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1月10日(日)ちょっと遅い初詣は、寒川神社へ [お出掛け・お遊び]

1月10日(日)  晴れ  海老名  13.1度 

ちょっと遅い初詣。
今年は、相模国一の宮、「八方除(はっぽうよけ)」のご利益で知られる寒川神社へ。

実は私、埼玉県→東京都→神奈川県と住まいを移しているが、旧国では武蔵国からほとんど出たことがない。
 武蔵国秩父郡(出生)→武蔵国大里郡(高校)→下総国葛飾郡(2年間)→武蔵国豊嶋郡(3年間)→武蔵国荏原郡→武蔵国橘樹郡

なので、相模国の神様にご挨拶する機会は今までなかった。

で、家猫さんに「今年はどこに初詣に行こうか?」と尋ねたら「寒川神社に行ってみたいにゃ」と言うので、出掛けることにした。

初めてJR相模線に乗る。
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茅ヶ崎駅から4つ目の宮山駅で降りる。
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思っていたよりずっと小さな駅だった。

歩くこと10分足らずで、寒川神社に到着。
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ご祭神は、寒川比古命 (さむかわひこのみこと)と寒川比女命 (さむかわひめのみこと)。
記紀神話とは無縁な典型的な地祇(くにつかみ)系の神社。
おそらく相模川流域に蟠踞した豪族(相模国造)が祀った神だろう。

文献的には、平安時代前期、仁明天皇の承和13年(846)に従五位下を授けられたのが初見(『続日本後紀』。
『延喜式』の「神名帳」には、「相模国高座郡 寒川神社 名神大」と記載されている。
相模国の式内社では、唯一の名神大社。
『吾妻鏡』には「一宮佐河大神」と記載があり、鎌倉時代には、相模国の一宮とされていた。

なぜか「ねぶた」が飾られた立派な神門をくぐって境内へ。
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三が日、松の内は混むだろうと外して、今日にしたのだが、それでも、考えが甘かった。
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拝殿に到達するまで20分ほどかかった。
まあ、それでも三が日とは比べ物にならないのだろうけど。

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↑ 参拝を終えて

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↑ 拝殿の前にある渾天儀(こんてんぎ)。
新しいものだが、解説によると「方位神によるあらゆる悪事災難を除く方災厄除の神」とある。

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↑ 「八方除」の御守。
渾天儀にしろ、この御守にしろ、明らかに陰陽道が入っている。
いつ習合したのだろう?

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↑ かなり伝統的な「高市(たかまち)」が出ていた。
近年、露店規制が厳しくなっているが、ぜひ続けてほしい。

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↑ 寒川大橋の近くの双体道祖神(文政11年=1829)。

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↑ もう紅梅が花盛り

帰りはJR相模線で海老名に出て、相模鉄道で横浜へ。
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↑ 相模鉄道も乗るのは初めて?。

お正月の3連休ということで、どこもかしこも人が多く、ちょっと人疲れしたが、お天気が良く温かったので。まずまず良い初詣だった。


10月14日(水)「チェロキー寄席」で入船亭扇辰師匠の噺をきく [お出掛け・お遊び]

10月14日(水)  曇りのち晴れ  東京  23.2度  湿度40%(15時)

東急東横線学芸大学駅東口のオーガニック・レストラン&バー「Cherokee(チェロキー)」(佐藤 友起子ママ)が、斜め向かいのビルの地下に「Cherokee LIVE TAVERN」をオープン。
そこで月1回「チェロキー寄席」を開催することに。
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14日(水)「こけら落とし」(第1回)は、地元在住で「Cherokee」の長年の常連客である入船亭扇辰師匠。
「Cherokee」で扇辰師匠に会って、高円寺の「ノラヤ寄席」で何度か噺を聞いてすっかりファンになった私としては、聞き逃すわけにはいかない。

18時45分、学芸大学駅でおゆうちゃんと待ち合わせ。
まず西口の「学芸大・やぶそば」で腹ごしらえ。
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↑ ごまだれ・せいろそば(930円)
19時半、駅東口徒歩3分ほどの会場へ。
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この場所、以前は、ちょっとおしゃれな居酒屋だったと思う。
15年くらい前に友人と数回入ったことがある。
たしか「おちあい」という店だった記憶が・・・。
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↑ 会場入口。
地下のホールは、通常30席ほど。
今日は満席+立ち見10数人の大盛況。
友人のぷくらむくらさんとおゆうちゃんの3人で、高座の真下というほんとうのかぶりつき席を確保。
前口上は、15年ほど前、「チェロキー」のママのお父様の告別式のお斎(とき)の席で、いろいろな成り行き(酔っぱらった親族の要望に葬儀会社が悪乗り)で一席、噺すことになった思い出。
そんなことってあるんだ!と驚きながら、大笑い。
師匠、その時、何を演ったのだろう?

