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戦後日本の「一家皆殺し」的事件(殺害6人以上) [事件・事故]

3月9日(月)
戦後の日本で起きた「一家皆殺し」的事件(殺害6人以上)のリスト。
「6人以上」にしたのは特に意味はない。
5人までいれると、事例が増えすぎて対応できなくなるため。

漏れがあるかもしれないが、22事件。
その内、半数以上の12例が、敗戦直後の占領下での事件。
いかに世の中が荒廃していたかがわかる。
しかも、この時期は大量殺人事件にもかかわらず、犯人が捕まらない「迷宮入り」がけっこう多い。
当時の警察の捜査力の劣弱さがうかがえる。

とくに、敗戦の翌年の1946年には5例が集中、この5つの事件だけでなんと5家族33人が殺されている。
加えて、同年3月15日には、東京都渋谷区で歌舞伎役者(12世)片岡仁左衛門一家5人が、日頃の食料の恨みなどから雇人に皆殺しにされる衝撃的な事件が起こっている。

また、進駐軍雑役夫小平義雄が、東京都や栃木県などで、前年5月から、食料で女性を誘いだし7名を強姦殺害した「小平事件」が明るみに出たのもこの年だった。

生活、とりわけ食糧事情の逼迫、社会秩序・価値観の崩壊、警察力の不足などによる治安の悪化が、すさまじかったかがよくわかる。
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(1)1945年12月18日 大阪府・寝屋川工場主一家6人殺害事件
 住み込み従業員が給料を減らされた恨みから主人一家を虐殺し家財を処分して逃亡。
 1948年に死刑執行。
(2)1946年1月29日 和歌山一家8人殺害事件
 自分が出征中に母をいびり殺されたと思った弟が、兄の歯科医師一家8人を殺害。
 死刑判決が出たが後に恩赦され1968年に仮出獄。
(3)1946年4月13日 福岡県・中間町質屋一家6人殺害事件
 博打で負けて一張羅の軍服を取られた炭鉱夫が逆上して質屋一家をツルハシで虐殺。
 1948年に死刑執行。
(4)1946年5月4日 旅館経営者一家6人殺害事件(日光中宮祠事件)
 警察は旅館経営者一家の心中事件として処理したが、1955年になって在日朝鮮人2人による強盗放火事件であったことが判明。
1974年2人の死刑執行。
(5)1946年5月9日 長野県・市田村一家7人殺害事件
 農家一家が殺害され、米を奪われる、米を狙った計画的犯行とみられるが、時効で迷宮入り。
(6)1946年8月29日 熊本県・一勝地村農家6人殺害事件
 朝鮮半島へ引揚げようとした朝鮮人3人による強盗殺人。
 2人に死刑、もう1人に無期懲役判決。1950年2人の死刑執行。
(7)1947年5月3日 千葉県・滑河町一家7人殺害事件
 一家7人が殺害される。時効で迷宮入り。
(8)1947年11月29日 福島県・熱海町一家6人殺害事件  
 借金を断られたため強盗目的でブローカー一家6名を殺害。
 犯人は時効後に、別の事件で逮捕され判明。
(9)1948年3月20日 長野県・飯山町一家7人殺害事件
 農業従事者が、内妻を含む家族7名を殺害。
(10)1948年4月2日 1948年 北海道・音江村一家8人殺害事件
 物証がなく、無免許医による司法解剖が証拠として認められなかった捜査上の不手際。
 逮捕起訴された被告人は無罪。迷宮入り。
(11)1950年4月2日 北海道・美深町6人殺害事件
 北海道拓殖銀行支店長一家4名ほか2名が殺害される。時効で迷宮入り。
(12)1951年1月9日 大阪府・北八下村青物商一家6人放火殺人事件(黒山事件)
 大阪府の北八下村で発生した青物商一家放火殺人事件。時効で迷宮入り。
(13)1953年12月12日 青森・新知村一家8人殺害事件
 実家に味噌を盗みに入った男が家にあった猟銃でりんご園経営の父親一家を殺害し放火。
 裁判で心神耗弱が認定され無罪判決が確定。
(14)1954年9月7日 福岡・豊津村一家8人殺害事件
 理容師が、女性関係を叱責されて激昂し、一家9人他2名を殺傷し、8人死亡。
 男は2年後に死刑確定。
(15)1954年10月11日 茨城県・徳宿村精米業一家9人殺害事件
 無職男性が、強盗目的で農家一家9名を青酸カリで殺害し、放火。
 被疑者は逮捕された直後に青酸カリで自殺。
(16)1954年10月26日 山口県・大内町一家6人殺害事件。
 1年後に廃品回収業の男が逮捕されるが、無罪。
(17)1957年3月4日 神奈川県・川崎市一家7人殺害事件
 ノイローゼで高校を中退した息子が、運転手の父親など家族を皆殺しに。
 検察は統合失調症と判断して不起訴処分。精神病院に強制収容措置。
(18)1959年6月4日  北海道・真狩村一家6人殺害事件
 農家で住み込みで働いていた男が養子縁組を断られ、主人一家6人を殺害。
 1962年に無期懲役が確定。
(19)1959年7月22日 埼玉県・岩槻一家7人殺害事件
 意に添わぬ結婚を強要された男が無理心中しようとして自宅に放火し家族7人を殺害。
 1審では無期懲役、控訴審で死刑となり後に確定。
(20)1970年2月1日 長崎県・島原市酒造元一族6人殺害事件
 遺言状により自宅と酒造元常務の地位を親族会議で剥奪された男が、遺言状により財産を譲り受けた叔母夫婦を殺害、自身の家族4人も殺害して自殺。
(21)1977年2月 熊本・義姉一家ら6人殺害事件
 妻に出て行かれた男が妻をかくまっていると疑った義姉一家4人を殺害。
 自らも子供3人を抱え焼身自殺を図り、うち2人を焼死させ、自身も死亡。
(22)1980年1月31日 三重県・熊野市一族7人殺害事件
 ノイローゼの男が親族会議の場を斧や猟銃で襲撃。
 籠城後に猟銃で自殺。
(22)2004年 兵庫県・加古川7人殺害事件
 近隣に住む親類らに恨みを抱いていた男の犯行。
 2家族7人殺害、1人重症。


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減るワカメ

こんにちは、ブログいつも拝見させていただいてます。さて、(5)の未解決の市田村一家7人殺人事件に関してですが。ネットで検索しても情報がほとんど出ておらず謎が多い事件ですが、最近発売された斎藤 充功 (著) 戦後日本の大量猟奇殺人―教科書には載せられない悪魔の事件簿に、現地取材されたかなり詳しいルポルタージュが掲載されてますね。食料を狙った強盗殺人ではないかと言われてましたが、まったく別の動機がうかがえ、犯人像が浮かび上がっています。
by 減るワカメ (2015-03-22 04:01) 

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