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新宿「千鳥街」を探して(その1) [性社会史研究(一般)]

新宿「千鳥街」を探して

1 新宿2丁目の「新千鳥街」
新宿二丁目「ゲイタウン」のど真ん中、仲通りと花園通りの信号がある交差点を靖国通り方向(北)に少し行った1つ目の路地の角(北西)にこんな建物がある。
かなり古い2階建ての建物で、仲通りに面した一部分だけが3階建てになっている。
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仲通り側の入口はこんな感じで、建物の中に通路があることがわかる。
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建物の軒を見ると、こんな看板が出ている。
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「新千鳥街」、「街」って言われても、どこが「街」?って思ってしまう。
内部はこんな感じで、十字形(縦棒の下の先が仲通り)の通路(正確には十の横棒の右側に短い縦棒)があり、その両側に小さな飲み屋さんが何軒も並んでいる。
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つまり、この建物そのものが「新千鳥街」という飲み屋街なのだ。1、2階合わせて30軒ほどの店があり、そのほとんどがバー。
以前は「ゲイタウン」の真ん中でヘテロセクシュアルの飲み屋街として頑張っていたが、近年はゲイ系のお店の進出が著しい。
さて、「新千鳥街」と言うからには、オリジナルの「千鳥街」があったはずだ。
オリジナルの「千鳥街」が区画整理で立ち退きになり、一部の業者が2丁目の「赤線」跡地に移転して作ったのが「新千鳥街」であるということは、何人かの方から聞くことができた。
ところが、移転前の「千鳥街」の場所が正確にはわからない。
以前、歌舞伎町でお手伝いホステスをしていた頃、昔の新宿に詳しいオジさま(男性客)に「千鳥街ってどこにあったのですか?」と聞いたことがあった。
「ああ、千鳥街な、あれは新宿高校の近くだよ」
という返事。
もう少し詳しく聞きたかったが、オジさまはもう酔い呆けていて駄目だった。

2 「千鳥街」を探す 
私がなぜ「千鳥街」にこだわるかというと、そこが新宿において、花園神社裏の「ゴールデン街・花園街」(歌舞伎町1丁目)と並んで、早い時期(1950年代)にゲイ・バーが立地した飲み屋街だからだ。
たとえば、のちに新宿のゲイバー業界で老舗となる「蘭屋」(前田光安マスター)は、1954年に銀座から「千鳥街」に移転してきた。「蘭屋」はすぐに(1955年頃)要通り(現在は3丁目だが当時の地番は2丁目)に移転してしまうが、新宿移転に際して選んだ場所が「千鳥街」だったことは興味深い。
「千鳥街」は「ゴールデン街・花園街」よりも、現代の「二丁目・ゲイタウン」にずっと近く、1960年代の「ゲイタウン」の成立と関係する可能性がある。
先日、必要があって1960年代の風俗雑誌の記事を見直していて、西塔哲「新宿のメケメケ・バー(『風俗奇譚』1964年4月臨時増刊号)に次のような記述があることに気づいた。
新宿の女装系ゲイバーの立地について「これらの店が、南から、千鳥街、二丁目、歌舞伎町、花園街、区役所通りの限られた狭い地区に密集している」とし、千鳥街にあった女装バーとして「ジミー」「ポケット」「みのる」「ジュリアン」「ひとみ」「黒い瞳」の6軒があげられている。
この記事から「千鳥街」にある時期、女装系ゲイバーが数多く立地していたこと、その場所は「二丁目」より南側であることがわかった。
この「二丁目」は行政区画としての新宿2丁目というより、南を新宿通り、西を御苑大通り、北を靖国通りに画されたエリアを指していると思われる。となると「千鳥街」は新宿通り南側、新宿通りと新宿御苑との間の細長いエリア(現:新宿2丁目1~5番地)に在ったと推定される。さらに先の「新宿高校の近く」というオジさまの証言を踏まえると、西寄り(5番地)の可能性が強い。
そして、このエリアで区画整理により大規模な立ち退きが行われた可能性がある場所としては、現在の御苑大通りの新宿通り南側の路面しかない。
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↑ 赤い線の範囲が新宿2丁目5番地。右上隅の薄緑色が「新千鳥街」があるビル。
御苑大通りは環状5号線の一部として計画され、新宿通り北側から靖国通り南側までの区間(新宿二丁目交差点~新宿五丁目東交差点)は、戦後復興期に、それまで新宿通りを西に直進していた新宿駅前に至っていた都電の線路を靖国通りに引き込むための連絡道路として建設された。
そのルートは、新宿2丁目にあった新宿遊廓(1945年5月25日の山の手大空襲で焼失)を分断している。
1947年(昭和22年)の航空写真ではまだ形跡はなく、1949年(昭和24年)には都電の路線変更が実施されているので、設置はその間ということになる。
しかし、新宿通り南側(新宿二丁目交差点~国道20号線=甲州街道バイパスとの接続点)への延長は、大幅に遅れて、少なくとも1963年には実現していなかった。
ここまで判れば、あとは地図を当ればいい。
1963年(昭和38年)版の新宿区の住宅地図の該当部分はこんな感じである。
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『新宿区 1963年度版』 (住宅協会地図 1963年11月)

