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集団強鶏姦の実例 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

8月27日(火)

薩摩武士の少年・青年教育システムである「兵児二才(へこにせ)」制には、強固な年齢階梯制と女性性嫌悪(misogyny)を特色とする男色文化が見られる。

薩摩藩が明治維新の立役者となり、多くの薩摩士族が東京に移住したことで、その特有の男色文化が、東京に持ち込まれ、東京の少年たちの強鶏姦被害が急増する(すべての加害者が薩摩人ではないが)。

さらに、そうした薩摩的な(しばしば強鶏姦をともなう)男色文化は学校教育の普及とともに、軍人の養成学校や全国の(旧制)中学・高校に広がっていく。

ここまでは、古川誠氏などの従来の研究で明らかになっているが、今回、実際の事例を調べていて、1対1の強鶏姦だけでなく、集団強鶏姦の事例があった(おそらくしばしば)ことを知り、かなり驚いた。

きだみのる(1895~1975年、鹿児島県奄美大島出身の評論家・翻訳家)は、その自叙伝『人生逃亡者の記録』 (中公新書、1972年) で、1906年(明治39)頃の鹿児島一中(現:鹿児島県立鶴丸高校)の「尻突き」慣習について、かなり具体的に記している。

その中に、ある生徒(少年)が同世代の少年に担がれて川の堤に連れていかれ、16人に「尻を突かれた」ことが記されている。
被害に遭った少年は、心身のダメージで、学校を1週間も休むことになった。

こうなると、社会慣習というより、かなり悪質な性暴力(暴行・傷害)である。
正直言って、ここまでひどい、まさに蛮行が行われていたとは思わなかった。

詳しくは、10月6日の「日本性科学会・学術集会」(鹿児島市)で報告します。

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