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2018ロシアW杯、出場決定! おめでとう! [スポーツ]

8月31日(木)

29日にサウジアラビアがUAEに逆転負け。
まさに天佑神助。
日本(勝点17)は、これで残る2戦、(H)オーストラリア(勝点16)、(A)サウジアラビア(勝点16)を連続引き分けでも予選通過となる。
さらに、オーストラリアに負けても、サウジアラビアと引き分ければOK。
でも、オーストラリアと引き分けで、サウジに負けると、たぶん(オーストラリアがタイに勝つと思うので)駄目。
2戦負けだともちろん駄目で。
B組3位(ウズベキスタンか韓国)とのアジア5位決定戦に回り、それに勝ったら北中米カリプ海4位(アメリカ、パナマ、ホンジュラスあたり)との大陸間プレーオフという地獄の道が待っている。

W杯2018アジア最終予選第9戦、日本vsオーストラリア。

大迫がワントップ、トップ下は右に乾、左に浅野、中盤は右に井手口、左に山口、その下に長谷部、バックスはセンターに昌子、吉田、右に酒井(宏)、左に長友、GKは川島。

前半20分までは、日本がやや押し気味ながら、決め手はなし。
日本の守備は組織的で、いまのところ破綻はなし。

前半40分、長友の左からのクロスを浅野が落ち着いて左足で合わせて先制。
前半を1-0で折り返す。
後半、オーストラリアの攻勢を、日本が耐える。

後半37分、井手口がドリブルで切れ込み、ミドルシュートが鮮やかに決まる。
これで2-0。

日本2-0でオーストラリアに勝利! 
2018ロシアW杯、出場決定!
おめでとう!

これでB組の残る1枠は、最終戦次第。
勝点16でサウジアラビアとオーストラリアが並ぶが、得失点差はサウジアラビアが+6、オーストラリアが+4でサウジが有利。
しかし対戦相手は、サウジアラビアが日本(1位抜け決定)、オーストラリアはタイ(最下位)でオーストラリアが有利。
オーストラリアが順当にタイに勝つと、サウジアラビアは日本に勝つことが必要になる(引き分けでは駄目)。


A組は、残り2試合の時点でイランが独走(勝点20)で勝ち抜け。
残り1枠を韓国(勝点13)とウズベキスタン(勝点12)が低レベルで争う。

今夜の試合で、韓国がイランと0-0の引き分け(勝点14)。
ウズベキスタンは中国に0-1で敗戦(勝点12)。
しかし、ウズベキスタンは最終戦がホームでの韓国戦。
勝てば逆転する。

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上手に壊しましたね [事件・事故]

8月31日(木)

さすがは土木技術大国・韓国、上手に壊すものだなぁ。
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2017年8月27日の韓国・京畿道平沢市彭城邑の「平沢国際大橋」(建設中)の落橋事故の動画。
https://youtu.be/8l7Xyjx7D8Q

落橋の瞬間を車載カメラがとらえていた。
まず1つの橋桁が外れ、その直後、橋脚が潰れるように崩壊し、あとは連鎖的に橋桁が落ちたように見える。

ソウル特別市城東区聖水大橋(1979年完成、1994年中央部分崩落)、パラオ共和国コロール・バベルダオブ橋(1977年、韓国が建設するも直後から陥没、1996年崩落)など、橋梁崩落は韓国土木業界の得意技である。










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館山・センチメンタルジャーニー(その3:海と「中村屋」) [旅]

8月30日(水)
(続き)
海岸に行ってみる。
ずいぶんきれいになっている。
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子供の私が泳いだ海岸は、「八幡海岸」といって、館山の海水浴場の中心である「北条海岸」の北に接している。
海岸道路を超えるとm、低い浜堤があり、その向こうに緩やかな砂浜が広がり、波静かな遠浅の海につながっていた。
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「海の家」のような施設はなく、木製の櫓のような飛び込み台が1つ海中にあるだけだった。
海水浴客も、それほど多くなく、穏やかでのんびりした雰囲気だった。
私は、その海で、母親かな日本泳法の「水府流」を教わった。
浮き身、伸(のし=横泳ぎ)、平泳(ひらおよぎ)、抜き手、立ち泳ぎなど。
父親には潜水を教わった。
速く泳ぐことより、水の中を自在に動く術を教わったことは、後々ずいぶん役に立った。

