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伝説の大女優、原節子さん逝く、95歳 [訃報・追悼]

11月25日(水)
原節子さんが、映画全盛期の大女優であることは、もちろん存在は知っていたが、最後の映画出演は1962年、私が7歳の時で、さすがに現役のお姿は記憶にない。

大きな目が特徴的なくっきりした顔立ち、大正生まれの日本人女性には珍しい165cmの長身。
初の日独合作映画「新しき土」(1937年)のヒロインに抜擢されたのも肯ける。
原節子.gif
太平洋戦争中は「ハワイ・マレー沖海戦」(1942年)をはじめ、「決戦の大空へ」(1943年)、「勝利の日まで」(1945年)などの戦意高揚映画に数多く出演した。

戦後は「安城家の舞踏会」(1947年)のヒットで原トップ女優としての地位を確立。
さらに「青い山脈」(1949年)で女性教師役を演じ大ヒット。
その後、小津安二郎監督の「晩春」(1949年)、「麦秋」(1951年)、「東京物語」(1953年)、「東京暮色」(1957年)など6作品に出演し、内面的な深さのある演技で高い評価を得た。
原節子(晩秋).jpg
↑ 「晩春」(1949年)から
原節子(晩春)2.png
↑ 「晩春」の花嫁姿。原節子自身は生涯独身だった。

1963年12月、小津安二郎監督の通夜に姿を見せたのを最後に公の場から姿を消し、鎌倉で隠遁生活に入った。
小津監督に殉じたかのような、あるいは日本映画の斜陽化を予測したような、42歳での早すぎる引退から52年。
あまりにも長い余生だった(合掌)。
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原節子さん死去95歳 伝説の女優「東京物語」「晩春」

戦前から戦後にかけて銀幕のトップスターとして活躍し、42歳の若さで突然引退した後は「伝説の女優」といわれた原節子(はら・せつこ、本名会田昌江〈あいだ・まさえ〉)さんが9月5日、肺炎で死去していたことがわかった。95歳だった。葬儀は近親者で営んだ。

同じ敷地に暮らしていた親族によると、原さんは8月中旬、神奈川県内の病院に入院。亡くなった日は、5人ほどの親族に見守られながら息を引き取った。それまでは「大きな病気もなく過ごしていた」といい、亡くなった時点での公表を控えたのは「あまり騒がないでほしい」との遺志を尊重したためという。

横浜市生まれ。女学校2年の時に義兄の熊谷久虎監督に女優の道を勧められ、1935年、日活多摩川撮影所に入社。「ためらふ勿(なか)れ若人よ」でデビューした。芸名の「節子」はこの時の役名からとった。

山中貞雄監督の「河内山宗俊」など清純な美しさとかれんな演技で注目を浴び、36年、アーノルド・ファンク監督から、日独合作映画「新しき土」の主役に抜擢(ばってき)された。

東宝系の会社に移籍。戦争映画への出演を経て、戦後の46年、黒澤明監督の「わが青春に悔なし」で、生の輝きに満ちた新しいヒロイン像を演じて注目を集めた。第2次東宝争議の最中、組合の政治闘争主義に反発し、長谷川一夫、高峰秀子らとともに組合を脱退し、47年3月に創立した新東宝に参加。この年の6月にフリーとなった。

以降、「安城家の舞踏会」「お嬢さん乾杯!」「青い山脈」などに主演。みずみずしい美貌(びぼう)と着実に成長した演技力を発揮した。49年の小津安二郎監督の「晩春」では、大学教授の父(笠智衆)と暮らす、婚期が遅れた娘のこまやかな愛情を好演。この年の毎日映画コンクールの女優演技賞を受けた。

「白痴」「麦秋」「めし」「東京物語」「山の音」など、戦後映画を代表する作品にたて続けに出演した。54年には、白内障の手術を受けたが、翌年、「ノンちゃん雲に乗る」で鰐淵晴子の母親役で再起した。

その後も、「東京暮色」「秋日和」「小早川家の秋」など小津作品や、「智恵子抄」などで活躍したが、62年、「忠臣蔵」を最後に突然引退した。

その後は神奈川県鎌倉市の自宅で静かに暮らし、パーティーなどの公の場には一切登場せず、マスコミなどの取材にも応じていなかった。それがかえって神秘的なイメージを生んだ。

『朝日新聞』2015年11月26日02時25分
http://www.asahi.com/articles/ASHCT7KPNHCTUCLV01B.html?iref=comtop_6_01
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コメント 4

島本文美

何分生まれる前に活躍されていた女優さんであることは存じておりましたが、映画全盛期に青春時代を過ごした両親でも好みが違っていたのでなかなか話題にのぼった女優さんではありませんでした。

後年知った出演作品の「晩春」のラストシーン近くの、花嫁支度が終わった時の黒引き振袖花嫁姿の美しさに言い知れない感銘を受け、未だ持って一番美しい花嫁姿だと思っております。謹んでご冥福お祈りいたします。
by 島本文美 (2015-11-26 03:50) 

さとしpapa

初めて、書かせて戴きました。68歳の爺で、女装者ファンです。

何時も読ませて戴いています。有難う御座います。内容、大変有益です。ROMばかりで御免なさい。


さて、本論。
子供時分に、「青い山脈」を観て、彼女の面影を大変良く覚えています。

池波正太郎さんの映画日記をさいさい読んでいます。「女優としては、誘うと張り飛ばされる気がする」の下りがあったのを覚えています(笑)

by さとしpapa (2015-11-26 09:28) 

三橋順子

島本文美さん、いらっしゃいま~せ。

原節子さんは、私の亡母と同年生まれで、だいたいその世代のスターなどだと思います。
後から、映像を見ると、たしかに同時代の女性から突出した美貌だったと思います。
「晩春」の花嫁姿の画像、本文に追加しておきました。
by 三橋順子 (2015-11-26 22:46) 

三橋順子

さとしpapaさん、いらっしゃいま~せ。

いつも読んでくださって、ありがとうございます。
うれしいです。
私より8つ上の方で、かろうじて現役時代の記憶があるというお話、実感があります。

小津作品の楚々とした穏やかな雰囲気とは違って、ご本人はかなり潔癖な性格だったようですね。

by 三橋順子 (2015-11-26 23:18) 

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