【講演録】「日本のトランスジェンダーの歴史ー仏教との関連を中心にー」 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]
11月26日(木)
2015年11月15日(日)、大阪「梅田ガクトホール」で行われた「NPO法人 関西GIDネットワーク」の「第2回市民フォーラム」の講演記録です。
当日は参加者は約70名で、盛会でした。
お招きいただいた「関西GIDネットワーク」の福田亮先生(理事長)、康純先生(副理事長)、織田裕行先生(理事)、丹羽幸司先生(理事)、ご一緒させていただいた高垣雅緒先生、ご参加の皆さんに心から御礼申し上げます。
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NPO法人 関西GIDネットワーク 第2回市民フォーラム
2015年11月15日 大阪「梅田ガクトホール」
日本のトランスジェンダーの歴史
ー仏教との関連を中心にー
三橋順子(性社会文化史研究者)
皆さん、こんにちは。ご紹介いただきました三橋順子です。
関西GIDネットワークの先生方、お招きありがとうございました。
正直申しまして、GID関係のフォーラムで仏教のお話をするとは、思ってもいませんでした。
東京のGIDのフォーラムですと、血だらけの画像を見ながら、難しい術式のお話を形成外科の先生からうかがう、というパターンがよくあるわけですが、市民向けとはいえ、こうした文化的なテーマでフォーラムを開催する関西の先生方は、文化的というか、余裕があるというか、さすが,すばらしいと思います。
お世辞はこのくらいにしておきまして、本論に入りたいと思います。
今日は「日本のトランスジェンダーの歴史」というテーマになっていますが、短い時間で日本のトランスジェンダーの歴史をたどるのは、さすがに無理です。
そこで、仏教との関連に絞ってお話しようと思います。
日本のトランスジェンダーの歴史の全体像については、拙著『女装と日本人』をお読みいただけたら幸いです。
4冊だけ持ってまいりましたので、ご希望がありましたら、おっしゃってください。
消費税サービスの1000円で結構です。
あるいは、レジュメも末尾の参考文献に掲げておきました『ユリイカ』2015年9月号の「トランスジェンダー文化の原理 ー双性のシャーマンの末裔たちへー」と『現代思想』2015年10月号の「日本トランスジェンダー小史 ー先達たちの歩みをたどるー」を読んでいただいても、あらましはわかると思います。
今日のお話は、大きく2つです。1つは稚児、もう1つは観音さまの話です。それがどう絡むのかは、後のお楽しみです。
1 中世寺院社会の稚児
まず、中世寺院社会の稚児についてお話します。
『春日権現験記絵』や『石山寺縁起絵巻』など鎌倉時代に描かれたいくつかの絵巻物には、僧衣・裹頭(かとう)の僧侶にまじって、色鮮やかな衣を着た長髪の人物が描かれています。
↑ 『春日権現験記絵』巻2
↑ 『石山寺縁起絵巻』巻1
これらの人物は、かっては女性と考えられていましたが、女性が公式の場で僧侶に立ちまじること
は仏教の戒律上あり得ないことで、東京大学の史料編纂所にいらした黒田日出男先生の研究で稚児である可能性が指摘されました。
私も黒田先生の説に賛同と言うか、この説に立つことによって、いろいろなことが見えてきました。
こちらは『芦引絵』という鎌倉時代の絵巻物に描かれた稚児です。
↑ 『芦引絵』の稚児
