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新宿「千鳥街」ゲイバー「ジミー」のマダム・ジミーさんの消息 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

6月18日(日)

私が数年前に入手した女装秘密結社「富貴クラブ」の西塔哲会長の写真アルバムにあった新宿「千鳥街」にあったゲイバー「ジミー」のマダムの写真。
西塔会長は「新宿の草分け的存在ばかりでなく、十年衰えを見せない美貌」と評している。
撮影は1964年3月以前。

「女装秘密結社『富貴クラブ』関係写真コレクション(その8)ーゲイボーイの写真ー」として、私のブログに掲載していた。
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-09-21-2

今日、そのコメント欄にジミーさんの甥であるAllora さんから書き込みがあった。
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文中の「ジミー」は僕の叔父で、体をこわし名古屋の姉(僕の母)が引き取り、昭和57(1982)年に49歳で亡くなっています。
諸事情で僕が小1から中2まで育ててもらって、店にもちょくちょく子供ながら開店前などに出入りしてました。
昭和医大中退で、寺山修二さんの天井桟敷に毛皮のマリーだったかで出演したり華やかな時代もありましたが、本人にとって晩年は寂しいものだったと思います。
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また、Allora さんはご自分のブログでも叔父さん(ジミーさん)の思い出を記されている。https://plaza.rakuten.co.jp/jinkun311/diary/201706180001/

亡くなられたのは1982年6月18日、その時49歳ということは、1933年頃の生まれで、ご存命なら今年84歳という計算になる。
壮年で亡くなられたのはとても残念だ。

お元気な頃の写真を、私が入手したのもなにかのご縁、心からご冥福をお祈りいたします。

【解説】
「千鳥街」は少なくとも1967年秋までは存在した新宿の飲み屋街で、御苑大通りが新宿通りの南に延長された時に立ち退きになった。
現在、道路と広いグリーンベルトになっている。
1964年頃には6軒のゲイバーがあり、私は「二丁目ゲイタウン」の原点のひとつと考えている。

その内の1軒である「ジミー」は、二幸(現・アルタ)裏の「夜曲」、三丁目映画館街裏(明治通りの1本東側の通り)の「イプセン」に次ぐ、新宿のゲイバーの「草分け」的存在だった。



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コメント 4

往事渺茫

「イプセン」には行きました。足元にネズミが走るカウンターで、マスターのかけるオペラを聴きながら、スコッチを飲んだものです。
by 往事渺茫 (2017-06-19 14:47) 

Allora

僕のブログを取り上げてもらいありがとうございます。
ゲイバージミーは最初、銀座にあって、新宿に移り、六本木にも、場所は当時の後藤という大きな花屋さん(だったと思います)の裏の方。
開店の順としては銀座・新宿・六本木で新宿と六本木は一時両方やってたようにも思います。
銀座の時は開店前、カルーセル麻紀さんが顔をだして、豊胸手術の後だったんでしょうか、ジミーに胸を見せていた、その時何故か小学生の僕もいまして印象に残ってます。銀座の時には花を売りに小さい女の子が時々店に入ってきたこともありました。
ジミーの実家は富山・滑川の置屋でその家の息子、僕は置屋の孫です。
語りだしたらきりがなにので、この辺で。
by Allora (2017-06-19 15:17) 

三橋順子

往事渺茫さん、いらっしゃいま~せ。
「イプセン」の思い出、ありがとうございます。
いつ頃のことでしょうか?
よろしかったら、教えてください。
by 三橋順子 (2017-06-25 11:59) 

三橋順子

Alloraさん、いらっしゃいま~せ。
貴重なお話、ありがとうございます。 銀座の「ジミー」と新宿の「ジミー」の関係がわかりました。
移転だったのですね。

この時代のゲイの方には、芸者置屋とか貸
座敷(遊廓)など、住み込みの女性が多い家庭環境で育った方が目立ちます。

また、続きのお話も、拝見しました。
by 三橋順子 (2017-06-25 12:11) 

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