12月1日(木)足の状態はまずまず [日常(通院)]
東京地裁判決の評価 [現代の性(同性愛・L/G/B/T)]
12月1日(木)
昨日の東京地裁判決の評価で、「違憲状態」の判断に喜ぶ当事者が多く見られるが、一方で「(24条)第1項における「婚姻」は異性間の婚姻のみを指し、同性間の婚姻を含むものではない」と、24条1項に「同性婚」が含まれる(保障される)という説を完全に否定していることを読み落としている人が多いのが気になる。
鈴木賢教授がTwitterで「(憲法上)家族権はあるが、婚姻権はないという判断」と評価している通り。
判決文まで丁寧に読む人は少ないので、例によって、マスメディアのミスリードに依るものだと思う。
昨日の東京地裁判決の評価で、「違憲状態」の判断に喜ぶ当事者が多く見られるが、一方で「(24条)第1項における「婚姻」は異性間の婚姻のみを指し、同性間の婚姻を含むものではない」と、24条1項に「同性婚」が含まれる(保障される)という説を完全に否定していることを読み落としている人が多いのが気になる。
鈴木賢教授がTwitterで「(憲法上)家族権はあるが、婚姻権はないという判断」と評価している通り。
判決文まで丁寧に読む人は少ないので、例によって、マスメディアのミスリードに依るものだと思う。
W杯2022(10日目) [スポーツ]
11月30日(水)
W杯2022 10日目
C組 アルゼンチン、ポーランドが勝ち抜け、メキシコ、サウジアラビアが」敗退。
アルゼンチン(勝点6) 2ー0 ポーランド(勝点4)
メキシコ(勝点4) 2ー1 サウジアラビア(勝点3)
D組 フランス、オーストラリアが勝ち抜け、チュニジア、デンマークが敗退。
チュニジア(勝点4) 1ー0 フランス(勝点6)
オーストラリア(勝点6) 1ー0 デンマーク(勝点1)
W杯2022 10日目
C組 アルゼンチン、ポーランドが勝ち抜け、メキシコ、サウジアラビアが」敗退。
アルゼンチン(勝点6) 2ー0 ポーランド(勝点4)
メキシコ(勝点4) 2ー1 サウジアラビア(勝点3)
D組 フランス、オーストラリアが勝ち抜け、チュニジア、デンマークが敗退。
チュニジア(勝点4) 1ー0 フランス(勝点6)
オーストラリア(勝点6) 1ー0 デンマーク(勝点1)
山本蘭さんとの思い出 [訃報・追悼]
11月30日(水)
2022年11月29日朝、長年の論敵であり、友人であった山本蘭さんが長い闘病の末に逝去された。
65歳。
心からお悔やみ申し上げます(合掌)。
山本蘭さんから「原科(孝雄)先生のお誕生祝の食事会をするので、いらっしゃいませんか?」というお誘いをいただいたのは、2008年の秋の初めのことだった。
2003年の「GID特例法」制定では、推進派と反対派の論敵。
その後も毎年春の「GID学会」で会うことはあっても、食事どころかいっしょにお茶を飲んだこともなかった。
「なんで私に?」と尋ねると、
「原科先生の功績をちゃんと知っているのは、三橋さんくらいなので」という返事。
そう言われると、断るわけにもいかない。
10月18日、五反田のレストランで、原科先生、蘭さんと会食した。
その席で蘭さんがまた思いがけないことを言った。
「今度、うち(gid.jp)のフォーラムで、講演をお願いします」
冗談だと思った。
しかし、蘭さんの口調はまじめ。
次にこれは罠かもしれないと思った。
ただ、ここで逃げたら士道が廃ると思い、「お引き受けします」と返事をした。
それは、翌年2009年4月18日の「gid.jp東京交流会」での講演「性別移行と社会 -GID当事者への提言-」という形で実現する。
私としては、冗談ではなく「刺されるかもしれない覚悟」で出かけたが、話し終えた後は、満場の拍手だった。
