口のトランスヘイトデモ、参加者は15~20名とのこと。
前回は17~18名だったので、規模は大きくなっていない。
ただ、主張内容は、いっそう悪質化している。
クリスマス・シチューを仕込む [日常(料理・食べ物)]
12月22日(金)『特選小説』(辰巳出版)のインタビューを受ける [お仕事(出演・取材協力)]
12月22日(金)
新宿三丁目の隠れ家的なカフェで、隔月刊誌『特選小説』(辰巳出版)のインタビューを受ける。
聞き手は、なんと石田仁さん。
超多忙な大学教授にお願いするようなことではないのに、私がが知らないうちに決まっていて、たいへん恐縮。
その一方で、石田さんに話を聞いてもらえるのはとてもうれしい。
20年以上の知り合い、年齢は私の方がずっと上だが、セクシュアリティ(史)研究を始めた時期は大差ない。
以来20数年、石田さんはゲイの社会史、私はトランスジェンダーの社会・文化史の研究を並行して進めてきた。
そういう意味で、学問研究の同志だと思っている。
そんな方に、初めて(パブリックな形で)話を聞いてもらえて、「ああ、長い間、頑張ってきて、良かったな」としみじみ思った。
新宿三丁目の隠れ家的なカフェで、隔月刊誌『特選小説』(辰巳出版)のインタビューを受ける。
聞き手は、なんと石田仁さん。
超多忙な大学教授にお願いするようなことではないのに、私がが知らないうちに決まっていて、たいへん恐縮。
その一方で、石田さんに話を聞いてもらえるのはとてもうれしい。
20年以上の知り合い、年齢は私の方がずっと上だが、セクシュアリティ(史)研究を始めた時期は大差ない。
以来20数年、石田さんはゲイの社会史、私はトランスジェンダーの社会・文化史の研究を並行して進めてきた。
そういう意味で、学問研究の同志だと思っている。
そんな方に、初めて(パブリックな形で)話を聞いてもらえて、「ああ、長い間、頑張ってきて、良かったな」としみじみ思った。