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「色里」の成立 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

1月16日(火)

日本における「色里」の成立。

平安時代中期(10世紀)になると、京と難波を結ぶ淀川水運の河港に「遊女(あそびめ)」が集まる。
 江口・神崎(摂津国=大阪府)。
住吉詣の貴族たちも利用。

平安時代後期~鎌倉時代(11~13世紀)になると、瀬戸内海航路の港(津)にも遊女が集まる。
 室津(播磨国=兵庫県)、
 鞆の浦(備後国=広島県)、
 赤間関(長門国=山口県)
遊女の「長(おさ)」=統率者は、ほとんどの場合、女性。
女性たち(擬似母系集団)による自立的な売春であり、男性による遊女の管理・収奪は、まだ周縁的だった。
「法然上人絵伝」.jpg
画像は、讃岐国に流罪になる法然上人の船に漕ぎ寄せる室津の遊女。
(「営業」ではなく説法を聴きに来た)
鼓を持つのは巫女の、傘を差し掛けられるのは貴人の象徴。
櫓を操るのも女性であることに注意。
「法然上人絵伝」(1209年)

「立君と辻子君」(七十一番職人歌合絵巻).jpg
「七十一番職人歌合絵巻」(1500年頃)の「辻子(ずし)君と立君」。
左の家で、男の来訪をうけているのが「辻子君」(左上)。
右の路上で、男と会話(交渉)しているのが「立君」。

室町時代の京に、路上で客を誘う「立君」と、家で客の来訪を待つ「辻子君」の2つの売春形態があったことがわかる。
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