1席は「一眼国(いちがんこく)」、2席は師匠の十八番の1つ「百川(ももかわ)」。
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師匠、汗が飛ぶほどの大熱演。
やっぱり、うまい!。
「いよぉ、日本一!」と掛け声を飛ばしたくなる。

お腹の傷の痛みに耐えながら、たくさん笑って、楽しい夜だった。

第11回キャンディ・キャンディ展(藤沢「睦月堂」) [お出掛け・お遊び]

9月19日(土)
「湘南の海を見に行く」の中略部分。

15時、江ノ電石上駅前の「喫茶・睦月堂」(作家の睦月影郎先生の店)で開催中の「第11回キャンディ・キャンディ展」(主催:キャンディ・ミルキィ師)へ。

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↑ 会場は石上駅のホームから見える。
線路沿いに藤沢駅から歩いても10分ほど。
23日まで。
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↑ 睦月先生の音頭で乾杯。
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↑ お酒もキャンディ・キャンディ。
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↑ グラスもキャンディ・キャンディ。
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↑ 主催者のキャンディ・ミルキィ師。
お祝いのケーキを手に。
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↑ 今回の目玉。
ほぼ等身大(130cm)のキャンディ・キャンディ人形のお披露目式。
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↑ パチパチパチ(拍手)
う~ん、キャンディはキャンディでも、ミルキィが混じっている気がするなぁ。

会場には、ファンにとっては、たまらなく懐かしい物がたくさん展示されている。
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↑ いがらしゆみこ先生サイン入りの『なかよし』。
キャンディ師によると「時価200万円」とのこと。
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↑ 外国語版いろいろ。
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↑ 高齢、じゃなく、恒例のスリーショット。
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↑ 17時、辞去。
石上駅のホームから撮影。

こじれにこじれていた原作者(水木杏子さん)と作画者(いがらしゆみこさん)の著作権問題、キャンディ師の努力もあって、少し薄日が差してきたらしい。
キャンディ・キャンディを愛するファンのためという視点に立って、早く解決してほしい。

Y先生を囲んで新宿で飲み会 [お出掛け・お遊び]

5月12日(火)
(続き)
18時、新宿西口へ。
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↑ 明らかに雲行きが怪しい。
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↑ おっ、ここだ。

Y先生だで集まるのは何年振りだろう、5年、いやもっと・・・。
私が勝手に恩師と思っているY先生もお元気で何より。
せめて1年に1度くらいは集まりましょう、ということでお開き。

2時間半ほど、飲んでいる間に大雨に(東京の日降水量58.5㎜)。
地下道を通ってJR新宿駅へ。
Y先生と新宿駅21時43分発の湘南新宿ラインに乗る。
22時05分に武蔵小杉駅に着いたところで、「22時03頃、鎌倉~逗子駅間で人身事故」のアナウンス。
次の電車は武蔵小杉駅で運転見合わせ。
大雨の中、電車が止まってしまった人はたいへん。
保土ヶ谷までお帰りになるY先生、大丈夫だったろうか?

駅構内を南武線口まで歩いて、北口のタクシー乗り場に並ぶ。
タクシーの回転が思ったより早く、あまり濡れない内に乗車。
でも、門から玄関までのわずか5mでかなり濡れてしまうほどのすごい降り(22時代の雨量33.5㎜)。

22時半、帰宅。
就寝、2時半。

「はるは愛さんを囲む会」 [お出掛け・お遊び]