新宿通り南側の路面予定地(黒線の間)の西側に南北に延びる路地が2本あり、その両側に小さい店が密集している。
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店の名があまりに小さく、拡大しても印刷がにじんでいてはっきり読めないが、かろうじて「バー」という文字が読みとれるので、多くは飲み屋と思われる。

1963年の航空写真には、こんな感じに写っている。
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拡大写真では、2本の路地が新宿通りと新宿御苑北側の道路を結んでいることがわかる。
路地の間の建物は、屋根の形態からして棟の下を壁で仕切り背中合わせに店舗を設け「平側」の両面をそれぞれの入口にする長屋形式と推測される。こうした建物の形態は、現在でも新宿歌舞伎町1丁目の「ゴールデン街」「花園街」(昭和26年=1951年の建築)に残っている。
2本の路地には東側から道路が直交している。この東西道路は甲州街道(新宿通り)に平行する宿場の南側の裏通りで、現在も残っている。
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↑ 東西道路の現状。入口に小さなアーケードがある(2013年5月7日撮影)。
いつのものだろう?

以上のような状況から、私はこの2本の路地が「千鳥街」であった可能性が高いと推定した。

3 「千鳥街」であることの検証
次に「千鳥街」の写真はないかと探してみた。
すると、池田信撮影『1960年代の東京―路面電車が走る水の都の記憶―』(毎日新聞社、2008年)にこんな写真があった。
千鳥街7 (2).jpg
962年(昭和37)7月17日撮影で、解説には「新宿高校裏手の千鳥街。新宿2丁目。道路拡張に伴う区画整理で立ち退かされ消滅した。現在、同じ2丁目の別の場所に新千鳥街がある」とある。
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路地の奥には「千鳥街」と書かれたアーケードがあり、よく見るとその間に都電が写っているので、南から北へ、新宿通り方向を写した写真であることがわかる。
路地の右(東)側には「トリスバー 牧」、「お茶漬け おでん おにぎり 松葉」「雪」「バー ケント」「五十円飯店黄河」「さくらん(ぼ)」など、左(西)側には「やなぎ」「久松」「きむら」(「き」は「七」を3つ組み合わせた字体)の看板が見える。
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前掲の住宅地図には、欄外に地図のAの部分の拡大図がついているが、左列の「牧」「松葉」「雪」「さくらんぼ」が写真と一致する(「バー ケント」と「五十円飯店黄河」は一致しない)。
さらに拡大図は無いが、「やなぎ」「久松」「きむら」の所在も地図上で確認でき、この路地が「千鳥街」の2本の路地の内、西側の路地を写したものであることがわかる。

もう1点。新宿歴史博物館編『新宿区の民俗(3)新宿地区編』に掲載されている写真。
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路地の奥に「千鳥街」と記したアーケードがあり、右側に「ケート」「三臺」「もみじ」「きむら」、左側に「船小屋」「さくらんぼ」「五十円飯店(黄河)」の看板が見える。
こちらの写真は、店の並びからして、先ほどの写真と同じ西側の路地を逆方向から、北から南へ、新宿御苑方向を写した写真であることがわかる。
路地の新宿御苑側の入口にもアーケードがあったことが確認できる。