奈良から比叡山にいる恋人の青年僧の元に旅する稚児の姿は、花菱模様の小袿の裾を取り、藺げげ(いげげ)をはいて被衣(かつぎ)をして、眉も女性の形に整え、おそらく化粧を施していると思われます。
その姿は、『法然上人絵伝』など同時代の絵巻に描かれている被衣姿の女性と比べてもまったく変わるところがなく、絵を見ただけでは、少女と区別がつきません。
↑ 鎌倉時代の娘(『法然上人絵伝』)
京都の御室(おむろ)仁和寺にいた守覚法親王の著書『右記』には、「童形等消息の事」という稚児に対する訓戒(守るべき礼式)を記した章があります。
そこには、稚児の容貌について「翠黛の貌、紅粉の粧」という表現があり、稚児が眉墨を引き、口紅や白粉で化粧し、さらにお歯黒をするという女性と同様の顔を作っていたことがわかります。
また、児がもつ懐紙は「美麗を存すべきものなり」とか、衣装などは「殊に鮮やかなるべきなり」と述べられていて、公式の席において、稚児は色鮮やかに華やかに装うことが求められていました。
それは、近現代社会において女性が求められてきた社会的役割と、なんら変わるところがありません。
女性との接触が戒律的にタブーであり、女性が存在し得ない寺院社会において、稚児は、身体的には少年であっても、女性の代替として、ジェンダー的には「女」として扱われていたのです。
2 観世音菩薩
次に観世音菩薩、つまり観音さまの話です。
観世音(観自在)菩薩の所依の経典は『妙法蓮華経』(鳩摩羅什訳)の第二十五「観世音菩薩普門品」です。
これが単独で行われるようになり「観世音経」と呼ばれます。
その内容は、心に観音を念じれば、「七難を除き、三毒を離れ、二求を満足せしめる」という現世利益的なものでした。
一方、『観無量寿経』 では、勢至菩薩とともに阿弥陀如来の脇侍(きょうじ)に位置づけられています。
中国では、北魏時代から、単独で信仰されていました。
これは菩薩としてはかなり異例です。
日本の観音信仰は、当初は追善(故人の冥福を祈る)が中心でした。たとえば、厩戸皇子(聖徳太子)一族の菩提を弔う法隆寺東院(夢殿)の救世観音などです。
それが、奈良時代中期(天平期)から、不空羂索観音、十一面観音、千手千眼観音、如意輪観音などの「変化観音」の信仰が強まり、現世利益的になっていきます。
ここからが肝心なところになります。
皆さんは、観音さまの性別をどうイメージしているでしょうか?
学生に聞くと、女性だと思っている人がかなりいるのですが、基本的には男性です。
観世音菩薩の梵名はAvalokiteśvara(アヴァローキテーシュヴァラ)と言いますが、これは男性名詞です。
だから、髭がある観音様がいます。
たとえば、京都・泉湧寺の楊貴妃観音(南宋)。唐の玄宗皇帝の愛人の楊貴妃の姿を写したというのに髭がありますね。FtMでしょうか?
↑ 京都・泉湧寺の楊貴妃観音(南宋)
では、なぜ女性的な観音さまがいるかというと、それは「三十三身普門示現(さんじゅうさんしんふもんじげん)」というのがあるからです。
なんだそれ?と思う方も多いと思いますが、観世音菩薩は、世を救済する際に、衆生の「機根」(性格や仏の教えを聞く器)に応じて33の形体で示現するという仏説です。
「応現身」と言って、相手に応じて姿を変えるのです。
その33パターンの中に、女身の形体が7つもあります。
比丘尼身(白衣観音)、優婆夷身、長者婦女身(馬郎婦観音)、居士婦女身、宰官婦女身、婆羅門婦女身、童女身(持蓮観音)などです。
↑ 持蓮観音(サールナート出土・5世紀頃)
↑ 馬郎婦観音=魚籃観音(江戸時代初~中期・絵師不詳).
