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1953年の男装者たち―『アサヒグラフ』1953年(昭和28)3月11日号「女装ゴメン党」― [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

5月19日(月)
手元に『アサヒグラフ』1953年(昭和28)3月11日号(朝日新聞社)がある。
私が生まれる2年前に発行されたもので、表紙になっている縁側でお手玉遊びをする2人の少女(姉妹?)の写真にとても懐かしいものを感じる。
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しかし、今の関心はそれではなく、24~25頁の「告知板」という見開きコーナーに掲載された「女装ゴメン党」という記事だ。
一見して分かるように、男装短髪の女性7人を紹介した内容。
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まず、男装短髪の女性を紹介した記事の表題が「女装ゴメン党」であることに違和感を覚える人がいるのではないだろうか?
「女装」という言葉の意味を「男性が女性の装いをすること」とだけ認識している人には、この表題が理解できないと思う。
ここで使われている「女装」の意味は「女性の服飾(いでたち)」という意味で、こちらの方が、本来の、第一義的な意味である。
(参照) 三橋順子「女装」(井上章一+関西性欲研究会『性の用語集』 講談社現代新書 2004年12月)
つまり、「女装ゴメン党」とは、女性の服飾をするのは「御免(拒絶する)」女性たちという意味だ。
「女装」という言葉は、下記のリード文の中でも「世の女装群のただ流行に追随するのに汲々たる有様」と出てくる。この「女装群」は「女性の服飾をしている(一般の)女性」という意味だ。
1953年頃は、「女装」という言葉が、「女性の服飾」という意味でまだ注釈無しで通用していたことがわかる。

さて、この記事は、冒頭に次のような長いリード文を掲げる。
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女性の地位の向上は、誠に目覚ましい限りであって、時と処を選ばず男群を尻目にかけることも屡々(しばしば)であり、はてはアメリカの兵隊など男性を廃業するの挙にでるなど、精神、外観両様の上でも甚だ男女相接近した御時世ではあるが、宝塚の舞台なら兎も角、ふと行きずりの街角や、何気なく訪れた部屋の片隅で、男装断髪の女性に出会うと、やはりギョッとするのが人情であろう。男装の理由は、表面上は一応経済的とか活動に便利などとはいうものの、根底には「私にはこれがよく似合う」という女性共通の強い本能が働いていること歴然、それなりにお洒落もし手入れもして、世の女装群のただ流行に追随するのに汲々たる有様を超然と見くだす。なべてこれ未婚、未だジョルジュ・サンドたるや神功皇后たるやは知らず、一二の例外を除き殆んどが酒、煙草に親しみ、挙動活発、勿論男性をしのぐ社会活動に多能である。
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このリード文だけでも、当時の男性の女性に対するジェンダー観がよく表れていて興味深い。
男装短髪する女性の事情が「経済的とか活動に便利」にあるいうことを知っていながら、「根底には『私にはこれがよく似合う』という女性共通の強い本能」に還元してしまう。
その証拠として「それなりにお洒落もし(服の)手入れも」していることが挙げられる。
つまり、本物の男はお洒落や服の手入れはしない、そんなことに気が回るのは、どんなに男を装っても所詮、装うことが本能の女の範疇から出るものではない、という当時のジェンダー観が見える。
また、「酒、煙草に親し」むことが、「女らしいくない」「男らしさ」の指標の1つになっていることがわかる。
酒はともかく、煙草に関しては、1965年の喫煙率が男性82%であるのに対し女性は16%で大差があり(2013年は32%:10%)、そうしたジェンダー観も仕方がなかったのかもしれない
ちなみに、リード文中「アメリカの兵隊など男性を廃業するの挙にでる」とあるのは、この時期(1952年末~53年初)に大々的に報道されたアメリカ陸軍兵士ジョージ・ジョルゲンセン2世(George JorgenseⅡ、女性名:クリスチーヌ Christine、1926~1989年)の男性から女性への性転換手術のことである。

紹介されている7人の方は、全員、職業をもっている。
当時の言葉でいえば「職業婦人」ということになる。
年齢は34~52歳。
50代の2人の生年は明治時代末期、40代の2人と30代の3人は大正時代。
既婚の人はいない。
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(1)自由党婦人部長 後藤俊子さん(51歳
時期:「昭和七年(1932)から」→30歳くらいから
理由:「活動に便利」
服装:ブラウスに背広なのでネクタイはしない
散髪:2月に3回
酒・煙草:酒はほとんど飲めない、喫煙
居住形態:友達2人と3人暮らし
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(2)特許弁護士 井上清子さん(47歳)
時期:「昭和十年頃(1935)から」→29歳頃から
理由:「活動に便利」
服装:背広10余着、ネクタイ数10本
散髪:月に3回
酒・煙草:ウィスキーが大好き、煙草は1日1箱
居住形態:姉と同居
趣味:将棋

