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「清朝最後の王女」愛新覚羅顕琦さん逝く [訃報・追悼]

5月26日(月)
愛新覚羅顕琦さん(1918~2014)が亡くなった。95歳だった。
清朝の皇族の名門、粛親王家の第17皇女だが、生年は1918年で、すでに清朝は辛亥革命で倒れた後、そういう意味では「清朝最後の王女」という新聞の見出しは違和感がある。
父は、第10代粛親王愛新覚羅(アイシンギョロ・あいしんかくら)善耆(1866~1922)。
姉は、愛新覚羅顯玗(第14皇女、日本名:川島芳子、1907~1948)。
日本では「川島芳子の妹」と言った方が通りは良いだろう。
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11歳年上の同母のお姉さんの分まで長生きされて、天寿を全うされた。
日中友好に尽力された偉大な生涯だったと思う(合掌)。
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↑ 『清朝の王女に生れて-日中のはざまで』(中央公論文庫 1990年、単行本は1986年の刊行)
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清朝最後の王女、愛新覚羅顕琦さん死去 「東洋のマタハリ」川島芳子の妹

「東洋のマタハリ」と呼ばれた川島芳子の妹で、清朝の粛親王の末娘だった愛新覚羅顕琦あいしんかくら・けんき)さんが26日未明、心不全のため北京市内の病院で死去した。95歳だった。4月に体調を崩し入院していた。葬儀は28日、北京郊外の八宝山公墓の梅庁で行われる。

幼少期に満州国の皇族として日本に留学。学習院、日本女子大に学び、大手繊維メーカー「鐘紡」の北京支社で勤務中に終戦を迎えた。日本軍のために情報活動を行ったとして処刑された芳子の妹であることなどを理由に、中国当局に「日本のスパイ」などのぬれぎぬを着せられ、農村での強制労働を含めて計23年間も監禁された。

獄中から中国の最高実力者、鄧小平に無実を訴える手紙を書いたことなどをきっかけに名誉回復された。翻訳の仕事をしながら、北京で日本語学校を設立。頻繁に訪日し、講演活動を通じて日本語教育に力を注いだ。日本で出版した自伝『清朝の王女に生れて-日中のはざまで』(中央公論)が大きな話題となった。晩年、日中関係が悪化しても親日派を自認してはばからなかった。

亡くなる直前に電話で日本の友人に「中日友好。日本の皆さんによろしくお伝えください」と話していたという。(北京 矢板明夫)
「msn産経ニュース」2014.5.26 20:28
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140526/chn14052620280010-n1.htm
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コメント 4

マミー

川島芳子さんは私の大好きな方ですので、彼女の妹さんということで感慨深い物があります。うりざね顔の上品な方ですね。
by マミー (2014-05-28 12:53) 

真樹猫ちゃん

この人の「文化講演会」の録音をラジオ番組で聞いた事がありみゃす。
いかにも戦前の奇麗な日本語を話す方でした。
それにしても、大陸で一緒に活動された方々が続々と帰天され
みゃすとお寂しい事ですにゃん。
○○党幹部の要請により、替え玉を仕立てて密かに・・・という
話は未だ公開してはいけにゃいのでせうか・・・。
by 真樹猫ちゃん (2014-05-28 21:38) 

三橋順子

マミーさん、いらっしゃいま~せ。
川島芳子との関係は同母の姉妹でありながら、必ずしも折り合いは良くなかったようです。
芳子がエキセントリックな性格(それが晩年にはモルヒネ中毒でさらにひどくなる)なのに対し、顕琦さんはいたって常識的な方でしたから。
性格はともかく、顔立ちは似ていると思います。
やはり同母姉妹ですね。
by 三橋順子 (2014-05-29 02:57) 

三橋順子

真樹大姉様、いらっしゃいま~せ。
>いかにも戦前の奇麗な日本語を話す方でした
学ばれたのが学習院の女子部ですからね。
正真正銘の華族のお嬢様言葉です。

>大陸で一緒に活動された方々が続々と帰天され
天津の「藤村機関」を率いられた大姉様も、さぞお寂しい事でしょう。
で、いつ帰天なされるご予定ですか?

by 三橋順子 (2014-05-29 03:03) 

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