6月5日(日)大阪・国立国際美術館「森村泰昌:自画像の美術史-『私』と『わたし』が出会うとき」展 [お勉強(博物館・美術館)]
6月5日(日) 雨のち曇り 大阪 23.4度 湿度61%(15時)
8時半、起床(「新大阪ワシントンホテルプラザ」)。
朝食は、コンビニのサンドイッチとコーヒー。
10時、チェックアウト。
新大阪駅のコインロッカーに荷物を預け、JR線で大阪環状線の福島駅へ。
初めて降りる駅。

↑ 高架線のすぐ脇を地上線が走っていて踏切があるのが不思議。
雨がほとんど止んだので、南に歩いて堂島川を目指す。

堂島橋を渡ったところで左(東)に行くべきところを、間違えて右(西)に行ってしまい、時間をロス。
11時半、大阪・中之島の「国立国際美術館」に到着。

開催中の「森村泰昌:自画像の美術史-『私』と『わたし』が出会うとき」展を見る。
西洋美術史の登場人物に扮した写真を中心に、50点の新作や未発表作、過去の代表作を含む全130点の大規模な個展。
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↑ 森村泰昌「ゴッホ/青」(2016年)
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↑ 森村泰昌「カラヴァッジョ/マタイとは何者か」(2016年)
森村さんとは、1996年「横浜美術館」で開催された個展「美に至る病ー女優としての私」でお目にかかったのが最初だった。
その後、1998年2月に東京新宿の「紀伊国屋ホール」で開催された「第96回紀伊国屋セミナー:性を越境する-異装がもたらすゆらぎ-」では、講師としてご一緒した。
私はその昔「Fake Lady」と名乗っていたように、フェイク性(贋作のもつ魅力・意味)を評価する考えなので、森村さんの作品は大好き。
今回、会期中に京都出張があったので、久しぶりに森村作品を見せていただくのを楽しみにしていた。
(森村作品をまとまって鑑賞するのは、東京都写真美術館で2010年に開催された「なにものかへのレクイエム」以来6年ぶり)
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↑ 「証言台に立つルブラン」(2016年)の森村さんと私
そんなご縁なので、たくさんの作品の中も、どうしても、森村さんが女装している作品に目が行ってしまう。
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↑ 森村泰昌「放蕩息子に扮するポートレート1636」(1994年)
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↑ 森村泰昌「ロス・ヌエボ・カプリチョス(三人三様)」(2005~2016年)
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↑ 森村泰昌「Sayoko1:百年の孤独、千年の愉楽」(2016年)
どちらがオリジナルだか、わからなくなる出来栄え。

↑ 山口小夜子(「資生堂・京紅」のポスター:1978年)
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↑ 森村泰昌「なにものかへのレクイエム(創造の劇場/マルセル・デュシャンとしての私)」(2010年)
「私の中のフリーダ」シリーズ(2001~2009年)は、初めて見た大作で圧巻。

メキシコの女性画家フリーダ・カーロ(1907~1954年)の自画像の上に、大阪の生まれ・育ちの森村さんの笑いのセンスが加味された作品。


ただ、フェミニズム美術の世界では、カリスマ的な存在なので、ここまでパロディにしてしまって大丈夫?とちょっと心配になった。
いちばん「すごいなぁ!」と思ったのは「侍女たちは夜に甦る:ベラスケスの棺に跪く」シリーズ(2013年)。
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森村さんの「妄想」を重層的・多角的に視覚化した作品とでも言うべきか?
ちょっと言葉では説明できないが、ともかく「すごい! こんなこと考える人もできちゃう人も(森村さん以外に)いない!」と思った。
途中で、2月にタイ旅行にご一緒した石田仁さん(社会学)と谷口洋幸さん(ジェンダー法学)と出会い、付かず離れず、おしゃべりしながら見たので、余計に楽しかった。
最後に映像作品「自画像のシンポシオン」を見る。
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↑ 森村泰昌「自画像のシンポシオン」(2016年)
司会の森村泰昌を入れて13人の人物が「自画像」について語る構成(実際は森村さんが1人13役をしている)。
有名なレオナルド・ダ・ビンチの肖像が、実はダビンチ家の近くを徘徊する路上生活のお爺さんの顔だったり(本物のダビンチ先生はどうも女装者らしい)、
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フリーダ・カーロが女性、身体障害、民族という三重のマイノリティ性を巧みに演出・利用する計算高い女だったり、青のゴッホが渋谷の路上で絶叫していたり、森村さんの解釈が面白いのだが・・・長い(60分以上)。
実は、14時からの森村さんの講演までの空き時間に、昼食を食べようと思っていたのだが・・・。
ぎりぎりになってしまった。
で、14時から「新・美術寺子屋/自画像の話(第8回)ニッポンの自画像~時は代が青春であったとき」を聴講。
11時半の時点で、整理券番号123番だった。
きっと、熱心なファンの方が多いのだろう。
会場は満席。
森村さんの青春時代の話から、日本近代の夭逝した画家の自画像、そしてそれを、今回、展示されている「青春の自画像」シリーズに作品化していく話。
とりわけ、松本竣介(1912~1948年)について、その代表作「立てる像」(1942年)の作品化について。