以上の検討から、「千鳥街」は、新宿2丁目の新宿通り南側(現在、御苑大通りの新宿通り南側の路面)にあった飲み屋街で、1962年7月までは存在したが、その後、道路計画の実施によって立ち退かされ消滅したことが判明した。

【追記】 続きは「新宿『千鳥街』を探して(その2)」をご覧ください。
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-06-28
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マミー

私も30年ほど前は2丁目によく出没しておりました(笑)私はもうすぐ50代にさしかかる女ですが、20数年前に結婚し、大学生の息子もおります。でも何故かゲイが好きで、ゲイの男を好きになり悲しい思いも致しました。『あんたはオカマにくっつくオコゲよ!』と良く言われていました。雨上がりの2丁目を友達と酔っぱらってふらついたあのころ、本当に人生で一番楽しかった。大分たってからあの頃の友と又行ってみたのですが、なんだか様変わりしてて、”ゲイリブ”ですか?そんな人達のパワーが異常に強く、あんた達なんてとっとと出て行って!!みたいな感じがとても寂しかったです。私はどちらかというと男っぽくて、レズのケがあるのかもしれませんが、年上の少々乱暴な?女性に引かれます。もちろん髪はショートよ!ゲイ、レズどちらにせよ、この世に産まれて人類を2倍楽しむお得感が私は好きです。 
by マミー (2013-05-07 11:54) 

三橋順子

マミーさん、いらっしゃいま~せ。
30年ほど前と言うと1980年代ですね。2丁目も活気があった頃だと思います。
>なんだか様変わりしてて、”ゲイリブ”ですか?そんな人達のパワーが異常に強く、あんた達なんてとっとと出て行って!!みたいな感じがとても寂しかったです
私は2丁目はほとんど行ったことが無いので、具体的な変化はわかりませんが、想像はつきます。
ただ、基本的な話として、ゲイの人の多くはマッチョ好きで女性嫌悪(ミソジニー)が強いので、女性がゲイを好きでも、あちらは嫌いという場合が多いのです。そこらへん、世の中のゲイ・イメージが女性的な方向に歪められているための誤解があるように思います。

by 三橋順子 (2013-05-09 11:38) 

Xグン

>ゲイ、レズどちらにせよ、この世に産まれて人類を2倍楽しむお得感が私は好きです。

それはゲイ・ビアンではなく、バイです。ゲイやビアン、そしてヘテロはモノセクシュアルで、2倍は楽しめません。モノセクではない方は理解できないのかもしれませんが、ゲイやビアンは異性には生理的な嫌悪感を覚えます。ヘテロが我々ゲイやビアンに嫌悪感を抱くのと同じことです。

お笑い芸人の綾部さんと西森(モンスターエンジン)さん、澤部さんの3人が女装バーの店子役で、ゲストにクリスさんとミッツさんらを迎え、ゲイバーの女性客は迷惑という話になった時、「AVコーナーに彼氏が彼女を連れてくるようなものですか?」と綾部さんがいい、その時、西森さんと澤部さんが「あれ嫌、あれは嫌ね」と思わず口を揃えていっていました。全くその通りで、ゲイもゲイバーやゲイショップの中に女性が入ってくるのは「生理的に」凄く嫌なのです。レイプされたような気持ちになります。ミソジニーというより、同性愛者に異性愛者がセクハラしているのであり、同性愛者が権利を侵害されているのだと私は理解しています。もしヘテロ女性がホストクラブにいって、店内がビアンだらけだったらと想像してみてください。ヘテロ女性がビアンから言い寄られて不快になるのと同じことです。そのことはご理解ください。

と、マミーさんへの返信が長くなりましたが、三橋さんの渾身のレポ、読み応えがありました。私も昔、2丁目の歴史を調べたことがありましたが、とても勉強になりました。
by Xグン (2013-12-01 01:06) 

三橋順子

Xグンさん、いらっしゃいま~せ。
「ゲイタウン二丁目」の成立過程、少しずつですが調べていこうと思っています。

by 三橋順子 (2013-12-01 01:41) 

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