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2月24日(月)「延暦8年の蝦夷征討」シリーズ、終了 [お仕事(古代史)]

2月24日(月)  晴れ  東京  8.7度  湿度51%
7時15分、起床。
シャワーを浴びて、髪にあんこを入れて頭頂部で結びシュシュを巻く。
化粧と身支度。
紺地に白い雲のような模様のロング・チュニック(長袖)、黒のブーツカットパンツ、黒網の膝下ストッキング、黒のショートブーツ、黒のトートバッグ、ボア襟のカシミアのポンチョ。
8時50分、家を出る。
東急東横線が渋谷止まりだったので、渋谷駅で乗り換え。
東京メトロ半蔵門線のホームを経由して、京王井の頭線ホームへ。
9時43分発の急行に乗り、10時03分、吉祥寺駅に到着。
時間調整を兼ねて駅前(南口)の「ドトール」で、朝食(サンドイッチとコーヒー)。
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10時半、産経学園(吉祥寺)で「史料でたどる奈良時代政治史 」の講義。
昨年5月から続いている「桓武朝の『蝦夷征討』」の9回目。
『続日本紀』延暦8年(789)7月丁巳(17日)条の征討将軍の凱旋の上表文の「虚飾」を厳しく叱責する桓武天皇の勅と、同9月戊午(19日)条の将軍らの勘問と処分の宣命読んで、解説。
北上川渡河作戦で、蝦夷の族長アテルイの術中にはまり、作戦に参加した6000の兵力の6分の1以上に相当する1000人以上の戦死者を出し、負傷者と武装放棄者を加えると損耗率42.7%という大敗北を喫し、多年準備した軍糧をいたずらに費やし、目的だった蝦夷の本拠地「胆澤」(北上盆地)攻略をとげられずに軍を解いた責任は、当然、征討大将軍紀古佐美が負うべきだが、「承前に仕え奉りける事(これまでの功績)」を理由に不問にしてしまう。
(紀古佐美はその後も天皇の信任を失わずに出世を重ね、最晩年には大納言として太政官筆頭公卿にまでなる)
代わりに、東国(下総国猨嶋郡)出身で、蝦夷征討に長年従事した「叩き上げ」の副将軍、安倍猨嶋墨縄に責任を負わせて、官職・位階を剥奪。
同じく副将軍の池田真枚も官職剥奪。
どう見ても公平を欠く処分だが、桓武天皇は、征東将軍に適任者を据えなかった自分の人選ミスを自覚していたように思う。
こうして、延暦8年の「蝦夷征討」は失敗に終わった。
桓武天皇が、征討将軍の適任者(坂上田村麻呂)を見出すには、もう少し時間が必要だった。
これで「延暦8年の蝦夷征討」シリーズは終了。

講義の前、ずいぶん前から受講してくださっている男性が挨拶に来る。
「長い間、勉強させていただきましたが、今日限りでで失礼いたします。今年85歳になり、もう体力の限界です」
理由が理由だけに引き止めるわけにもいかない。
「長い間、ありがとうございました。どうかお健やかに」
と言うしかなかった。
この講座、もう限界だな、と思う。

12時、終了。

昼食は、吉祥寺駅南口、タイ料理の「Khucha(クーチャイ)」へ。
ムーパッキン(豚肉の炒め物+ライス、980円)を注文。
P1070590 (2).JPG
タイから帰って来たばかりなのにタイ料理。
自分でも「好きなんだなぁ」と思う。
でも、この店は、現地の高級ホテルのタイ料理より、おしいいから。
マスターに「先週、タイに行ってきました」と報告すると、「いいんなぁ、自分なんて、この店は始めてから、もう4年も行ってないすよ」という返事。
お会計しようと思ったら、ポイントが溜まったとかで返金。
なんだか申し訳ない。
ご馳走さまでした。
12時40分、辞去。

駅前通りの古書店で、佐々木宏幹・鎌田東二『憑霊の人間学』(青弓社、1991年)を購入。
シャーマニズムについて、もう少し勉強したいので。
佐々木先生には、大学(学部)で社会人類学を教わった。
鎌田さんは、某短大の講師室でご一緒したことがある(覚えてらっしゃらないだろうが)。

12時53分の急行で渋谷へ。
(続く)

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マミー

お帰りなさい。私も若い頃タイにバックパッカーとして旅行に行って以来大好きになり何度もいきました。美しいビーチ、美しいオカマ。色々なめずらしい果物や花々。なんと言っても寺院は本当に大好き!バンコクの街中でも、人々が寺院や小さな祠の前を通るとき、そっと手を合わせて拝みながら通り過ぎる姿に感動したものです。(今はどうかな?)お供えにするお花の飾りも綺麗。フラワーアレンジメントの斬新さにも驚かされたものです。最近ご無沙汰だわ〜。行きた〜い!!

by マミー (2014-02-27 11:57) 

三橋順子

マミーさん、いらっしゃいま~せ。
タイは3回目でしたけど、いつも学会で、まともに観光していません。
有名なお寺とか美しいビーチとか、ぜんぜん行ってないのです。
今回も駄目でした。
観光ツアーで行かないと無理かなぁと思っています。
ただし、昼間、学会で出られない分、夜のバンコクははそれなりに出掛けてます。Lady Boyは相変わらず多いし、レベルも上がってます。
あちこちにある祠が大切にされているのは、近代化が進む今も変わりはありません。

by 三橋順子 (2014-02-28 04:01) 

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