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性社会史研究(遊廓・赤線・街娼) ブログトップ
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旧「赤線」安浦(横須賀市)の現状 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

6月18日(金)

先日(3日)、神奈川県立保健福祉大学にゲスト講義に行く途中、旧「赤線」安浦に寄り道。

ブルーのタイル装飾壁面やネオン看板の跡がのこる家は健在だった。
IMG_7822 - コピー.JPG
IMG_7824 - コピー.JPG

しかし、「赤線」時代の風情を残していた石畳の路地がアスファルト舗装になっていて残念。
地元の方の生活道路だから仕方がないのだが。
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同じ場所の舗装される以前の旧景(2008年撮影)。
安浦・石畳の路地&街路灯 (2) - コピー.JPG
当時、遊客の足元を照らしたおしゃれな街路灯は変わらず今も健在。

まだ舗装されていない別の路地。
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「復興、廃娼運動、法の整備でイメージと全然違う! 『鬼滅の刃』の「遊郭編」で描かれる大正時代の史実の吉原」 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

4月17日(土)
私が取材協力した記事。
「復興、廃娼運動、法の整備でイメージと全然違う! 『鬼滅の刃』の「遊郭編」で描かれる大正時代の史実の吉原」(「サイゾー premium」2021年04月16日配信)
https://www.premiumcyzo.com/modules/member/2021/04/post_10138/?fbclid=IwAR39UBAQ_swm2u0k93pubJwCBxWz6NCdoSS5e9FVADp6pc13W4cF5CTdPiA
でも、有料記事なので読めない・・・。
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東京の私娼街の歴史 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

4月11日(日)

館一平「夜の歴史は女が作る」(『千一夜』3巻7号、1950年7月)
1950年(昭和25)の古老(おそらく明治生まれ)の語り。
わずか1頁の記事で、東京の私娼街の歴史を簡潔に語っている
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①東京における私娼街の起源説。
明治5年(1872)4月5日の吉原大火で焼け出された女性たちが、浅草、向島、上野、両国方面に仮小屋を設けて営業を始めた。
その末裔が、浅草観音裏、浅草並木町~松葉町、上野山下~湯島天神下、両国橋~薬研堀、芝神明あたりの私娼になり、さらに浅草六区~千束町の「十二階下」の私娼街に結集する。

②東京における私娼街の規制と移転
大正5年(1916)、警視庁の丸山鶴吉保安課長が「銘酒屋」街(実態は私娼街)の一掃に乗り出す。
警察と業者の攻防のさなか、大正12年(1923)9月1日の関東大震災で、「十二階下」の私娼街は壊滅。
私娼街の業者は、拠点を隅田川の東の玉の井、亀戸に移動。
「エロ・グロ」全盛の世相に乗り、昭和4,5年~10年頃(1929~35)「蜘蛛の巣の如き魔境」はその爛熟期を迎える。

③ 壊滅と再生
昭和20年(1945)3月10日の東京下町大空襲で、新吉原も玉の井、亀戸も壊滅し焼け野原と化す。
その中から、「見るも華麗な幻想の天国(パラダイス)『鳩の街』」が出現する。
「街や巣に颯爽として艶姿を現はす天使(エンゼル)達は、みな悉く昭和生まれの彼女ばかりとなった。」

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長野県の遊郭 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

3月7日(日)

ちょっと気になって、長野県の遊廓を調べてみた。
起源的には、城下町と中山道、北国街道の宿場町が多く、わかりやすい。
中山道の木曽谷の宿場(奈良井、福島、妻籠、馬籠宿など)に遊廓が残らなかったのは、近世以降の衰退が顕著だったからだろう。

規模的には、長野、松本、上田、飯田の順で、現在の都市規模(人口)と同じ並び。
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全国遊郭一覧(1929年)より。貸座敷軒数と娼妓人数

長野市(鶴田新地) 32軒 252人 県庁所在地、門前町、北国街道善光寺宿
上田市(常盤城)   26軒 167人 城下町、北国街道宿場
松本市(横田)    20軒 108人 城下町
飯田町(二本松)   10軒 110人 城下町
平隠村(湯田中)   12軒  55人 温泉地 → 山ノ内町
坂城町(坂城)     8軒  59人 北国街道坂木宿
岩村田町(岩村田)  9軒  49人 中山道岩村田宿 → 佐久市
上諏訪町(高島)     8軒  50人 城下町、甲州街道上諏訪宿
下諏訪町(下諏訪)  7軒 42人 中山道下諏訪宿
塩尻町(塩尻)     9軒 30人 中山道塩尻宿 
長久保(新町)     4軒 18人 中山道和田宿 → 長和町
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街娼のシマとして新宿・渋谷は後発 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

2月11日(木・祝)

各務千代『悲しき抵抗』117頁に、
街娼のシマ(縄張り)として有楽町、新橋、上野、池袋に対して「最近出始めた新宿や渋谷」という記述があり、新宿と渋谷は後発であることがわかる。

同書の執筆は。1947年夏~秋ごろと推定される。

また、同じ箇所に、渋谷に「ヤシブ」とルビが振られているのを見つけた。
今まで、渋谷は「ブヤ」だと思っていた。

昭和戦前期~戦後混乱期に、愚連隊や「闇の女(街娼)」たちが使った、東京の地名の符牒(スラング)には、転倒系と省略形があり、前者だと「ヤシブ」、後者だと「ブヤ」になるということだろう。