(3)主婦連合会総務部長 春野鶴さん(38歳)
時期:男物のズボンは上海からの引き上げ船中で →昭和21年から=31歳から
大陸に渡る以前から髪は「刈り上げ」にしていた。
理由:「食うために働くのに便利」「起床から外出まで3分間」「夜の暗い道でも安全」
服装:背広2、3着、ネクタイ40~50本
散髪:月に3回
酒・煙草:自宅では1合、宴席でも。煙草は1日1箱
居住形態:記載なし
備考:春野鶴(1915~1981年) 昭和戦後期の消費者運動家。本名、春野鶴子。長崎県出身、長﨑女子師範卒業。1938(昭和13年)上海に渡り『婦人大陸』を編集。1946年日本に帰り新聞記者となる。奥むめおに共鳴して1950年主婦連合会に参加し、政治部長を経て、1957年副会長。著書『私は中国の兵隊だった』(学風書房、1958年)
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(4)(愛知県)碧南市市議会議員 内田あぐりさん(52歳)
時期:「男装断髪生活十九年」 →昭和9年頃?から→33歳から
小学校教員時代、生徒の虱(しらみ)駆除のため「率先垂範」
理由:「レジスタンス、貧乏たらしさを世間に見せつける」
服装:上着1着、ズボン1本、ネクタイ1本
散髪:月に1回
酒・煙草:酒はチョコ2杯、喫煙
居住形態:未婚

(5)書籍編集(河出書房勤務) 江口 幸さん(41歳) 
時期:「昭和十九年以来」 → 32歳から
理由:「便利でもあり似合いもする」
服装:背広7、8着、ネクタイはあまり使わない。
散髪:月に2月に3回
酒・煙草:煙草は1日20本、酒も好き。
居住形態:友人と二人暮らし
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(6)提琴家(バイオリン奏者)桑沢雪子さん(38歳)
時期:「幼時はズボンをはいて玩具の刀を振廻すのが好きだった」 
理由:「(演奏会の時)最初の頃はイヴニングででていたんだけど毎回かえなくちゃならないので大変なのでタキシードにしたの」
「男装が気楽」
服装:背広2着
散髪:記載なし
酒・煙草:煙草は1日20本、ビールが好き。
居住形態:友人と二人暮らし

(7)カメラマン(共同通信社) 高橋千代さん(34歳)
時期:「昭和二十三年から」 → 29歳から 
理由:「似合うから」「カメラマンって仕事は地べたにねそべらなきゃならない時もあるし…経済的にも安上がりだし」
服装:背広2着、替ズボン5本
散髪:記載なし
酒・煙草:煙草は1日20本平均、酒は一滴も駄目。
居住形態:未婚

7人とも、幼少期や少女時代から男装していた人はいない。
興味深いのは、男装を始めた時期が判明する6人が29歳、29歳、30歳、31歳、32歳、33歳と、30歳前後で共通していること。
当時の女性のライフサイクルは、遅くても25歳までに結婚するのが一般的で、未婚のまま25歳を越えれば「老嬢」扱いだった。
つまり、女性として一般的だった結婚→家庭婦人の路線をたどらずに未婚の職業婦人として生きることを選択したことと、男装短髪スタイルを採用したことと、関係するように思う。
つまり、戦後日本社会の中で、女性が男性と同様な仕事をしていこうと考えた際に、男装することはひとつの便利かつ有効な方法だったのではないだろうか。
歴史的に見ても、女装と異なり男装には「女性としての社会的制約を超越する」という目的があった。
そうした男装の機能の1つを使うことが1953年の日本社会では必要だったということ。
それだけ男尊女卑の社会だったということだ。

ところで、ちょっと気になることがある。
居住形態で「友人と二人暮らし」という人が2人いる(「友人と三人暮らし」という人も1人)。
この「友人」は、当時の社会常識に照らして「男性の友人」ではなく「女性の友人」だろう。
セクシュアリティについては、記事ではまったく触れられていないが、やはり、レズビアンの可能性を考えてしまう。

ともかく、1953年(昭和28年)3月という時期は、まだ朝鮮戦争が終わっていない。
他の頁には「朝鮮前線の機動医療隊の写真記事もある。
そんな戦後の社会的混乱から徐々に抜け出し、高度経済成長前夜の日本社会における男装者の存在を伝えてくれる貴重な記事だと思う。
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相沢一子

