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1月27日(月)延暦8年の蝦夷征討、失敗の原因 [お仕事(古代史)]

1月27日(月)  晴れ  東京  7.5度  湿度27%
7時15分、起床。
シャワーを浴びて、髪にあんこを入れて頭頂部で結びシュシュを巻く。
化粧と身支度。
多色使いの植物柄のチュニック(長袖)、黒のブーツカットパンツ、黒網の膝下ストッキング、黒のショートブーツ、黒のトートバッグ、ボア襟のカシミアのポンチョ。
8時50分、家を出る。
東急東横線が渋谷止まりだったので、渋谷駅で乗り換え。
東急東横線から京王井の頭線への乗り換えは、東京メトロ半蔵門線のホームを経由すると近いので、今日もそのルートをたどる。
ところが、東京メトロ半蔵門線&東急田園都市線は、9時19分に青山一丁目駅で発生した人身事故のため運転休止中。
ホームは閑散、改札口の外は「遅延証明書」を求める人の大行列。
「運転再開は10時30分頃の予定」と掲示されていたので、電車と接触して転倒した程度の事故ではなく、「後始末」に時間がかかる事故だろう。
朝のラッシュのピークは過ぎているが、少し遅めの出勤の人や、大学の2コマめに出席しようとする学生が多い時間帯。
大学生は期末試験やレポート提出の時期。
この事故で遅刻して、単位が取れないようなことになったら、ほんとうに大迷惑。
例によって、事故なのか、飛び込み自殺なのかは情報隠蔽。
後者なら、社会に大迷惑をかける死に方は止めて欲しい。

京王井の頭線9時43分発の急行に乗る。
10時03分、吉祥寺駅に到着。
時間調整を兼ねて駅前(南口)の「ドトール」で、朝食(サンドイッチとコーヒー)。

10時半、産経学園(吉祥寺)で「史料でたどる奈良時代政治史 」の講義。
昨年5月から続いている「桓武朝の『蝦夷征討』」の8回目。
『続日本紀』延暦8年(789)6月庚辰(9日)条を読んで、解説。

「衣川の戦い」(北上川渡河作戦)で大敗北を喫した征東将軍紀古佐美(こさみ)の弁明の報告書。
玉造塞(宮城県古川市名生館遺跡)から前線基地の衣川営(岩手県)まで陸路の輸送で4日かかる。
軍粮(糒=ほしいい)の受け渡し(積み込み・荷下ろし)に2日かかるので、往復に10日を要す。
衣川営から征討の最終目的地である子波(しわ 岩手県盛岡市付近)までは、(北上川の水運を使って?)6日かかる。
やはり、受け渡し(積み込み・荷下ろし)に2日かかるので、往復に14日を要す。
つまり、玉造塞から子波の地までは、往復24日もかかる。
これには、途中で賊(蝦夷)に襲撃されて戦ったり、雨のため逗留しなければならない日数は含まれていない。
水陸兩道の輸送に従事する人員(輜重部隊)は12430人である。
(1人が運べる糒は5斗なので)、輸送部隊が1度に運べるのは6215斛(こく)である。
従軍している兵士は27470人であり、(1日2升充てとすると)1日に必要な量は549斛(計算上は549斛5斗)である。
※ 奈良時代の1升は、現在の約4合
ということで、輸送部隊が(24日を要して)1度に運べる軍粮は、戦闘部隊の僅か11日分(計算上は11.31日分)にしかならない。
つまり、軍粮の補給という面から、子波征討は不可能なので、征討を中止して軍を解きたいという要望。
しかも、桓武天皇の裁許を得ずに、軍を解いてしまった。

軍粮の補給をしっかり計算して、作戦の不可能を奏上している紀古佐美は、太平洋戦争の陸軍参謀よりずっと賢い。
しかし、こうした彼の才能は、主計将校や参謀向きではあっても、司令官向きではないと思う。
最終的に、延暦8年の蝦夷征討の失敗は、征東将軍に適任者を据えなかった、桓武天皇の人選ミスにあるように思う。
12時、終了。

昼食は、吉祥寺駅南口、タイ料理の「Khucha(クーチャイ)」へ。
久しぶりにグリーン・カレー(980円)を注文。
P1070043 (2).JPG
野菜は素揚げした茄子や南瓜など。
じっくり煮込まれているのでトロトロ。
P1070044 (2).JPG
ああ、おいしかった。
12時45分、辞去。

(続く)

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