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『over』創刊イベントでの女性蔑視演出 [現代の性(同性愛・L/G/B/T)]

8月16日(火)

3年前の『over』の創刊イベントでの女性蔑視演出についての告発。
https://twitter.com/mihoiida_tw/status/1558274358334074880
宇田川しい「Overマガジンのイベントにおける女性蔑視表現との指摘について」
https://note.com/siiudagawa/n/n968120659ca5

これはひどい!
直球のジェンダー差別ではないか。
『over』の創刊イベントで、しかも会場が明治大学(駿河台)で、これはない。
「ノリ」で済む話ではない。

問題提起としての「前振り」を、本論でちゃんと回収せず、結果的に放置したら、ミソジニーと批判されても仕方がないよね。

2019年のイベントで、たった3年前なのに、感性的・構成的にとても古い感じがする。
もうこういう演出が通用する時代ではないということ。

この雑誌、私も請われて第2号に執筆したけど、もう2度とお声はかからないだろうから、忖度なしで言う(笑)

【追記】
火に油を注いで、どうするのだ?。
宇田川しい「DQ的表現とゲイ・カルチャーのゆくえ」
https://note.com/siiudagawa/n/nf2102a51561a

やはり「場」の問題だと思う。
二丁目のクラブでゲイやDQの表現様式になじんでいる人だけが参加するイベントではなく、大学の教室を会場にしたイベントという様々な人が参加する場での表現としては不適切だったということ。

そもそもの話、DQの表現・文化には女性性への風刺・カリカチュアが重要な要素としてある。
しかも、このイベントで登壇した大御所は、DQの正統的な「毒」が強い方。
イベントの趣旨を考えると、主催者が「毒」の使い方を間違ったということだと思う。

もう一度、確認しておくが、批判の対象になっているイベントは3年前のこと。
その時点でも「古い」と私は思うが、3年後の現在の状況・感性ではありえない。
時は確実に経過している。

実際、この大御所DQが、こういう形でイベントに登壇することはもうないだろう。

【さらに追記】
私が「場の問題」と言っているのは、「人の問題」ではない、と暗に言っているわけで、自分なりに擁護したつもり。

ところが、そのご当人が、もろにミソジニー(女装嫌悪)なツィートを(たぶんわざと)書き散らす。
駄目だ、こりゃ。

ゲイとその讃美者だけの場でウケるミソジニー的な「毒」がある演出を、LGBTというより広範な枠組みの場で、同じように通用すると思っている感性、まったくもって時代遅れ。

時代の流れにそくして感性をリニューアルできない人は、宇田川しいさんが言うように「滅んでいく」しかな

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8月15日(月)『特選小説』のインタビュー [お仕事(出演・取材協力)]

8月15日(月)

新宿で、『特選小説』(辰巳出版)のインタビュー。

けっしてメジャーな雑誌ではないが、前著『新宿「性なる街」の歴史地理』(朝日選書)のときも、取り上げて下さった。

今回の『歴史の中の多様な「性」』も、真っ先に声をかけてくださり、感謝に堪えない。

私は昔気質の人なので、かけてもらった恩義にはちゃんと報いるつもり。

インタビューの最後に、記者さんに「『歴史の中の多様な「性」』の執筆でいちばんつらかったことはなんですか?」と問われて、答えられなかった。

だって、書いている間、ずっととても楽しかったから。

私の場合、本を1冊書いたからといって、大学の常勤職になれるわけでも、博士号を取れるわけでも、お金がたくさん入るわけでも、社会的評価が上がるわけでもないわけで、研究者としての若干の社会的責務は意識しているものの、楽しくなかったら400頁近い本は書けない。

「若干の社会的責務」とは、自分の研究で明らかになったことを後世に伝える、ということ。
本を書いた意義を、敢えて言えば、そういうこと。

他の研究者の著作のように、命を削るような思いで書いた本ではない。
そもそも削るほどの余命はもうないし。

そんなお気楽な本なので、楽しんで読んでいただけたら幸いです。



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