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「家」というもの [お仕事(講義・講演)]

1月9日(日)

「恋愛と結婚のジェンダー&セクシュアリティ」の講義のリアクション・コメントを読んでいて、受講生さんたち、どうも社会構造の歴史についての認識が乏しい。

たとえば「家」というものが、普遍的にあると思っている。

「家」は、本来「武家」だけのもの(だから名字を名乗る)で、あとはせいぜい、有力な農家(名字帯刀を許されるような)、富裕な商家くらい。
それが明治になって、全国民に拡張された、典型的な「侍ジェーション」([コピーライト]梅棹忠夫先生)の産物だということが理解できていない。

そもそも、武家なら家名と家禄、商家なら屋号と家産、農家なら屋敷と田畑があるからこそ、「家」継承する意味がある。
だから、跡取り息子は結婚して跡継ぎを作る必要がある。

しかし、跡取りでない次男・三男以下は、結婚しない(できない)ことが多かった。
継承する「家」がないからだ。

そうしたものを持たない多くの庶民は「家」を継承する必要も意味もない。
長屋住まいの棒手振りの八さんや、叩き大工の熊さんは、無理に結婚して、後継ぎを作る必要はないのだ。
好いた女と一緒になって子どもは生まれるかもしれないが、その子が継承するものは、そもそもないから、一定年齢になれば奉公に出て、長屋からいなくなる。

「家」を継承する人たちには「〇〇家之墓」(家族墓)も必要だが、「家」を継承しない人たちに「〇〇家之墓」があるはずがない(二親の墓があれば十分)。

江戸時代においては「墓を守る」必要がある人はごく一部で、家族墓が一般化するのは、当然のことながら、「家」が制度化された明治民法(1898年)以後のことだ。

そこらへん、「国民皆婚化」の平等社会に育った若者には、なかなかイメージできない。
でも、これを教えるとなると、また1コマかかってしまう。

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