日本において、観世音菩薩は、しばしば女性的に造像されます。
奈良・法華寺の十一面観世音菩薩(平安時代前期・9世紀前半)は、光明皇后の姿を写したという伝えがあります。
胸の膨らみはないので女身ではありませんが。
↑ 奈良・法華寺「十一面観世音菩薩像」(9世紀前半)
日本ではありませんが、インドネシアの東部ジャワ出土の「般若波羅蜜多菩薩座像」の胸には、明確にお椀形の膨らみがあり、乳首と乳輪までがリアルに表現されています。
シンガサリ王朝の初代王妃の姿とも、13世紀の末に在位したクルタナガル王の王女の姿であるとも言われています。
↑ 「般若波羅蜜多菩薩座像」(インドネシアの東部ジャワ出土)
私の故郷の埼玉県秩父市の秩父三十四箇所観音霊場 第四番高谷山金昌寺の「子育観音」(江戸時代)は、赤子に乳を吸わせる完全な女身で造形されています。
↑ 秩父・金昌寺「子育て観音像」(江戸時代)
性別を変えるのは、観音さまだけではありません。
南都西大寺の再興に尽力した叡尊というお坊さんの『感身学正記』という日記の建長3年(1251)正月5日条に不思議なことが記されています。
「大小尼衆、すべていまだ再興せざるを悲しみて、一比丘を変じて比丘尼となすこと、奇特常篇を越えたり」
比丘(男性の仏道修行者)が比丘尼(女性の仏道修行者)に変じたことへの驚きを記しています。
これだけでは、なにが起こったのかよくわからないので、具体的な事情を調べてみますと、『招提千歳伝記』という本に、寛元年中(1143~47)のこと、帝釈天が下ってきて教円という僧侶に「(唐招提寺派律宗では)比丘僧は備わったが比丘尼がまだいない。だから教円を尼にする」と言って消えます。すると、教円はたちまち男を変じて女になり、故郷に帰って姉を教化して出家させ、この姉こそが中宮寺を再興する信如尼である、という話があります。
つまり、唐招提寺派律宗における尼衆誕生の契機が、教円という僧侶の性転換だったという説話で、叡尊はこの話を知って驚いて日記に記したのです。
同様の話は『本朝高僧伝』などにも見え、少なくとも中世~近世にかけてはかなり流布していたようです。
仏法興隆のためならば、菩薩も僧侶も方便として性を転換することを厭わない仏教の思想がよくわかります。
そんな仏教が、性別の越境をタブー視するはずがないのです。
3 観音の化身としての稚児
さて、稚児と観音さまのお話をしました。それがどう絡むのかというと、観世音菩薩≒稚児なのです。
寺に仕える少年は「児(ちご)灌頂」の儀式(本尊は観世音菩薩)を通じて、稚児となり、観音の化身となります。生身の人間ではなく、この世の者でない至高の存在になるので、僧が交接しても「不邪淫戒」に抵触しません。
稚児と交わることは、観世音菩薩と一体と為ることなのです。
今日の講演会、R18指定でないこことを、うっかり忘れていました。
会場に17歳以下の方、いらっしゃいますよね。たいへん申し訳ありませんが、ちょっとの間、顔を伏せるか、目を瞑っていてください。
これは観音の化身である稚児と僧侶の絡みの図です。
『稚児之草紙』という鎌倉時代に描かれた絵巻で、京都の醍醐寺三宝院の秘蔵です。
本来なら、文化財指定されて当然のものですが、醍醐寺は公開していません。
現在、東京の「永青文庫」で開催中の「春画展」に大英博物館所蔵の精密な模写が出品されていて、画像はそこからとりました。
さて、最後にちょっとだけ神様の話もしましょう。名古屋の熱田神宮の神様について、こんな話があります。
「玄宗ノ日本ヲ攻テ取ラントスル処ニ、熱田明神ノ美女ト成リテ、玄宗ノ心ヲ迷スト云」( 『長恨歌并琵琶引私』 室町時代)
熱田の神様が美女楊貴妃に変身して、唐の玄宗皇帝の心を蕩かし、日本侵略の意図を挫折させたという話です。
「大国の 美人尾州に 跡を垂れ」という古川柳があるように、江戸時代には地誌や旅案内などにも記され、広く知られていた話で、熱田神宮の森の奥には楊貴妃の墓という五輪塔もありました。