4月30日(木)
(続き)
東京経済大学(国分寺)での講義を終えて、JR中央線で都心方面へ。
四ツ谷駅で東京メトロ南北線に乗り換えて六本木一丁目駅で下車。
行合坂を下って上って紀州公のお屋敷の脇を抜けて、飯倉片町の交差点へ。
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麻布台3丁目の創作鉄板焼きの「GardenDiner+(ガーデンダイナープラス)」(はるな愛さんの4軒目のお店)を探す。
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↑ あっ、ここだ。
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今夜はここで「はるは愛さんを囲む会」。
愛ちゃんが大ブレイクして超多忙になって、なかなか会う機会がなくなり、ちゃんとお話ししたのは5年ぶり。
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相変わらず元気でかわいくて、昔からのファンとして何よりでした。

1月10日(土)イギリス・チューダ様式のお屋敷訪問 [お出掛け・お遊び]

1月10日(土) 晴れ  つくば  10.4度  湿度23%

15時前、秋葉原駅へ。
久しく降りてなかったので、その変貌に驚く。
初めて乗る「つくばエクスプレス」(快速)に乗る。
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わずか30分で、守谷駅(茨城県守谷市)に到着。
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その速さにも驚いた。
でも、風(筑波颪)が冷たい。東京より2度くらい低いかな。

知人の原田さんの車で守谷駅から10分足らずの丘の上に立つ、イギリス(イングランド)・チューダ様式(15世紀末~17世紀初)のお屋敷へ。
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↑ 外観(お庭側)
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↑ 外観(玄関側)
実はここ「フォトハウススタジオ青山」という場所。
http://www.aoyama-studio.net/
ご夫妻が趣味で集めたイギリス・アンティーク家具を収納するために、それにふさわしいお家を建てられた。
それが評判になり、写真撮影やテレビ・ロケに「貸してくれ」という要望が増えて、お家・お庭ごと貸し出すことになった。
そして、コスプレのメッカ秋葉原から30分という立地もあって、コスプレーヤーの利用も増えているとのこと。
趣味が実益に転じたということで、素晴らしい。
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↑ 玄関の重厚な扉。
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↑ 居間。
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↑ お嬢様の部屋のベッド。
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↑ お嬢様の部屋の鏡台と食器棚。
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↑ 薪が燃える暖炉。
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↑ お庭側のウッド・デッキ。
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↑ お庭の置かれているピザ焼き車。
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↑ かわいいポニーがいる。

家主の青山夫妻とは、知人の友人という関係だが、お家をみせていただきたくて訪問。
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15人ほどの方とのパーティーで、ミャンマーやセネガルの方ともお話しできて、楽しい夜だった。

1月4日(日)高幡不動へ初詣 [お出掛け・お遊び]

1月4日(日) 晴れ  東京  9.3度  湿度34%(15時)

午後、家猫さんと高幡不動(高幡山明王院金剛寺:真言宗)へ初詣。
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↑ 京王本線高幡不動駅を出ると、すぐに参道。
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↑ 参道も200m足らずで短く、すぐに仁王門(室町時代:国指定重要文化財)が見える。
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↑ とても便利だが、その分、参詣者も多い。
でも、境内はかなり広いので奥に入れば、それほど混んでいる感じはない。

まず、不動堂(南北朝時代・康永元年=1335年:国指定重要文化財)にお参りして、一家の健康を祈願。
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↑ 不動明王が背負っている火炎が描かれている「厄除」の団扇。
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五重塔の観音様を拝んだ後、奥殿(宝物館)に鎮座する不動明王像・両童子像(平安時代11世紀末頃:国指定重要文化財)を拝観。
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↑ 丈六(像高286cm)の巨像。う~ん、迫力ある。
明王像は檜、向かって右の矜羯羅(こんがら)童子像が朴(ほう)、向かって左の制吒迦(せいたか)童子像が橡(とち)と材質が異なるのがおもしろい。
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↑ 日本最古といわれる歓喜天像(平安時代後期)も、とても興味深い。
他にも、平安時代中期まで遡る可能性が高い金剛界大日如来坐像、寺の由緒を刻んだ鰐口(鎌倉時代・文永10年=1273の銘:国指定重要文化財)など、正直言って、これほどの文化財を収蔵しているとは知らなかった。
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また、新撰組副長の土方歳三の生家の菩提寺なので、土方の書簡(なかなか達筆)や幕末の著名人の揮毫も多く収蔵されている。
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私の母方の曽祖父柏崎才一(会津藩士・御側衆・江戸留守居役 200石、箱館会津遊撃隊頭取)は、戊辰の戦を箱館・五稜郭まで戦い抜いた人なので、広い意味で土方歳三の「戦友」ということになる。
宝物館には、やはり五稜郭生き残りの中島登(八王子千人同心→新選組)が土方の生家を訪れたときの文書があった。
なかなか感慨深い。

境内を歩くと、微妙に神仏習合(修験道)の名残りがする。
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↑ 稲荷社の背後に大師堂。
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↑ お寺さんって、注連飾りのついた門松を立てたっけ?

