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(解説)「東南アジアの 伝統的・土着的な サード・ジェンダー文化」 [現代の性(性別越境・性別移行)]

3月27日(日)

ベトナム映画「フウン姉さんの最後の旅路」の上映の後、私が「東南アジアの 伝統的・土着的な サード・ジェンダー文化」と題して1時間ほどの解説をした。
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女装の芸能者が、祭礼や市など人が多く集まる場所(ほとんど野外空間)に出向いて、芸能(歌・踊り)を披露して生計を立てるという点では、インドのヒジュラと似ている点が多い。

ただし、ヒジュラはテリトリーがあり、フウン姉さんの一座のように漂泊集団ではない。

村々を巡回する漂泊の女装芸能集団という形態は、朝鮮王朝の男寺党(ナムサダン)に似ている。

ただし、男寺党で重要な収入源だった女装の少年(ピリ)の男色売春のようなセックスワークは、フウン姉さんの一座では認められない(もともとあったが、規制されている可能性はある)。

形態的に完全に一致するわけではないが、アジアに広く存在した伝統的・土着的な、芸能の要素が強いサード・ジェンダー文化の形態であり、ベトナムにおけるその最後の姿と見るべきだと思う。

現在、アジアのサード・ジェンダー文化は、それを支えてきた伝統社会の変容(近代化)とインターネットの普及による「性のグローバリゼーション」(西欧現代文化の文脈への読み替え)によって、本来の形を失いつつあり、危機に瀕している。

フウン姉さんの一座の苦境も、広く観れば、その一つの現れである。

伝統的・土着的なサード・ジェンダー文化の側からすれば、ゲイ、レズビアン、トランスジェンダーといった概念や「LGBT」という枠組みも、西欧現代文化の文脈であり、「性のグローバリゼーション」の一環である。
その押し付け的な適用は、固有の文化へ変容を迫る抑圧となる。

現在、多くのアジア諸国では、伝統的・土着的なサード・ジェンダー文化に、欧米由来のLGBT概念が「接ぎ木」される形になっている。
しかし、必ずしも「接ぎ木」はうまくいっていない。

たとえば、インドネシアの南スラウェシでは、伝統的な社会・文化(イスラム教)が、近年流入してきた「LGBT」概念に対して西欧思想とみなし強い警戒と反発を抱いている。
その巻き添えで、従来、サード・ジェンダーとして社会に包摂されていたワリア(女性的男性)の人々の社会的状況が急激に悪化してしまった。
「接ぎ木」はまったくうまくいっていない。

【参照】伊藤眞「LGBTとワリアのはざま―南スラウェシにおけるワリアスポーツ芸能大会中止事件から」(『社会人類学年報』45、2019年)

では、日本はどうなのか?
「接ぎ木」は必要なのか? 必要でないのか?
2015年以降の日本の「LGBT」運動は、伝統的・土着的なコミュニティと、うまく「接ぎ木」(接続)できたのか?
もう一度、考えてみる必要があると思う。

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Edoさん、いつものことながら、ありがとうございました。

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