今は撤去されて土台の石しか残っていませんが。
↑ 熱田神宮にあった楊貴妃の墓(『張州雑志』巻39)
まとめ
時間が迫ってきました。まとめましょう。
仏教や日本固有の信仰である神道には、異性装や同性愛を禁じる宗教規範はありません。
早い話、観音様も、僧侶も、そして神様も女性に変身するのが日本なのです。
そんな神や仏が、人が性別を変えるのは駄目だ、なんて言うはずがないのです。
『旧約聖書』で(男性)同性愛や異性装、去勢を厳しく禁じているユダヤ-キリスト教社会とは、その点で大きく宗教規範が異なります。
「性別を越えてはいけない」という宗教規範があるか、ないかは、トランスジェンダーと社会の関係を考えるうえで、とても重要なことです。
「なんで女になってはいけないのですか?」と問うた時に「それは神が許さない」と言われてしまうユダヤ-キリスト教社会と、「観音様も女になるじゃないですか、だったら、私が女になってもいいでしょう」と言える日本とはかなり状況が違うということです。
むしろ、日本には、伝統的に、双性的(ダブル・ジェンダー)な存在に「神性」を見る文化、「双性原理」が根強くありました。
そのため、社会の性別越境、トランスジェンダーへの親和性が、現在でも欧米諸国に比べて高いのです。
そこら辺のことは、『女装と日本人』や『岩浪講座 日本の思想』、『ユリイカ』に書きましたので、ご興味があったらお読みください。
そうした日本の社会・文化的特性を、トランスジェンダーの人たちのQOLの向上にもっと生かすべきなのではないでしょうか、というのが今日のお話のまとめです。
望みの性別で生きようとする方たちに、少しでも勇気を与えることになれば、うれしいです。
ご清聴、ありがとうございました。
【参考文献】
黒田日出男「『女』か『稚児』か」 (『姿としぐさの中世史』平凡社、1986年)
彌永信美『観音変容譚ー仏教神話学Ⅱー』 (法蔵館、2002年)
三橋順子『女装と日本人』(講談社現代新書、2008年)
三橋順子「性と愛のはざま -近代的ジェンダー・セクシュアリティ観を疑う-」
(『講座 日本の思想 第5巻 身と心』 岩波書店、2013年)
三橋順子「トランスジェンダー文化の原理 ー双性のシャーマンの末裔たちへー」
(『ユリイカ』2015年9月号 青土社 2015年)
三橋順子「日本トランスジェンダー小史 ー先達たちの歩みをたどるー」
(『現代思想』2015年10月号 青土社 2015年)
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【討論での発言】(一部)
私は、歴史学、社会学、文化人類学を学び、文化的構築主義に立っています。
高垣先生がおっしゃるように、性別の移行をしようとする根源的な原因は脳の器質的なものだと思います。
しかし、それが、性別移行(トランスジェンダー)という行為になって現れるまで、あるいは現れてからも、さまざまな社会的・文化的影響をこうむります。
宗教的な思想や規範は、そうした社会的・文化的影響の中でも、かなり大きな要素だと思っています。
だからこそ、キリスト教社会である欧米と、仏教の影響が大きいタイや日本では、トランスジェンダーの形が違ってきて当然なのです。
あるいは、同じ非キリスト教圏でも、タイと日本の様相はかなり違います。
高垣先生がおっしゃるように、タイのTrans-manは、ほとんど手術しません。
それにし対して日本のTrans-manはやたらと手術をします。
タイと日本でTrans-manの身体違和の在り様が根本的に異なると考える(本質主義)よりも、やはり社会環境の違い(法制や経済事情)が影響していると考えるべきでしょう(構築主義)。
トランスジェンダー現象を、社会的・文化的に構築主義的に考える必要と面白さがそこになるのだと思います。
