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「女装の好きな男―僕のアルバムから―」(『内外タイムス』1956年12月5日号) [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

10月8日(水)
『内外タイムス』1956年12月5日号の「読者の作る欄」というコーナーに掲載された「女装の好きな男―僕のアルバムから―」という記事。
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女装の好きな男 ―僕のアルバムから―   滋賀雄二
H君は岡山県N市に住む理容師で、二十八才の独身者だが、、女装が三度の飯より好きという変った男。
彼は肌が浅黒く、小太りの体格で、目が大きい。素顔の時は平凡なありきたりの青年なのに、女装すると見違えるほど肉感的な女性に変化する。女装用品はカツラ、衣装など一揃い持っている。
店に来る客の中で美男子を見出すと、満点のサービスをしながらモーションをかける。
相手に反応があると、終業後に打合わせた場所へ行く。H君は完全なソドミアでウールニング(女性的立場)である。ソドミアと変っているのは、必ず白粉を塗り、カツラをかぶり、女の衣装をつけて女装することである。
近所のS氏という踊の師匠から日本舞踊を教わっているが、踊りよりも女の動作をしたり、女装して踊ることに興味が強い。S氏はH君の踊りは少しも上達しないとこぼしている。
N市の夏祭があると、H君はこの時とばかり、白粉を塗り前髪をカールして額にたらし、艶やかな振袖をまとい、写真のように美しい女に化けて街に出てゆく。そして誰はばかるところなく大っぴらに女になり切り、夜の更けるまで踊り狂う。
しかし、お祭は一年に一回しかないから、H君の女装欲はとても満たされない。しかも彼は両親の経営する理髪店の次男坊であるから、家の中でいつも女装していることむずかしい。そこで、お客の中から適当な相手を物色して女装遊戯をするのだが、小さな町のこととてすぐ評判になってそれも永続きしない。
彼は解決策として、このN市にある某劇団に臨時加入し、旅回りの巡業に一緒に出かけて行く。この一座で彼は女形になり、芝居に出たり、歌謡曲のレコードに合わせて、あまり上手ではない日本舞踊を舞台で踊る。芸者姿の写真は、巡業中に撮影したものである。
(三鷹市上連雀)
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投稿者の滋賀雄二は、女装者愛好男性(自分は女装しないが女装者を愛する男性)で、1955年(昭和30)10月に日本最初のアマチュア女装の集団「演劇研究会」を創立、機関誌『演劇評論』を刊行した人。
(参照)三橋順子「(日本女装昔話2)最初のアマチュア女装集団『演劇研究会』」
http://www4.wisnet.ne.jp/~junko/junkoworld3_3_02.htm
記事の内容からして、滋賀氏、どうもH君の地元まで会いに行っているようだ。
この時代の女装者愛好男性は、「富貴クラブ」の西塔哲会長もそうだが、どこそこに女装者がいると聞きつけると、遠きを厭わず、会いに行ったようだ。
それだけ、女形、女装男娼以外の女装者が珍しかった。

この記事は、「演劇研究会」の創立から約1年後のもので、全国各地から会員が集まりつつあった頃。
「演劇研究会」は、演劇の研究を女装の隠れ蓑にした会員制の秘密組織だったが、まったく世の中に知られないのでは、会員が増えない。
記事では「演劇研究会」のことには触れていないが、やはり、各地に散在する女装者の発掘と会の広報を目的にした投稿だと思う。

滋賀がH君を「ソドミア」(男性同性愛者)の「ウールニング(女性的立場)」タイプとして紹介しているのは、1956年の時点では、まだ男性同性愛者と女装者の分離が不十分であったため。
男性同性愛者(ゲイ)と切り離されて、「女装者」という概念が成立するのは1960年代初頭になってからである。
(参照)三橋順子「『女装者』概念の成立」(矢島正見編著『戦後日本女装・同性愛研究』中央大学出版部、2006年3月)

記事は、1950年代の地方在住の女装者の生態をよく示していてとても興味深い。
日本舞踊、夏祭り、旅回りの劇団の女形と、可能な限り機会をとらえて女装している。
女装願望をもつ男性が日本舞踊を女装することの手段にすることは、1960年代くらいまではよくあった。
また夏祭の盆踊りは、春のお花見と並んで、伝統的に異性装(女装・男装)が許される祝祭空間だった。
女装趣味がいよいよ高じて、旅回りの劇団の女形になるというパターンも、いくつか知られている。
おおっぴらに女装できる女形は、この時代の女装願望者にとってはあこがれの職種だった(誰もが成れるものではなかったが)。

記事で紹介されている女装常習のH君が住む岡山県N市に該当するのは、現在、新見市と美作市だが、美作市は2005年に合併で成立した市なので該当しない。
新見市の市制施行は1954年6月なので、この記事の時点(1956年)で存在している。
消滅した市にはN市はなく、N市=新見市で確定。
新見市は岡山県の北西、中国山地の小盆地に位置する城下町(新見藩、関氏18000石)。
昭和3年(1928)、国鉄伯備線の開通にともない新見駅が設置され、さらに芸備線、姫新線の分岐点となり、中国山地の要衝となり、鉄道が主な交通機関であった時代にはそれなりに栄えていた。
最盛期(昭和30年=1955)には人口6万6000人余を擁した(2010年の人口3万3865人)。
それにしても、大きな町ではなく、H君はきっと地元ではかなりの有名人だったろう。
ご存命なら、今年86歳のはずだが・・・。
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コメント 3

西尾明子

私もH君と同じ小柄で、男として自信がないんです。しかし完全女装姿を褒められ、身体のパーツを褒められて、初めて他人に認められたと思いました。H君は劇団の女形をしているときはさぞかし、幸せな気分に浸ったのですね。
私の場合も完全女装姿を大勢の方に視られることでしか満足出来ません。 共感します。
by 西尾明子 (2014-10-09 06:14) 

三橋順子

西尾明子さん、いらっしゃいま~せ。
はい、劇団の女形をしている時はとても幸せだったと思います。
どんなに踊りや演戯が下手でも。

>完全女装姿を大勢の方に視られることでしか満足出来ません
お気持ちはわかりますが、くれぐれもリスク管理にも気を配ってください。

by 三橋順子 (2014-10-09 21:35) 

西尾明子

パートタイム女装で今の生活は守りたい…でも大胆な姿態を視られたい…。相反することですね。
冷静にリスク管理をしっかりと思いました。アドバイスありがとうございます。
by 西尾明子 (2014-10-11 10:01) 

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