「性同一性障害の概念廃止」「『患者』からの解放」 [現代の性(性別越境・性別移行)]
公明党が「性的指向と性自認に関する政策推進」を官房長官に申し入れ [現代の性(性別越境・性別移行)]
6月20日(木)
公明党が「性的指向と性自認に関する政策推進」を官房長官に申し入れ。
「性同一性障害者特例法の見直し、特に子なし要件の削除を図ること。手術要件に関しては、国民的合意を得ることを前提に、その要件の削除についての検討に着手すること。」
http://www.m-taniai.net/info/21366?fbclid=IwAR2oT4HJREkYjsS2V5fgkkBn9EOOJjM_J_v9GS2aUpZWeQdu3UCq9sH2ZC0
与党である公明党が、「国民的合意を得ることを前提に」という条件付きではあっても「手術要件」の撤廃に言及した意義は大きい。
わずかだけど前進。
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公明党が「性的指向と性自認に関する政策推進」を官房長官に申し入れ。
「性同一性障害者特例法の見直し、特に子なし要件の削除を図ること。手術要件に関しては、国民的合意を得ることを前提に、その要件の削除についての検討に着手すること。」
http://www.m-taniai.net/info/21366?fbclid=IwAR2oT4HJREkYjsS2V5fgkkBn9EOOJjM_J_v9GS2aUpZWeQdu3UCq9sH2ZC0
与党である公明党が、「国民的合意を得ることを前提に」という条件付きではあっても「手術要件」の撤廃に言及した意義は大きい。
わずかだけど前進。
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「看護婦」と「看護師」 [お仕事(講義・講演)]
6月20日(木)
今日の看護学科のゲスト講義で、私が歴史的な話をするときは「看護婦」、現代の話をするときは「看護師」と使い分けていたことを、「とても感激しました」とコメントしてくれた受講生がいた。
私としては、用語・概念にこだわるのは学問的に当然のことなので、逆にびっくり。
なんでも、非常勤の先生の中には、いまだに「看護婦」「看護婦」としか言わない人がいるとのこと。
1学年約90人の中には、男子学生も5人ほどいるわけで、その前で「看護婦」を連呼したら、まずいのは当たり前だろうに。
ちなみに、看護師が男性患者から受けるセクシュアル・ハラスメントについて話したときに、「男性看護師も他人事ではありませんよ。患者さんの中にはゲイの男性もいますからね」と、ちゃんと言及した。
今日の看護学科のゲスト講義で、私が歴史的な話をするときは「看護婦」、現代の話をするときは「看護師」と使い分けていたことを、「とても感激しました」とコメントしてくれた受講生がいた。
私としては、用語・概念にこだわるのは学問的に当然のことなので、逆にびっくり。
なんでも、非常勤の先生の中には、いまだに「看護婦」「看護婦」としか言わない人がいるとのこと。
1学年約90人の中には、男子学生も5人ほどいるわけで、その前で「看護婦」を連呼したら、まずいのは当たり前だろうに。
ちなみに、看護師が男性患者から受けるセクシュアル・ハラスメントについて話したときに、「男性看護師も他人事ではありませんよ。患者さんの中にはゲイの男性もいますからね」と、ちゃんと言及した。
シャーマンを治療していいのか?問題 [お仕事(講義・講演)]
6月20日(木)
今日の「精神看護学Ⅱ」のゲスト講義の1コマ目「非典型な『性』の病理化と脱病理化」では、なにが精神疾患で、なにが精神疾患ではないかという線引きは、けっこうあいまいで、しばしば線引きは変わるという話をしてきた。
これは、群馬大学医学部「医療倫理」の講義で話している内容とほぼ同じ。
それと、精神疾患であっても、必ずしも治療しない方がいい例もあるのではないか?という話もした。
例として、神様が見える、神様の声(お告げ)が聞こえるという人は、しばしばシャーマン(神と人との仲介者)という職能をになう。
いない人が見える、いない人の声が聞こえるというのは、幻視・幻聴であって、そうした症状がしばしばあるということは、統合失調症の可能性がある。
で、精神科医が統合失調症の診断をしたとして、治療していいのか?
効果的な薬を投与した結果、幻視・幻聴の症状が消えたら、その人はシャーマンとしての職能を失ってしまう可能性が高く、QOLの低下につながってしまいかねない。
また、そのシャーマンのお告げを、生活の拠りどころにしていた人々も拠りどころを失ってしまう。
それでいいのだろうか?という話。
この話、女性シャーマン(ユタ)が現代でも社会的に機能している沖縄の精神科医の先生に「三橋さん、どう思う?」と意見を求められたことがある。
考えた末に「やっぱり、治療しない方がいいんじゃないですか」という返事をしたが、けっこう難しい問題。
看護師の卵の学生さんに通じたかな?
今日の「精神看護学Ⅱ」のゲスト講義の1コマ目「非典型な『性』の病理化と脱病理化」では、なにが精神疾患で、なにが精神疾患ではないかという線引きは、けっこうあいまいで、しばしば線引きは変わるという話をしてきた。
これは、群馬大学医学部「医療倫理」の講義で話している内容とほぼ同じ。
それと、精神疾患であっても、必ずしも治療しない方がいい例もあるのではないか?という話もした。
例として、神様が見える、神様の声(お告げ)が聞こえるという人は、しばしばシャーマン(神と人との仲介者)という職能をになう。
いない人が見える、いない人の声が聞こえるというのは、幻視・幻聴であって、そうした症状がしばしばあるということは、統合失調症の可能性がある。
で、精神科医が統合失調症の診断をしたとして、治療していいのか?
効果的な薬を投与した結果、幻視・幻聴の症状が消えたら、その人はシャーマンとしての職能を失ってしまう可能性が高く、QOLの低下につながってしまいかねない。
また、そのシャーマンのお告げを、生活の拠りどころにしていた人々も拠りどころを失ってしまう。
それでいいのだろうか?という話。
この話、女性シャーマン(ユタ)が現代でも社会的に機能している沖縄の精神科医の先生に「三橋さん、どう思う?」と意見を求められたことがある。
考えた末に「やっぱり、治療しない方がいいんじゃないですか」という返事をしたが、けっこう難しい問題。
看護師の卵の学生さんに通じたかな?