懐かしい海の水に50数年ぶりに触れてみる。
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50年はあまりに長い、祖母はもちろん父母も、私を慈しみ育ててくれた人はもう誰もいない。
大人しい病弱な男の子は、真っ赤なペティキュアの怪しい姐さんになった。
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ずいぶん遠くまで歩いてきてしまったのだなぁ。

そろそろ行かなければ。
波打ち際で、母親と子供が遊んでいる。
遠い日の母と妹と私の姿が重なる。
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館山駅に戻る。

駅の西口(海側)から自由通路を通って東口に。
昔は海側には入口はなかったと思う。

国道に出てみる。
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左側の建物、記憶がある。

秩父に帰るときにお土産を買った「房洋堂」は健在だった。
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でも全体に、商店街が寂れている。
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この先に、母に連れられてよく行った魚屋さんがあったのだが・・・。

さあ、「中村屋」。
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メニューはあまり変わっていないようにも思う。
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かき氷のメニュー。
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祖母と母は、いつも宇治金時だった。
私は、氷ミルクが好きだった。

悩んだ末に、クラブハウスサンド(スープ、ミニサラダ付き、480円)を注文。
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クリームあんみつ(450円)を追加。
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味は変わっていない、値段もそんなに高くなっていない(50年で4~5倍?。子供だったので50年前の記憶があまりない)。
変わったのは、ウエートレスさんがいなくなって、セミ・セルフサービスになったこと。
やっぱり、人件費&人手の問題か。

ああ、「中村屋」が存在していてくれたお陰で、あまりセンチメンタルにならずに済んだ。
ありがとう!

駅前から出ている横浜駅行きの長距離バスに乗る。
館山~横浜という路線があることに驚いた。
「東京湾アクアライン」に入る。
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木更津から川崎へ、海の中の道を渡れるようになるなんて、50年前には想像もしなかった。

海が夕日に輝き始める。
死ぬ前に一度訪ねたかった、幼い日の思い出を確かめることができた夏の終わりの一人旅だった。



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館山・センチメンタルジャーニー(その2:遠い夏の思い出を探して) [旅]

8月30日(水)
(続き)
私は、北関東の山間盆地(埼玉県秩父市)に生まれ育ったが、幼稚園(年長)から小学5年生まで6~11歳の6年間(1961~66年、昭和36~41年)、毎夏3週間くらい、親戚の別荘(母方の会津藩士の相役で、明治以後、経済界で成功した一族)を借りて千葉県館山市に滞在した。

海辺育ちの両親(とくに母親)が、避暑と海を知らない子ども(私と妹)に海を見せて泳ぎを教えることを兼ねてだったと思う。
だから、子供の頃の夏休みの記憶のかなりの部分は館山での思い出が占めている。
大人になってからたぶん4度ほど館山には来ているが「別荘」の場所にはいっていない。
今回の夏のひとり旅は、51年ぶりに思い出の場所を探すことが目的。

館山駅は、1999年に南欧風の赤い屋根の橋上駅舎に大改装されて、昔の面影は全くない。
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館山駅旧駅舎(1981年撮影)
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↑ そうそう、こういう駅だった。

駅前(東口)ロータリー。
きれいにはなっているけど、うっすら記憶がある。
駅前の建物は、そんなに変わっていないのではないだろうか?
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あっ、「中村屋」だ!
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この建物は、記憶がある。
1階がパン屋さん、2階が喫茶室、右側の塔のような部分が階段。

昭和30年代の館山で唯一の都会的な店で、夏の間、母や祖母に連れられて、よく来た。
懐かしい思い出の場所。

入ってみたいけど、今は別荘の場所を探すのを優先。
後で絶対に寄る。

さあ、探索。
駅前から、線路に平行した道を北に300mほど歩く。
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道の両側に沼があったはずだが、今は埋め立てられている。
突き当たって左折すると踏切がある。
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踏切を越えて歩いていくと、道の先に海が見えてくる。
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ここまでは記憶通り。
で、右折するのだが・・・どこだろう?
少し迷ったが、やはりここしかない。
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記憶では、曲がり角の両側は畑で、建物はなかった。