高垣先生からタイにおいて「カトゥーイ」という伝統的なトランスジェンダー的存在が、性別の移行をしようとする人たちに受け皿になり、そこで、性別移行に必要な情報が受け渡されていくというお話がありましたが、私も「カトゥーイ」という伝統的な文化が担っている役割はとても重要だと思います。
日本でも、少なくとも20世紀末までは、「ニューハーフ」の世界がそうした役割・機能を担っていたわけです。
性別を女性に行こうしたい人たちにとって必要かつ有益な情報やコネクションが、そこに蓄積されていたわけです。
しかし、20世紀末~21世紀初頭にかけて「性同一性障害」概念が流布されていく中で、そうした世界はまるで悪しきもののように扱われ、忌避され、衰退していきました。
では、それに代わる機能をもつものができたかと言うと、必ずしもそうは言えません。
ジェンダー・クリニックも自助・支援グループも、情報や技術の提供という面で、十分な機能を持てたかと言えば、かなり疑問です。
それが、こんなに情報が流通しているのに、本当に当事者にとって必要な、リスクが少ない情報がなかなか得られないという、現在の混迷した状況に至った一因だと思います。
「性同一性障害」概念の移入に際して、2000年の歴史をもつ日本のトランスジェンダー文化が蓄積してきた「知恵」をばっさり切り捨てて捨ててしまったことは、大きな失敗だったと思います。
性別の移行は、社会の中で、ジェンダーという文化体系(性別認識や技術の集合)に則って行われるもので、医療だけでなし得るものではないのです。
私は『女装と日本人』を、「性同一性障害」概念の移入によって切り捨てられた世界の「遺書」のつもりで書きました。
伝統的なトランスジェンダー文化の継承という点では、もう取り返しがつかない、はっきり言って私はもうあきらめています。
2015年11月15日(日)、大阪「梅田ガクトホール」で行われた「NPO法人 関西GIDネットワーク」の「第2回市民フォーラム」の講演記録です。
当日は参加者は約70名で、盛会でした。
お招きいただいた「関西GIDネットワーク」の福田亮先生(理事長)、康純先生(副理事長)、織田裕行先生(理事)、丹羽幸司先生(理事)、ご一緒させていただいた高垣雅緒先生、ご参加の皆さんに心から御礼申し上げます。
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NPO法人 関西GIDネットワーク 第2回市民フォーラム
2015年11月15日 大阪「梅田ガクトホール」
日本のトランスジェンダーの歴史
ー仏教との関連を中心にー
三橋順子(性社会文化史研究者)
皆さん、こんにちは。ご紹介いただきました三橋順子です。
関西GIDネットワークの先生方、お招きありがとうございました。
正直申しまして、GID関係のフォーラムで仏教のお話をするとは、思ってもいませんでした。
東京のGIDのフォーラムですと、血だらけの画像を見ながら、難しい術式のお話を形成外科の先生からうかがう、というパターンがよくあるわけですが、市民向けとはいえ、こうした文化的なテーマでフォーラムを開催する関西の先生方は、文化的というか、余裕があるというか、さすが,すばらしいと思います。
お世辞はこのくらいにしておきまして、本論に入りたいと思います。
今日は「日本のトランスジェンダーの歴史」というテーマになっていますが、短い時間で日本のトランスジェンダーの歴史をたどるのは、さすがに無理です。
そこで、仏教との関連に絞ってお話しようと思います。
日本のトランスジェンダーの歴史の全体像については、拙著『女装と日本人』をお読みいただけたら幸いです。
4冊だけ持ってまいりましたので、ご希望がありましたら、おっしゃってください。
消費税サービスの1000円で結構です。
あるいは、レジュメも末尾の参考文献に掲げておきました『ユリイカ』2015年9月号の「トランスジェンダー文化の原理 ー双性のシャーマンの末裔たちへー」と『現代思想』2015年10月号の「日本トランスジェンダー小史 ー先達たちの歩みをたどるー」を読んでいただいても、あらましはわかると思います。