はじめて訪れたが、いろいろ興味深いものを見ることができて、楽しかった。
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(続く)

11月30日(日)入舟亭扇辰師匠の落語を聞く [お出掛け・お遊び]

11月30日(日)  曇り、夜になって雨  17.5度  湿度69%(15時)
17時30分、JR中央線高円寺駅へ、
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高円寺カード下の「ノラヤ寄席」で贔屓の入舟亭扇辰師匠の落語を聞く。
師匠の十八番の「匙加減」と人情噺「徂徠豆腐」の2席。
どちらも実に達者。
師匠の落語は声が良いことに加えて話にキレがあり、かつ表情・動作が大きく、まるで一人芝居を見ているような気がする。
おおいに楽しんだ。

その後、やはりガード下の「あめんぼ」という海鮮居酒屋へ。
初めて入った店だが、大当たり。
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↑ ぶりのお刺身。まぐろはサービス。
良い素材を使っているし、まだ若い店主の料理も上手。
おいしかった。
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↑ おゆう猫の前に鯛の煮つけを置くと・・・。
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↑ こうなる。
 「お姐ちゃんも食べたじゃにゃいか!」
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とても満ち足りた気分になれた夜だった。

(今夜の着物)
群青の地に赤(花)と青緑(葉)で大輪の椿を織り出した足利銘仙(きものACT)。
草色に丸に方喰の柄の半襟をつけたくすんだ水色の長襦袢(単)。
錆朱・黒・樺色の横縞の帯を角出に結ぶ。
帯揚は辛子色(ゑり正)、帯絞は草色(福福堂)。
赤地に手毬柄の手提げ袋。
柾目を浮き出した台に濃紺の麻の葉柄の鼻緒をすげた右近下駄(伊香保神社前・吉堅屋)。
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湯島「若衆bar化粧男子」で・・・ [お出掛け・お遊び]

11月14日(金)
(続き)
春日通りに出て「湯島天神下」方向に歩き、「若衆bar化粧男子」を目指す。
「え~と、『叙々苑』の角を左折・・・、『叙々苑』、『叙々苑』・・・」と歩いているうちに、「ドン・キホーテ」の前まで来てしまった。
「あれ?」これは行き過ぎ。
首を捻りながら、適当に路地を三回左折すると、なんとなく見覚えのある路地に出た。
「叙々苑」が入っていたビルが、再開発で更地になり、白いシートで覆われていたことが判明。
「若衆bar化粧男子」の看板の前に男性が立っている。
たぶん待ち合わせの相手だろうと思い、近寄ったが反応がない。
私が逆方向から来たせいかなと思い、「三橋ですけど・・・」と声を掛ける。
ということで、『「男の娘」たち』(河出書房新社、2014年9月)の著者、川本直さんと路上で初対面のご挨拶。

19時45分、いっしょに「若衆bar化粧男子」へ。
この店、ずいぶんご無沙汰をしてしまった。
以前、来たのはいつだろう?
2012年8月だったように思う。
もう2年以上前だ。
なので、ママ以下スタッフ全員、代わっている。
私も初対面だし、スタッフも私のことは知らないので、実質、初めて来た店と変わらない。
3年、いや5年、もしかすると10年ぶりに来店しても、たいていは知った顔がいる新宿歌舞伎町の女装系の店とは、そこらへんの感覚がまったく違う。
新陳代謝がすごく早くなっている。

川本さんと並んでカウンター席に座る。
カウンターの中は、しおりさんと新人の天音さん。
少したってママの小春さんが出勤。
3人ともきちんと着物を着ている。
しかもなかなかいい具合のコーディネートだ。
今どき、純女(生得的な女性)の娘でも、なかなかこうはいかない。
その点、この店は、しっかり仕込んでいる。