男の服の方が楽って事なんですね。

戦後すぐにこういう女性が多くいたというのに興味が持てます。

私の妻もそんな感覚だと思いますが男装・女装をしたいというより
おしゃれに対する価値観なのかもしれませんね。

戦争が終わり女性が社会に進出するようになって
価値観に変化が現れた象徴のような気がします。


by 相沢一子 (2014-05-19 20:52) 

伊東聰

こういう特集もあったんだなーと大変興味深いところです。

個人的な感想では「男の服のほうが楽」といういいわけはこの時代のはやりですが、「いいわけ」にすぎないとおもいますね。
「男装したい」が前提で、でも世間を納得させられないから、もってきたいいわけみたいな。

男装するためのいいわけも興味深いとおもいます。

女装のいいわけとは違う?女装者はいいわけがなく、「自分がそうありたいから」とストレートな気がします?

そのあたりはどうなのでしょうか?

あと友人二人暮らしという生活パターンもおきまりの形のような気がします。
すべてが同性愛関係ではないかもしれないけれど、こういうのは個人の日記
などでないとわかりにくい部分ですね。


by 伊東聰 (2014-05-20 07:21) 

月村朝子

とても興味深い資料ですね!
これらの写真の女性たちを見ると、男装のほうが活動しやすい等の利点はもちろんですが 男装の麗人といわれた川島芳子など 目指すイメージのモデルに対する共感や憧れを含んだ、ミーハーな気持ちも多少あったのではないかな、と感じました。そんなアイコン的存在は、男装・女装関わらず、各時代のあらゆるジャンルに存在すると思います。その時代の世間一般の価値観から逸脱したアイコンが、一歩先の時代を体現していると思うので、こういう資料を見るとワクワクします^^
by 月村朝子 (2014-05-20 09:12) 

YUKO

本来、社会的に劣る評価の方に流れる(現在でも社会の基礎は男尊女卑ですよね)MtFより高い評価の方に流れるFtMの方が意味合いとして自然であると思ってましたので、この辺の記事は興味深いですね。反発して男装する女性像もわかりやすいし、それをとりあげるマスコミの態度も非常にわかりやすい上から目線の男性論理で面白いです。
by YUKO (2014-05-20 11:45) 

三橋順子

相沢一子さん、いらっしゃいま~せ。
>男の服の方が楽って事なんですね。
まあ、実質的にはそうでしょう。化粧しなくていいだけでもかなり楽かも。
ただ、ちょっと言い訳っぽくも聞こえます。

>戦争が終わり女性が社会に進出するようになって
価値観に変化が現れた象徴のような気がします

こういう人、戦前にもいたとは思うのですが、やはり目立つようになるのは戦後期でしょう。
敗戦によって、いろいろな社会体制や価値観が揺らぎ、絞めつけていた枠が緩んだことが、非典型な人たちを自由にしたことは間違いありません。
by 三橋順子 (2014-05-21 04:02) 

三橋順子

伊東聰さん、いらっしゃいま~せ。
>「男の服のほうが楽」といういいわけはこの時代のはやりですが、「いいわけ」にすぎないとおもいますね。
「男装したい」が前提で、でも世間を納得させられないから、もってきたいいわけみたいな。

まあ、そうかもしれません。
この7人の方は、それぞれに、やはり男装する必然性があったのだと思います。「男の服の方が楽」という理由は、後付っぽいです。
ただ、男装する必然性としては、女性に架された制約を越えるという側面が強く、セクシュアリティ(レズビアン)の側面は、時代の制約からして、表には出せなかったのだと思います。

by 三橋順子 (2014-05-21 04:07) 

三橋順子

月村朝子さん、いらっしゃいま~せ。
昭和戦前期に「男装の麗人」イメージを作ったのは川島芳子と松竹歌劇の男役スター「ターキー(水の江瀧子)」でした。
この2人の時代のアイコンとしての役割、ちゃんと再評価すべきだと思います。
昭和元~12年くらいの時期は、文化的にとても面白い時代で、戦後のなって注目されるようないろいろな事象がすでに出てきています。

by 三橋順子 (2014-05-23 11:43) 

三橋順子

YUKOさん、いらっしゃいま~せ。
そうなんです。社会的地位に大きな男女差がある男尊女卑社会の場合、男装は社会的地位の上昇、女装は地位の下落につながります。
現在の日本ですら、まだまだそういう傾向はあるわけで、まして1953年とかだったら、そうした要素はとても大きかったと思います。
おっしゃるように、わかりやすいと言えば、わかりやすい時代です。
男女平等の建前が浸透している現代の人の中には、女装と男装を同じ水準線上の水平移動のように考える人って結構いますが、現実を見てないと思います。実際には、程度の差はあれ、上昇・加工のの要素をもつ斜め移動なのです。

by 三橋順子 (2014-05-23 11:49) 

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