↑ 松本竣介「立てる像」(1942年)

森村泰昌「わたしはどこに立っている」(2016年)
普通、こういう講演は長くても1時間半前後だが、森村さんは違う。
なんと休憩なしで連続3時間。
久しぶりに、ゆっくりお話をうかがえて、よかったのだが(お腹が空いた・・・)。
しかも森村さん、ずっと立ちっぱなし。
私はもう3時間、立ちっぱなしの講演は体調的に無理。
森村さん、私より4才年長のはずだが、すばらしくお元気な様子で何より。
17時、閉館と同時に退館。
結局、お昼ご飯抜き(泣)

↑ 夕暮れが近い堂島川。
予定よりも遅くなってしまったで、新大阪駅に急ぐ。
17時56分発の「のぞみ180号」に乗車。
とてもお腹が空いていたので、早速、お弁当を食べる。


↑「なにわ満載」弁当(1030円)
やっと、人心地。
20時11分、新横浜駅着。
21時過ぎ、帰宅。
8時半、起床(「新大阪ワシントンホテルプラザ」)。
朝食は、コンビニのサンドイッチとコーヒー。
10時、チェックアウト。
新大阪駅のコインロッカーに荷物を預け、JR線で大阪環状線の福島駅へ。
初めて降りる駅。
↑ 高架線のすぐ脇を地上線が走っていて踏切があるのが不思議。
雨がほとんど止んだので、南に歩いて堂島川を目指す。
堂島橋を渡ったところで左(東)に行くべきところを、間違えて右(西)に行ってしまい、時間をロス。
11時半、大阪・中之島の「国立国際美術館」に到着。
開催中の「森村泰昌:自画像の美術史-『私』と『わたし』が出会うとき」展を見る。
西洋美術史の登場人物に扮した写真を中心に、50点の新作や未発表作、過去の代表作を含む全130点の大規模な個展。
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↑ 森村泰昌「ゴッホ/青」(2016年)
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↑ 森村泰昌「カラヴァッジョ/マタイとは何者か」(2016年)
森村さんとは、1996年「横浜美術館」で開催された個展「美に至る病ー女優としての私」でお目にかかったのが最初だった。
その後、1998年2月に東京新宿の「紀伊国屋ホール」で開催された「第96回紀伊国屋セミナー:性を越境する-異装がもたらすゆらぎ-」では、講師としてご一緒した。
私はその昔「Fake Lady」と名乗っていたように、フェイク性(贋作のもつ魅力・意味)を評価する考えなので、森村さんの作品は大好き。
今回、会期中に京都出張があったので、久しぶりに森村作品を見せていただくのを楽しみにしていた。
(森村作品をまとまって鑑賞するのは、東京都写真美術館で2010年に開催された「なにものかへのレクイエム」以来6年ぶり)
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↑ 「証言台に立つルブラン」(2016年)の森村さんと私
そんなご縁なので、たくさんの作品の中も、どうしても、森村さんが女装している作品に目が行ってしまう。
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↑ 森村泰昌「放蕩息子に扮するポートレート1636」(1994年)
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↑ 森村泰昌「ロス・ヌエボ・カプリチョス(三人三様)」(2005~2016年)
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↑ 森村泰昌「Sayoko1:百年の孤独、千年の愉楽」(2016年)
どちらがオリジナルだか、わからなくなる出来栄え。