ただ、敢えて難を言えば、皆、普通に女の子過ぎる。
ママの小春さんなんて、やや小柄な女性そのもの。
相当な「目利き」の私でさえ、たぶん言われなかったらわからない。
だから、かっての私がそうであったように、新宿の店の「娘」たちのような性別越境者特有の「妖しさ」がほとんどない。
まあ、そうした性別越境者特有のものを求める感覚が、もう時代遅れなのだろう。

山梨県から東京に出てきて間もないという天音さんに
「出身は山梨のどこ?」
と聞いてみた。そうしたら、
「ご存知ないかもしれませんけど、都留というところなんです」
危うく、お酒を吹いちゃうところだった。
でも、これで来週の都留文科大学の講義の頭ネタができた。

川本さんには、一度会いたいと思っていた。
私が付き合ってきたライターさんのイメージとは違い、想像していたより、ずっと大人しい繊細な感じの青年だった。
このまじめさ、繊細さが、丁寧なインタビューの積み重ねにつながっているのだろうなと思った。
いろいろお話はしたが、研究者ではなくライターなので、トランスジェンダーの世界だけを追って、そればかりを書いているわけにはいかないのは、よくわかる。
でも、せっかく、これだけの本を書いたのだから、この世界への関心は持ち続けて欲しい。
できることなら、何年か経って「その後の『男の娘』たち」みたいな本を書いて欲しいと思う。

楽しくおしゃべりしているうちに、2時間の制限時間が来てしまう。
小春ママに見送られて、店を出たの21時50分。

まだ、電車の余裕はあるし、ちょっと話足りない気がしたので、春日通りの向かいの串焼き屋へ。
1時間ほど、またおしゃべり。
23時、JR山手線御徒町駅に向かう川本さんと分かれて、東急メトロ銀座線上野広小路駅へ。
いや~ぁ、久しぶりに楽しい夜だった。

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↑ わ~い、私が好きな黄色い銀座線だぁ。
溜池山王駅で南武線に乗り換え、そのまま東急目黒線へ。
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0時15分、帰宅。
お風呂に入って温まる。
就寝、3時。


9月26日(金)高麗「巾着田」に曼珠沙華を見に行く [お出掛け・お遊び]

9月25日(木)  晴れ   所沢   27.9度
秋晴れの一日、仲良しのおゆうちゃんと、高麗の巾着田(埼玉県日高市)に曼珠沙華を見に行ってきた。
高麗は渡来人の里。
元正天皇の霊亀2年(716)5月、駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野など7ヶ国に居住していた高句麗からの渡来民1799人を、この地に移して武蔵國入間郡を割いて高麗郡を立ててから今年がちょうど1300年。
私が高麗の里に来たのは、高麗王若光の末裔を称する一族が祭祀している「高麗神社」に拓本の調査に来て以来だから30年ぶりくらい(帰省のときに毎回通過してるのに・・・)。
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駅から細い田舎道を歩いて行くと、高麗川を渡る橋(鹿台橋)に出て、こんなのどかな景色が現れる。
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遠くに赤いものが見える。
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この場所は、高麗川(入間川の支流)が大蛇行している場所で、川に囲まれた土地(昔は田圃)の形が口を絞った巾着のように見えることから「巾着田」の名がある。
今風に言えば、Ω(オメガ)形と言った方が通りがいいかも。
特異な河川地形としては昔から知られていて、私も少年の頃、訪れたことがある。
ただ、その頃は、まだ一般に知られた観光地ではなかった。
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ところが、昭和40年代後半に当時の日高町が耕作が放棄された巾着田の用地を取得し、藪や竹、芦などに覆われていた土地を整地したところ、ヒガンバナがたくさん咲くようになった。
川の増水で流れ着いた球根が根付いて繁殖したものと思われる。
現在は秋の彼岸の前後に約500万本のヒガンバナが花開く日本一の大群生地になっている。(以上、パンフレットから)。
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観光地として有名になったのは、たぶん10年くらい前からだと思う。
2005年頃からは、ヒガンバナが花開く9月のこの時期に限り、最寄りの高麗駅に特急レッドアロー号が臨時停車するようになり、都心からのアクセスが向上した。
今日、私たちも西武池袋駅11時30分発の特急「ちちぶ13号」に乗ってきたが、乗車時間はわずか47分だった。

