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1月5日(土)初詣旅行(三島大社・身延山久遠寺) [旅]

1月5日(土)  曇り  三島  7.8度   湿度47%(15時)

「うちは、まだ初詣に行ってないにゃ」という家猫さんを連れて日帰り初詣旅行。

6時、起床。
8時、家を出る。
今日も寒い。
(東京の最高気温は4.7度までしか上がらず、平年より5.6度も低く、この冬、いちばんの寒さ)

まず、午前中、伊豆国一宮、三嶋大社へ。
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↑ 歌川広重『東海道五十三次(保永堂版)』「三島 朝霧」
三島宿は東海道11番目の宿場町、三嶋大社は東西に伸びる東海道の北側に位置している。
伊豆箱根鉄道駿豆線の三島広小路駅から三嶋大社鳥居前に至る商店街(旧・東海道)はなかなか賑わっている。
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↑ 三が日を過ぎているので、この程度の人出。
神社で最近感じることは、若い人の参拝がとても増えていること。
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三嶋大社の祭神は本来は「三嶋大明神」、現在は大山祇命(おおやまつみのみこと)と積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)。
創建は不詳。
文献上の確実な初見は『釈日本紀』所引『日本後紀』逸文の淳和天皇天長9年(832年)に三島大神と伊古奈比咩命(下田市白浜の伊古奈比咩命神社)を「名神」に叙したことが見える。
ただし『延喜式』(927年)の神名帳には「伊豆国賀茂郡 伊豆三島神社」と記されていて、現在の場所(田方郡)ではなく、賀茂郡の下田・白浜海岸に后神である伊古奈比咩命と並んで祀られていたと思われる。
延喜式以降、平安時代中~後期に、田方郡にあった伊豆国府に近い現在地に遷座した。
平治の乱(1159年)で伊豆蛭(ひる)ヶ小島に流された源頼朝は、流人時代から三嶋大社を崇拝し、治承4年(1180年)の挙兵にあたっては、例大祭の日(8月中の酉)を選び、戦勝を祈願して奉幣している。
以後、鎌倉幕府は三嶋大明神を、走湯大権現(伊豆山神社)、箱根大権現(箱根神社)と並んで重んじた。
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↑ 「源頼朝旗挙出世絵馬」

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↑ お天気が今ひとつで、期待していた富士山は中腹に雲がかかっていて残念。
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↑ 富士川の谷に入ってから真っ白な山頂がちらっと見えた

午後は、日蓮宗の総本山身延山久能寺へ。
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↑ 本当は「菩提梯」という287段の急な石段の参道を上るのだけど・・・。
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↑ ちょっとズルをして斜行エレベーターで上る。
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↑ 菩提寺(常陸国下館藩、大谷山星宮寺)の宗旨が日蓮宗なので、ちゃんとお参りする。
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文永11年(1274年)、佐渡での流刑を終えて鎌倉に戻った日蓮は、甲斐国波木井(はきい)郷の地頭南部六郎実長(波木井実長)に招かれ、身延山西谷に草庵を構えた。
日蓮は翌弘安5年(1282)湯治療養と両親の墓参りのために下山し、信徒であった武蔵国の池上宗仲邸(現在の東京都大田区本行寺)に滞在中の10月13日に死去したが、「いづくにて死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候」という遺言に従い、遺骨は身延山に葬られた。
室町時代の文明7年(1475年)に、11世法主日朝が現在地に伽藍が移転。
戦国時代には甲斐国守護武田氏や河内領主の穴山氏の庇護を受け、門前町が形成された。

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↑ 駿河湾の桜海老としらすのハーフ丼(850円)。美味!
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↑ B級グルメ「富士宮焼きそば」(500円)
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↑ 駿河湾の夕景(新東名高速道路・駿河湾沼津サービスエリア)。
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