原科先生、蘭さんとの食事会は、その後、2009年10月24日(古希のお祝い)、2010年11月24日、2011年10月22日と続いた。
それとは別に、東日本大震災の直後、計画停電で薄暗い澁谷道玄坂のタイ料理屋で、レズビアン活動家のつっちーさんと蘭さんと3人で会食したことがあった。
たしか、つっちーさんが四国の山から東京に戻ってきたお祝いの会食で、やはり蘭さんか誘ってくれたのだが、状況的に鮮明に覚えている。
gid.jpでの講演は、その後、
2013年3月8日の「gid.jp沖縄フォーラム」での講演「性別越境と社会-その歴史を考える-」
同年7月14日の「gid.jp10周年記念シンポジウム」での講演「性別越境と社会-その歴史を考える-」
2015年8月30日の「第37回 gid.jp フォーラム IN 東京」での講演「徹底討論 どうなる? 性同一性障害 ー歴史的観点からー」
と計4回も呼んでいただいた。
世の中では、蘭さんと私のことを「犬猿の仲」「不倶戴天」と思っている人が多い。
たしかに立場が違い、真っ向から主張が異なることも多かった。
ただ、2008年、「GID特例法」の「子なし要件」の撤廃運動(結果は緩和)で、2003年の制定時「5年後、必ず迎えに来る」と約束した活動家たちが、誰も動かない中、ただ1人、奮闘する蘭さんを見て、その信義を守る姿勢に感服した。
私が、蘭さんからの誘いを断らなかった背景には、そうした理由がある。
蘭さんの病気のことは、あるの会合の時(たしか2017年5月)、もともと細い人がさらに瘦せていたので、心配になって「いくらなんでも痩せすぎなんじゃない」と声を掛けたら、羸痩(痩せすぎ)が特徴の肺の病気である可能性を打ち明けられた。
「私、煙草を吸わないのに、なんでこんな病気になってしまったのでしょうね」と嘆いていたのを思い出す。
その後、特発性上葉限局型肺線維症(PPFE:国指定の難病)診断が確定し、余命5~10年であることを知った。
「そのうち、良い薬ができるかもしれないから、頑張って」と励ましたが、なまじ医学知識があるだけに、状況が深刻であることはわかっていた。
2018年の「第20回GID学会」(御茶ノ水)では、すっかり体力が衰え、数段の階段を上るのも大変そうだった。
初日に来場したのが精一杯で2日目は欠席するとのことなので、別れ際に握手したのが最後になってしまった。
こうして、振り返ると、蘭さんにはお世話になりっぱなしで、お返しをする機会がないまま逝ってしまわれた。
もう少し待っていてください。
次は私がおごる番だから。
2013年7月14日の「gid.jp10周年記念シンポジウム」で、ツーショット。
2014年6月「第110回日本精神神経学会学術集会」(パシフィコ横浜)で。
右から3番目が蘭さん、右端が私。
2015年8月30日「第37回 GID.JP フォーラム IN 東京」
左から、針間克己先生。東優子さん、私、蘭さん
2017年5月5日、トークライブ「性同一性障害?トランスジェンダー? 〜みんなで語ろう 過去・現在・未来〜」
前列左から2人目が蘭さん、3人目が私。
2022年11月29日朝、長年の論敵であり、友人であった山本蘭さんが長い闘病の末に逝去された。
65歳。
心からお悔やみ申し上げます(合掌)。
山本蘭さんから「原科(孝雄)先生のお誕生祝の食事会をするので、いらっしゃいませんか?」というお誘いをいただいたのは、2008年の秋の初めのことだった。
2003年の「GID特例法」制定では、推進派と反対派の論敵。
その後も毎年春の「GID学会」で会うことはあっても、食事どころかいっしょにお茶を飲んだこともなかった。
「なんで私に?」と尋ねると、
「原科先生の功績をちゃんと知っているのは、三橋さんくらいなので」という返事。
そう言われると、断るわけにもいかない。
