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「妾」についての質問に答える [お仕事(講義・講演)]

1月9日(日)
受講生から質問が多い「妾」について。

質問:「妾」の話が、とても驚きでした。もう少し解説をお願いします。
答え:「妾」についての質問が多かったので、まとめて解説します。「妾奉公」という言葉があるように、江戸時代の「妾」は一種の職業です。主人夫妻からしたら奉公人(雇人)ですから、そもそも本妻(主人)と妾(奉公人)は立場がまったく違います。ですから、もし、夫が妾を溺愛して本妻をないがしろにしたら、強い社会的批判を浴びます。武家なら「お家騒動」、商家なら信用をなくし商売に差し支えます。商家で、本妻が亡くなるときに、妾に後事を託し、妾が妻に「直る」こともありましたが例外的です。では、夫が亡くなった場合、妾はどうなるかといえば、「暇(いとま)」を出されるのが一般的です。つまり解雇です(その際、今までの働きに対してお手当が出ます)。それでまた違う家に「妾奉公」するか、「妾奉公」から足を洗って誰かと結婚するかは自由です。ただ例外は、本妻に子がなく、妾が跡取りを生んでいる場合で、武家なら「お世継ぎ」の母親として、それなりに尊重されます。ただし、本妻にとって代わることはありません。

質問: 正妻と妾の間には、やはり身分差があったのでしょうか?
答え:上流階層の場合は明確に身分差(出身階層差)がありました。たとえば、徳川将軍家の場合、正妻(御台所)は京都の公家、しかも最上級の「五摂家」クラスの娘です。側室(妾)は身分よりも子供を産む能力が求められます。たとえば五代将軍綱吉の母・桂昌院は公家の家司の娘ということになっていますが、実は町人の娘という説が強いです。大きな商家の場合も、正妻は商売上のメリットがある同格以上の商家からもらうことが多いですが、妾は芸者あがりでも、新吉原の遊女を落籍してきても問題はありません。

質問:正妻がわざわざ夫に妾をあてがうのはなぜなのでしょう。
答え:前近代では、「お褥下がり(おしとねさがり)」と言って、妻はある程度の年齢になると(武家だと30歳)、夫との性行為を辞退する習慣がありました。しかし、夫の方はまだ性欲がある場合には、妾をあてがい、そっち(性欲)の世話は妾に委ねるということになります。夫婦は歳をとってもずっと寝室を同じくし同衾すべき、それが愛の形というのは、まったくのキリスト教思想であって、日本にはそうした考え方はありませんでした。

質問:妾はどういう人がなったのでしょう?
答え:いろいろなケースがあったと思います。美貌や人柄を旦那に見初められて、旦那が正妻に頭を下げて、妾に囲うということもあったでしょう。一方で、正妻がいろいろな事情で妾を探すということもありました。その場合は「口入れ屋」(職業斡旋業者)に頼めば、適当な「妾奉公」希望者を探してくれます。この場合、妾になる人は「妾奉公に出る」ということで、一種の就労ということになります。旦那の身の回り(性的なことも含む)の世話をすることで、それなりの生活が保証され、お手当も出るわけですから、経済的に恵まれない女性にとっては、悪い話ではありません。


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