2月20日(火)「赤線」亀戸のフィールドワーク [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]
2月20日(火) 晴れ 東京 12.4度 湿度32%(15時)
7時半、起床。
朝食は、グレープフルーツ・デニッシュとコーヒー。
ずっと自著原稿の手直しで籠もっていたが、今日は久しぶりに一日外出。
9時半、家を出る。
東急目黒線(目黒駅乗換)JR山手線(品川駅乗換)JR横須賀線で錦糸町駅へ。
北口から10分ほど歩き、旧「赤線」亀戸のフィールドワーク。
↑ 横十間川・天神橋から。
中央に見えるマンションを含め、その右手が「赤線」指定地。
JR錦糸町駅からよりJR亀戸駅からの方が近いように思う。
(当時は都電22系統柳島停留所が最寄り)
2016年のストリート・ビューで下見して、その時点では、旧「赤線」の建物が3軒残っているのを確認したが、残念ながら、そのうちの1軒は解体されてしまっていた。
2軒だけ撮影。
↑ ワインレッドタイルの壁面装飾が美しい(旧「双葉」)。
↑ 「亀戸カフェー組合」の事務所と(性病)診療所があった場所には大きなマンションが建っていた。
↑ 「赤線」指定エリアの西口にあたる栗原橋から。
旧・指定地から北に歩いて天祖神社へ。
玉垣の刻銘を撮影。
「城東三業組合」(亀戸の料理屋・待合・芸者置屋の組合)の刻銘はすぐに見つかったが。
肝心の亀戸「遊園地」(戦前の私娼窟時代の名称)の刻銘が見つからない。
不安がよぎる。
あれ?こんな大きな標識、以前はなかったよね、
と思い、後ろをのぞき込むと・・・、
あった。
でも、これでは正面から撮影できないじゃないか。
看板の裏側の狭い空間に腕を差し込んで、なんとか撮影する。
この場所に標識が立てられたの、偶然だろうか? それとも人目につかないようにする隠蔽の意図があったのか?
まあ撤去されてしまうよりはマシだけど。
↑ 2003年撮影
7時半、起床。
朝食は、グレープフルーツ・デニッシュとコーヒー。
ずっと自著原稿の手直しで籠もっていたが、今日は久しぶりに一日外出。
9時半、家を出る。
東急目黒線(目黒駅乗換)JR山手線(品川駅乗換)JR横須賀線で錦糸町駅へ。
北口から10分ほど歩き、旧「赤線」亀戸のフィールドワーク。
↑ 横十間川・天神橋から。
中央に見えるマンションを含め、その右手が「赤線」指定地。
JR錦糸町駅からよりJR亀戸駅からの方が近いように思う。
(当時は都電22系統柳島停留所が最寄り)
2016年のストリート・ビューで下見して、その時点では、旧「赤線」の建物が3軒残っているのを確認したが、残念ながら、そのうちの1軒は解体されてしまっていた。
2軒だけ撮影。
↑ ワインレッドタイルの壁面装飾が美しい(旧「双葉」)。
↑ 「亀戸カフェー組合」の事務所と(性病)診療所があった場所には大きなマンションが建っていた。
↑ 「赤線」指定エリアの西口にあたる栗原橋から。
旧・指定地から北に歩いて天祖神社へ。
玉垣の刻銘を撮影。
「城東三業組合」(亀戸の料理屋・待合・芸者置屋の組合)の刻銘はすぐに見つかったが。
肝心の亀戸「遊園地」(戦前の私娼窟時代の名称)の刻銘が見つからない。
不安がよぎる。
あれ?こんな大きな標識、以前はなかったよね、
と思い、後ろをのぞき込むと・・・、
あった。
でも、これでは正面から撮影できないじゃないか。
看板の裏側の狭い空間に腕を差し込んで、なんとか撮影する。
この場所に標識が立てられたの、偶然だろうか? それとも人目につかないようにする隠蔽の意図があったのか?
まあ撤去されてしまうよりはマシだけど。
↑ 2003年撮影