10月18日、五反田のレストランで、原科先生、蘭さんと会食した。
その席で蘭さんがまた思いがけないことを言った。
「今度、うち(gid.jp)のフォーラムで、講演をお願いします」
冗談だと思った。
しかし、蘭さんの口調はまじめ。
次にこれは罠かもしれないと思った。
ただ、ここで逃げたら士道が廃ると思い、「お引き受けします」と返事をした。
それは、翌年2009年4月18日の「gid.jp東京交流会」での講演「性別移行と社会 -GID当事者への提言-」という形で実現する。
私としては、冗談ではなく「刺されるかもしれない覚悟」で出かけたが、話し終えた後は、満場の拍手だった。
原科先生、蘭さんとの食事会は、その後、2009年10月24日(古希のお祝い)、2010年11月24日、2011年10月22日と続いた。
それとは別に、東日本大震災の直後、計画停電で薄暗い澁谷道玄坂のタイ料理屋で、レズビアン活動家のつっちーさんと蘭さんと3人で会食したことがあった。
たしか、つっちーさんが四国の山から東京に戻ってきたお祝いの会食で、やはり蘭さんか誘ってくれたのだが、状況的に鮮明に覚えている。
gid.jpでの講演は、その後、
2013年3月8日の「gid.jp沖縄フォーラム」での講演「性別越境と社会-その歴史を考える-」
同年7月14日の「gid.jp10周年記念シンポジウム」での講演「性別越境と社会-その歴史を考える-」
2015年8月30日の「第37回 gid.jp フォーラム IN 東京」での講演「徹底討論 どうなる? 性同一性障害 ー歴史的観点からー」
と計4回も呼んでいただいた。
世の中では、蘭さんと私のことを「犬猿の仲」「不倶戴天」と思っている人が多い。
たしかに立場が違い、真っ向から主張が異なることも多かった。
ただ、2008年、「GID特例法」の「子なし要件」の撤廃運動(結果は緩和)で、2003年の制定時「5年後、必ず迎えに来る」と約束した活動家たちが、誰も動かない中、ただ1人、奮闘する蘭さんを見て、その信義を守る姿勢に感服した。
私が、蘭さんからの誘いを断らなかった背景には、そうした理由がある。
蘭さんの病気のことは、あるの会合の時(たしか2017年5月)、もともと細い人がさらに瘦せていたので、心配になって「いくらなんでも痩せすぎなんじゃない」と声を掛けたら、羸痩(痩せすぎ)が特徴の肺の病気である可能性を打ち明けられた。
「私、煙草を吸わないのに、なんでこんな病気になってしまったのでしょうね」と嘆いていたのを思い出す。
その後、特発性上葉限局型肺線維症(PPFE:国指定の難病)診断が確定し、余命5~10年であることを知った。
「そのうち、良い薬ができるかもしれないから、頑張って」と励ましたが、なまじ医学知識があるだけに、状況が深刻であることはわかっていた。
2018年の「第20回GID学会」(御茶ノ水)では、すっかり体力が衰え、数段の階段を上るのも大変そうだった。
初日に来場したのが精一杯で2日目は欠席するとのことなので、別れ際に握手したのが最後になってしまった。
こうして、振り返ると、蘭さんにはお世話になりっぱなしで、お返しをする機会がないまま逝ってしまわれた。
もう少し待っていてください。
次は私がおごる番だから。
2013年7月14日の「gid.jp10周年記念シンポジウム」で、ツーショット。
2014年6月「第110回日本精神神経学会学術集会」(パシフィコ横浜)で。
右から3番目が蘭さん、右端が私。
2015年8月30日「第37回 GID.JP フォーラム IN 東京」
左から、針間克己先生。東優子さん、私、蘭さん
2017年5月5日、トークライブ「性同一性障害?トランスジェンダー? 〜みんなで語ろう 過去・現在・未来〜」
前列左から2人目が蘭さん、3人目が私。