↑ 山口小夜子(「資生堂・京紅」のポスター:1978年)
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↑ 森村泰昌「なにものかへのレクイエム(創造の劇場/マルセル・デュシャンとしての私)」(2010年)
「私の中のフリーダ」シリーズ(2001~2009年)は、初めて見た大作で圧巻。
メキシコの女性画家フリーダ・カーロ(1907~1954年)の自画像の上に、大阪の生まれ・育ちの森村さんの笑いのセンスが加味された作品。
ただ、フェミニズム美術の世界では、カリスマ的な存在なので、ここまでパロディにしてしまって大丈夫?とちょっと心配になった。
いちばん「すごいなぁ!」と思ったのは「侍女たちは夜に甦る:ベラスケスの棺に跪く」シリーズ(2013年)。
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森村さんの「妄想」を重層的・多角的に視覚化した作品とでも言うべきか?
ちょっと言葉では説明できないが、ともかく「すごい! こんなこと考える人もできちゃう人も(森村さん以外に)いない!」と思った。
途中で、2月にタイ旅行にご一緒した石田仁さん(社会学)と谷口洋幸さん(ジェンダー法学)と出会い、付かず離れず、おしゃべりしながら見たので、余計に楽しかった。
最後に映像作品「自画像のシンポシオン」を見る。
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↑ 森村泰昌「自画像のシンポシオン」(2016年)
司会の森村泰昌を入れて13人の人物が「自画像」について語る構成(実際は森村さんが1人13役をしている)。
有名なレオナルド・ダ・ビンチの肖像が、実はダビンチ家の近くを徘徊する路上生活のお爺さんの顔だったり(本物のダビンチ先生はどうも女装者らしい)、
-9c1f2.jpg)
フリーダ・カーロが女性、身体障害、民族という三重のマイノリティ性を巧みに演出・利用する計算高い女だったり、青のゴッホが渋谷の路上で絶叫していたり、森村さんの解釈が面白いのだが・・・長い(60分以上)。
実は、14時からの森村さんの講演までの空き時間に、昼食を食べようと思っていたのだが・・・。
ぎりぎりになってしまった。
で、14時から「新・美術寺子屋/自画像の話(第8回)ニッポンの自画像~時は代が青春であったとき」を聴講。
11時半の時点で、整理券番号123番だった。
きっと、熱心なファンの方が多いのだろう。
会場は満席。
森村さんの青春時代の話から、日本近代の夭逝した画家の自画像、そしてそれを、今回、展示されている「青春の自画像」シリーズに作品化していく話。
とりわけ、松本竣介(1912~1948年)について、その代表作「立てる像」(1942年)の作品化について。

↑ 松本竣介「立てる像」(1942年)

森村泰昌「わたしはどこに立っている」(2016年)
普通、こういう講演は長くても1時間半前後だが、森村さんは違う。
なんと休憩なしで連続3時間。
久しぶりに、ゆっくりお話をうかがえて、よかったのだが(お腹が空いた・・・)。
しかも森村さん、ずっと立ちっぱなし。
私はもう3時間、立ちっぱなしの講演は体調的に無理。
森村さん、私より4才年長のはずだが、すばらしくお元気な様子で何より。
17時、閉館と同時に退館。
結局、お昼ご飯抜き(泣)
↑ 夕暮れが近い堂島川。
予定よりも遅くなってしまったで、新大阪駅に急ぐ。
17時56分発の「のぞみ180号」に乗車。
とてもお腹が空いていたので、早速、お弁当を食べる。
↑「なにわ満載」弁当(1030円)
やっと、人心地。
20時11分、新横浜駅着。
21時過ぎ、帰宅。
2016-06-05 21:39
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作家も、作品も、会場も大好きなので、とても共感をもって見させていただきました。そうですよね、もともと地元ですよね。
by アダ (2016-06-06 18:00)
アダさん、いらっしゃいま~せ。
「同好の士」がいてくださって、うれしいです。
by 三橋順子 (2016-06-07 00:28)
大阪までお出かけだったにょですか・・・。
てっきり高槻のお城下か玉造教会かと思ってしまいみゃした。
それにしても、ベラスケスはともかく、カラヴァッジョや
松本俊介を知っている日本人がどれだけいるか・・・
というところですにゃ。
by 真樹猫ちゃん (2016-06-09 21:42)
真樹大姉様、いらっしゃいま~せ。
松本竣介はともかく、ベラスケスやカラヴァッジョとお友達だったのは、今や大姉様ぐらいだと思いますす
by 三橋順子 (2016-06-12 02:11)