ヒガンバナは、手前のエリアが早咲き群生地、奥のエリアは遅咲き群生地とのことで、今年は開花が早めで、遅咲きエリアがまさに花盛りだった。
見事は見事なのだが、私のイメージとはちょっと違った。
私のヒガンバナのイメージは田圃の畔や土手など空が開けている場所に咲いているものだった。
ところが、ここではほとんどが雑木林の中、木の下に咲いている。
だから、今日のように日差しが強いと、写真撮った時に、木の間から日が差している場所と木陰の場所で色が変わってしまう。
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川はすぐ脇を流れているので、ヒガンバナと川をいっしょに写せるポイントも多い。
ただし、やはり露出が難しい。
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ところで、ヒガンバナだが、ヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草で、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)という異名はサンスクリット語の manjusaka(マンジュシャカ) の音写。
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日本の在来植物ではなく渡来植物。
その証拠に、人里近くにしか生えない。
おそらく水田稲作の渡来とともに、中国江南地方から渡ってきたのだろう。
おもしろいのことに、日本に存在するヒガンバナは全て遺伝的に同一で、大陸から渡ってきた1株の球根(正確には鱗茎)の子孫らしい。
三倍体であるため種子で増えることはできないので、人為的に株分けしていった結果と思われる。
なぜ、稲作農耕民がヒガンバナを増やしていったというと、球根にアルカロイド毒性があるため、田圃の畔に植えておくと、鼠やモグラなどの田を荒らす動物や虫が寄り付かなくなるためという。

また、ヒガンバナは列を作って咲く性質があるようで、面的に咲いているように見えるここでも、その様子は観察できた。
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白いヒガンバナは、群生地ではごくわずかで、ほとんどないに近い。
この土手だけは、少しまとまって白が咲いていた。
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見上げれば、雑木林の樹間から秋の青空。
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1周して、少し足が疲れたし、お腹も減った。
早咲きエリアと遅咲きエリアの中間にある「ふれあい広場」に戻って、いろいろ出ているお店から、おいしそうな物を選ぶ。
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迷った末に「肉豆腐丼」(500円)。
ご飯の上にかなりの量のお豆腐を乗せて、その上に豚肉やしらたきを煮込んだお汁を掛けたもの。
「肉豆腐」のイメージがちょっと違ったが、なかなかおいしかった。
お豆腐、こういう食べ方もあるのかと納得。

遅目のお昼ご飯を食べ終えた頃、少し日が陰って、撮影条件が良くなったので、群生地に戻って撮影。
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↑ おゆうちゃんは、緑基調の変わり亀甲柄の銘仙の着物。
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ヒガンバナは背が低いので、腰掛けたり、屈んだりしないと、なかなかいっしょに写らない。
いろいろ構図に苦労する。
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↑ 私の着物は、ヒガンバナの赤との映りを考えて、黒地に深緑の大矢絣の伊勢崎銘仙。
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↑ 結局、いつものハイアングル自撮りが好結果。
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↑ 久しぶりのツーショット。

川の方に行ってみる。
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↑ 土手の傾斜を使って、やっと背景が真っ赤な写真が撮れた。
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↑ 着物で川の中に入っていく人は珍しい。
何をしてるのだろう? お魚を狙っているのか?
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↑ 私も川をバックに撮影。

少し離れた所にあるコスモス畑に行ってみる。
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↑ 草原をこういうお姐さんが歩いているというのも珍しい。
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↑ コスモスの柄の羽織を着て、コスモス畑で写真を撮りたかったそうな。
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↑ 残念ながらまだコスモスの花は盛り前で密度が今ひとつ。
羽織の方が勝っちゃった。
P1120453 (3).jpgせっかくなので私もコスモス畑で1枚。

ああ、よく遊んだ。
足も疲れた。
ということで、高麗駅に戻る。
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↑ 途中の売店にいたコマノサトネコ。
高麗王若光の愛猫の子孫。
高句麗から日本に渡来して1300年、独自の進化をとげた貴重種(←ただのグタ猫にゃ)。
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↑ 「水天」さまの石塔。

久しぶりのおゆうちゃんとの遠出、お天気にもお花にも恵まれ、楽しかった。
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