参考までに、同書から列挙すると
浅草「エンコ」、上野「ノガミ」、有楽町「ラクチョウ」、新橋「バシン」、渋谷「ヤシブ」、新宿「ジュク」、池袋「ブクロ」、大宮「ミヤ」、横浜「ハマ」。

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それって、「テクスチュアル・ハラスメント」ではないですか? [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

2月8日(月)

女性が著者名の先駆的な著作を、男性が「これほどの作品を女性が書けるはずがない。偽作だ。男性が書いたものに違いない」と、決定的な根拠もなく決めつけることは、重大な「ジェンダーによる差別」であり、「テクスチュアル・ハラスメント」であることを、私は友人の小谷真理さんの裁判で学んだ。

しかし、その類の言説はいまだに横行している。
1940~50年代の「娼婦の自伝小説」にも同種の言説がしばしば見られる。
たとえば、各務千代『悲しき抵抗ー闇の女の手記ー』(1947年)や津田加寿子『男たちとの夜ー赤線女給十年の手記ー』(1957年)など。

「女に書けるはずがない、まして娼婦に書けるはずがない」という言説は、女性とセックスワーカーへの二重の差別だ。

たとえ、リライターが介在したとしても、元になる「語り」は存在したはずで、私はその部分を汲み取って、歴史資料として評価したい。


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9月17日(木)久しぶりの横浜 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

9月17日(木)  曇り  横浜  29.0度  湿度68%(15時)

10時、起床。
朝食は、ダークチェリーパイとコーヒー。
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13時半、家を出る。
14時半、久しぶりに横浜へ。
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昼食は、横浜・日本大通りの「横濱洋食 LUNCHAN AVENUE」でオムライス。
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味とお値段のバランス、高い天井の雰囲気が良く、この界隈に来るとき、何回か寄ったが、9月30日で閉店。
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原因は「コロナ禍」による客の減少とのこと。
もう日本、ほんとうに駄目になるのだな。

横浜に来た目的は「常盤とよ子追悼展」を見るため。
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「横浜都市発展記念館」4階常設展示室で「第一部:写真家・常盤とよ子の軌跡」(有料)、
旧第一玄関で「第二部:常盤とよ子が写した戦後横浜の女性たち」(無料)

常盤とよ子(1928~2019年)さんは、戦後日本の女性カメラマンの草分け的存在で、「赤線」時代の真金町、「青線」伊勢佐木町・末吉町界隈、そして本牧の「チャブ屋」街に生きる女性の姿を数多く撮影した。
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写真エッセー『危険な毒花』(1957年)は当時、大きな評判になった。
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会期は、9月22日(火・祝)まで。

山下公園へ。
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海を見ながら、つくづく世の中に居場所がないなぁ、もう生きていても仕方ないなぁ、と思う。
このまま、海に飛び込んじゃおうかなと思って、ちょっと覗き込んだけど、私、けっこう泳ぎが上手なのだ。
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このくらいの海だと、まず死にきれずに、人様に迷惑をかけるだけなので、止めにした。
また別の方法を考えよう。
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(メモ)明治末~昭和戦前期の売春形態(類型) [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

1月12日(日)

(メモ)明治末~昭和戦前期の売春形態(類型)
① 貸座敷(遊廓)における近代公娼制(娼妓監察&貸座敷許可制)下の売春。
東京府では新吉原、洲崎、品川、新宿、千住、板橋、調布、府中、八王子の9箇所。

② 私娼窟における非合法(実質、黙認)の売春。
東京府では、玉ノ井、亀戸など

③ 「盛り場」における「流し」(街娼)の売春。
非合法(「密売淫」で摘発対象)。
東京府では、浅草、銀座など(女装男娼もいる)。

④ スラム(貧民窟)における「素人」売春。
非合法(「密売淫」で摘発対象)だが、現実には警察の手が回らない。
 a 客が外部から入ってくる場合(私娼的)
  新宿「旭町」、板橋「岩の坂」、深川「猿江」など。
 b 客が貧民窟の住民の場合(相互扶助的)

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1月8日(水)報告レジュメを作る [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

1月8日(水)

11日(土)の「性欲研究会」(京都)の報告レジュメ「(資料紹介)旧・板橋宿「岩の坂」の密売春―「板橋」研究(その1)―」出来上がり。
「中ネタ」のつもりが、A4版12枚になってしまった。


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目録古書店「股旅堂」の紹介記事 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

12月24日(火)

「生き残る古本屋考」(東京古書店組合、2019年12月)というパンフレットに、私が10年来、お世話になっている性風俗関係資料専門の目録古書店「股旅堂」(吉岡誠店主)が紹介されていた。
生き残る古本屋考 (1).jpg生き残る古本屋考 (2).jpg
最初期からの顧客として、「股旅堂」の成り立ちがわかって、感慨深かった。

私の『新宿「性なる街」の歴史地理』は、「股旅堂」さんから購入した書籍・資料なしでは書けなかったわけで、さらなるご盛業を祈っている。

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