少し歩くと、別荘や企業の保養所があるはずだが・・・。
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その跡地らしき場所。
記憶では、舗装されていない、砂地の細いまっすぐな道。
途中に麦茶を飲める茶店があったはずだが、ない。
この道で間違いないはずだが、少し不安になる。

500mほど歩いて、あっ! ここだ。
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門の位置や建物は変わっているけど、松の木に記憶がある(もっとたくさんあった)。
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そうだ、57年前、私はこの道を、父母や祖母に手を引かれて海に向かったのだ。
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ちょっと失礼して、塀越しに覗いてみる。
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庭は50年前の面影を残している。
芝生の庭で、バッタを採った思い出がよみがえる。
右手に2階建ての主屋があり、正面の建物の場所に平屋の建物があった。
別荘の主である一族が使わない夏は主屋に、使う予定がある夏は元は使用人夫婦が住んでいた平屋の方を借りた。
私は暗くいかめしい主置よりも、明るい縁側があり風通しの良い平屋の方が好きだった。

別荘の前に、保養所のような施設があり、そこに植えられていた大きな蘇鉄の前で撮った写真がある。
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たぶん6歳だと思う。
場所は間違いなくここだと思うけど、空き地になっていて、蘇鉄はなかった。
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海に行く前に、ちょっと寄り道して線路の方へ。

生け垣に囲まれたこの道は、50年前は、まだ青い稲穂が揺れる水田の中の道だった。
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祖母に連れられ、この道で館山駅に向かうC57蒸気機関車が牽引する列車を見た記憶がある。
内房線(当時は房総西線)の木更津~千倉間の電化は1967年7月11日。
それに先立つ、7月10日に館山行き135列車さよなら運転(C57-105号機牽引)が行われた。

「綾部踏切」という踏切。
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館山駅の方向。
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戻って、海に向かう。
別荘の裏(海より)は、広い松林で「館山シーサイドホテル」の松林の中にバンガローが散在していた。
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↑ この感じ、記憶がある。
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幼い私は、この松林を渡る風の音、遠く聞こえる潮騒を聞きながら眠りについた。
(続く)
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8月30日(水)館山・センチメンタルジャーニー(その1:南房総・館山へ) [旅]

8月30日(水) 晴れのち曇り  館山  32.7度  湿度69%

6時、起床。
8時、家を出る
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東急東横線で横浜に出て京浜急行の特快に乗る。
金沢八景までは通勤と同じだが、今日は京浜久里浜駅まで。
バスで港まで移動し、東京湾フェリーに乗る。
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たぶん2度目だと思う。

10時20分、出港。
お客、多いとは言えない。
乗船率は2割ほどか。
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↑ 2階客席。1階客席はもっとガラガラ

デッキに出る。

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↑ 三浦半島。
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↑ 東京湾の出口。狭い・・・。

やっぱり海はいいなぁ。
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房総半島がだいぶ近づいてきた。
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11時、濱金谷港に到着(渡海所要40分)。
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JR浜金谷駅を目指して歩く。
電車の接続がとても悪い(約50分待ち)なのは事前に調べてわかっていたので、どこかの店で休憩しようと思っていた。
国道127号線(木更津~館山)沿いにドライブインがあった記憶が・・・。
あるにはあった、でも残骸ばかり・・・。
ものの見事に壊滅している。
そもそも国道127号線の交通量が少ない。8月なのに・・・。
(理由は後で判明)

11時15分、浜金谷駅に到着。
仕方なく古風な(当然、冷房はない)待合室で、12時05分発の下り電車を待つ。
気温はたぶん32~33度だと思うが、湿度が高く汗が出る。
水分補給をしながら読書。

12時になったので館山まで切符を買い(410円)、改札を入る。
跨線橋を上ったところで、構内放送「下り電車は21分の遅れです」。
え~~っ! 待合室の逆戻り。
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↑ 跨線橋の上から鋸山

12時28分、23分遅れでやっと電車がきた。
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12時49分、18分遅れで、ようやく、館山駅に到着。
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(続く)
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