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1955年「赤線」新吉原・京二通りの夜景 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

2月8日(月)
「漫画タイム」(『りべらる』10巻10号、1955年8月).jpg
『りべらる増刊 漫画タイム』(『りべらる』10巻10号、白羊書房、1955年8月1日発行)。
先週の水曜日、何気なく立ち寄った古書店で見つけて購入した(500円)。

漫画雑誌の『漫画タイム』が、カストリ雑誌以来の風俗雑誌の老舗『りべらる』の増刊として、1955年(昭和30)8月に刊行されたことがわかる。

しかし、私の購入理由は、そうした書誌的な興味ではなく、表紙から裏表紙に続く写真に惹かれたから。
一見して「赤線」時代の「新吉原」京二通りの夜景だと思ったから。

傷むのを覚悟で開いて、表紙と裏表紙を連続させてスキャン。
「赤線」新吉原8(2).jpg

まず、目につくのは、左側の「日光」という店の看板。
「赤線」新吉原8 (2).jpg

その右手の看板は、画像処理したら「サロン ときわ」と読めた。
「赤線」新吉原8 (3).jpg

道の向かい側(右側)には「正金」という店の看板。
看板の下には、客待ちの女給さんが2、3人。
「赤線」新吉原8 (4).jpg

そこで、「赤線」時代の「新吉原」京二通りの店舗地図を調べると・・・。
「赤線」新吉原・京二通(2).jpg
やはり「京二通り」の南東側に「日光」がみつかった。
その隣には「ときわ」、向かい側に「正金」が確認できる。
この写真は、①の位置から、→の方向を写したものであることがわかる。

なぜ、私が「赤線」新吉原・京二通りの夜景かと気づいたかというと、似たような画像を知っていたから。
「赤線」新吉原3(2).jpg
↑「赤線」全盛期(1951年)、ネオンきらめく「新吉原」京二通り。
「小柳」「栃木」「助六」「大河」などの屋号が確認できる。
(広岡敬一『昭和色街美人帖―私の<赤線時代>―』自由国民社 2001年)

こちらは②の位置から、←方向を写している。
つまり、①の夜景とは、ほぼ同じエリアを逆方向から写している。
撮影時期は②が1951年の「赤線」全盛期であるのに対し、①は1955年で「赤線」後期。

もう1枚、夜景ではなく昼景だが、こんな写真もある。
「赤線」新吉原4.jpg
「小柳」「栃木」の看板が見えるが、②よりさらに外側から撮影されたもの。
注目は「赤線」区域の境界に立てられたアーケード。
門柱の上に「京二 〇〇」のネオン。

そこで、最初の写真の中央付近に注目すると・・・、
「赤線」新吉原8 (5).jpg
アーケードが写っている。
残念ながら、露出オーバーでネオンの文字は確認できないが。

さて、この「漫画タイム」、漫画雑誌なので、表紙にも漫画が描かれている。
「赤線」新吉原8 (6).jpg
男がもつプラカードの「売春禁止法案」とは、第22国会(1955年3月18日~7月30日)に、売春の禁止と「醜業婦」の処罰を目的に議員立法として提出された法案だが、反対多数で否決された。

「売春防止法」の成立は、翌年の第24国会(1955年12月20日~ 1956年6月3日)を待たなければならない(5月24日成立)。

ということで、何か新しい事実が判ったというわけではないが、「新吉原」赤線時代後期の夜景写真が1枚、資料に加わった。

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