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「辛い」と言っても、誰も助けてくれない時代から [現代の性(性別越境・性別移行)]

12月7日(火)

トランスに特化した自助支援グループの最初は、1996年8月に発足した「TSとTSを支える人々の会」(後の「TNJ」)。
当初は、埼玉医大でSRSを受ける当事者を支援するための社会活動(講演会など)をするという感じで、個々のトランスの当事者を広く支援するという形ではなかった。

1998年5月に発足した「トランス・サポート・グループ(TSG)」は、情報提供を中心に性別違和と性同一性障害の人たちの自助支援を進めるという理念で作ったが、まだインターネットの普及が不十分な時代で、情報提供できるのは集会に集まれる人だけという限界があった。

そもそもの話、性別の移行を「支援する」という発想は、1990年代中頃以前の日本には、まったくなかったと思う。
どんなに性別違和(この言葉すらなかった)がきつく辛くても、誰も助けてはくれない。
店のママや先輩に相談しても、返事の基本は「甘ったれるな」「頑張れ!」。

「辛い」と言っても、誰も助けてくれないのはわかっているから、その内「辛い」とは言わなくなる。
自分でなんとか折り合いをつけるしかない。
折り合いがつかなかった人は、潰れていき、生き残れない。
1990年代までのトランス業界が文字通り「死屍累々」なのは、そういう事情だからだ。

「辛い」と言えば、誰か(医師や法律家、支援グループの人など)が助けてくれるかもしれない、という感じになるのは2000年代、00年代半ば以降だと思う。
そこにはGID医療体制の拡充、GID特例法の施行、インターネット、さらにはSNSの発達などの要素が絡んでくる。

一方で「性同一性障害」という精神疾患にならないと(認定されないと)、助けてもらえないという体制ががっちり組みあがってしまった(世界に稀な「性同一性障害大国」日本)ことは、やはり問題だったと思う。

その「性同一性障害」概念も、あと1カ月足らずで消滅する。
それを踏まえて、性別移行を望む人たちに、どういう形の支援システムを作るのか、課題は大きい。
当座の目標は、ホルモン投与への保険適応、「混合診療」の壁を越えてSRSへの保険適用の拡大だが、それでも、健康保険は国外でのSRSには適用されないという問題が残る。
国外でのSRS費用を補助する公的な貸付システムを作る必要があると思う。



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