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東急東横線と東京メトロ日比谷線の相互乗り入れ廃止 [日常(子供・鉄道)]

3月15日(金)

東急東横線と東京メトロ副都心線の直通運転(相互乗り入れ)が3月16日に始まるに際して、東急東横線と東京メトロ日比谷線の相互乗り入れが廃止になる。

東横線と日比谷線の相互乗り入れは、東京オリンピック直前1964年8月29日の日比谷線全通(北千住~中目黒駅)と同時に始まり、49年の歴史をもつ。
東横線への乗り入れは長らく日吉駅までだったが、1988年8月9日からは菊名駅まで延長された。

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↑ 浅間山の切り通しの大カーブ(東急東横線新丸子駅~多摩川駅間)を抜ける東京メトロ03系統北千住行き
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↑ 東急東横線学芸大学駅を出発する東京メトロ03系統北千住行き。
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↑ この表示も今日で最期。
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↑ 東急東横線学芸大学駅に入る東京メトロ03系統菊名行き。
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↑ 都心(日比谷駅や霞が関駅)から日比谷線で菊名行きに乗れば、座って帰れたのだけど・・・。

相互乗り入れなので、東急東横線の車両が中目黒駅から日比谷線に入るのも、今日が最後。
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↑ 中目黒駅日比谷線ホームに東急1000系北千住行きが入線。
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↑ 東京を縦断する地下の旅に出ていった。

相互乗り入れを夫婦に例えると、東急東横線(夫)は49年も連れ添った古女房の日比谷線と離縁して、ピチピチの若い娘(副都心線)と結婚したようなもの。
長年、日比谷線との関係に馴染んだものとしては、微妙に釈然としないものを感じる。
これからは、中目黒駅で乗り換えることになるが、対面ホームなので、それほど大きな不便はない。
それを考えると、まあ、仕方がないのかなぁ。

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コメント 3

Mr. RCK

東急東横線と東京メトロ日比谷線の相互乗り入れが廃止になるんですね。
こっちの方は知りませんでした。
日本にいたバブルの頃、秋葉原からよく乗りましたのでチョット寂しいです。
その代わり両国からは大江戸線、錦糸町から半蔵門線に乗れるようになったのでいいのですが・・・
東京の東は鉄道や駅が少ないので、もっと増えれば活気が出ると思います。
東京電機大学も足立区に来ましたし、4月からは東京理科大学が葛飾区に来ますし。^^
by Mr. RCK (2013-03-16 20:30) 

三橋順子

Mr. RCKさん、いらっしゃいま~せ。

>東京の東は鉄道や駅が少ないので、
東京の西側は北から東武東上線、西武池袋線、西武新宿線、京王本線、小田急本線、京王井の頭線、東急田園都市線、東急東横線、東急目黒線、東急池上線、京浜急行本線と11本の私鉄が出ています。
それに対して東側は東武伊勢崎線と京成本線の長らく2本だけで、近年、つくばエクスプレスができてやっと3本です。
これは、西側の私鉄のほとんどが、関東大震災後の昭和初は期に西に膨張する東京の郊外住宅地の足としての「近郊電車」として設置されたものだからです。
では、その同じ頃、東京の東側はというと、東京市電(都電)が網の目のように走っていました。
実は、東京の東側はものすごい数の(路面)電車が走っていたのです。
だから、「近郊電車」を設置する必要性や余地はありませんでした。
それに対して、東京の西側は、東京市電(都電)は渋谷、新宿が西限で、山手線の外には(荻窪線を除いて)走っていませんでした。
だから、「近郊電車」が設置される必要性と余地があったのです。

つまり、現在の東京の西側と東側の電車路線密度の大きな違いは、昭和40年代の都電路線網の徹底した解体が大きな原因なのです。

by 三橋順子 (2013-03-18 02:48) 

Mr. RCK

そうですよね。
都電は路面から追い出されて都バスになりましたが、これも交通渋滞で距離が長ければ長いほど時間的信頼性がなくなりましたよね。
幹線道路にモノレールくらいできれば東京ももっと楽しくなるのではとチョット思いました。^^
by Mr. RCK (2013-03-18 20:14) 

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