今日のお話は、大きく2つです。1つは稚児、もう1つは観音さまの話です。それがどう絡むのかは、後のお楽しみです。
1 中世寺院社会の稚児
まず、中世寺院社会の稚児についてお話します。
『春日権現験記絵』や『石山寺縁起絵巻』など鎌倉時代に描かれたいくつかの絵巻物には、僧衣・裹頭(かとう)の僧侶にまじって、色鮮やかな衣を着た長髪の人物が描かれています。
↑ 『春日権現験記絵』巻2
↑ 『石山寺縁起絵巻』巻1
これらの人物は、かっては女性と考えられていましたが、女性が公式の場で僧侶に立ちまじること
は仏教の戒律上あり得ないことで、東京大学の史料編纂所にいらした黒田日出男先生の研究で稚児である可能性が指摘されました。
私も黒田先生の説に賛同と言うか、この説に立つことによって、いろいろなことが見えてきました。
こちらは『芦引絵』という鎌倉時代の絵巻物に描かれた稚児です。
↑ 『芦引絵』の稚児
奈良から比叡山にいる恋人の青年僧の元に旅する稚児の姿は、花菱模様の小袿の裾を取り、藺げげ(いげげ)をはいて被衣(かつぎ)をして、眉も女性の形に整え、おそらく化粧を施していると思われます。
その姿は、『法然上人絵伝』など同時代の絵巻に描かれている被衣姿の女性と比べてもまったく変わるところがなく、絵を見ただけでは、少女と区別がつきません。
↑ 鎌倉時代の娘(『法然上人絵伝』)
京都の御室(おむろ)仁和寺にいた守覚法親王の著書『右記』には、「童形等消息の事」という稚児に対する訓戒(守るべき礼式)を記した章があります。
そこには、稚児の容貌について「翠黛の貌、紅粉の粧」という表現があり、稚児が眉墨を引き、口紅や白粉で化粧し、さらにお歯黒をするという女性と同様の顔を作っていたことがわかります。
また、児がもつ懐紙は「美麗を存すべきものなり」とか、衣装などは「殊に鮮やかなるべきなり」と述べられていて、公式の席において、稚児は色鮮やかに華やかに装うことが求められていました。
それは、近現代社会において女性が求められてきた社会的役割と、なんら変わるところがありません。
女性との接触が戒律的にタブーであり、女性が存在し得ない寺院社会において、稚児は、身体的には少年であっても、女性の代替として、ジェンダー的には「女」として扱われていたのです。
2 観世音菩薩
次に観世音菩薩、つまり観音さまの話です。
観世音(観自在)菩薩の所依の経典は『妙法蓮華経』(鳩摩羅什訳)の第二十五「観世音菩薩普門品」です。
これが単独で行われるようになり「観世音経」と呼ばれます。
その内容は、心に観音を念じれば、「七難を除き、三毒を離れ、二求を満足せしめる」という現世利益的なものでした。
一方、『観無量寿経』 では、勢至菩薩とともに阿弥陀如来の脇侍(きょうじ)に位置づけられています。
中国では、北魏時代から、単独で信仰されていました。
これは菩薩としてはかなり異例です。
日本の観音信仰は、当初は追善(故人の冥福を祈る)が中心でした。たとえば、厩戸皇子(聖徳太子)一族の菩提を弔う法隆寺東院(夢殿)の救世観音などです。
それが、奈良時代中期(天平期)から、不空羂索観音、十一面観音、千手千眼観音、如意輪観音などの「変化観音」の信仰が強まり、現世利益的になっていきます。
ここからが肝心なところになります。
皆さんは、観音さまの性別をどうイメージしているでしょうか?
学生に聞くと、女性だと思っている人がかなりいるのですが、基本的には男性です。
観世音菩薩の梵名はAvalokiteśvara(アヴァローキテーシュヴァラ)と言いますが、これは男性名詞です。
だから、髭がある観音様がいます。
たとえば、京都・泉湧寺の楊貴妃観音(南宋)。唐の玄宗皇帝の愛人の楊貴妃の姿を写したというのに髭がありますね。FtMでしょうか?
↑ 京都・泉湧寺の楊貴妃観音(南宋)
では、なぜ女性的な観音さまがいるかというと、それは「三十三身普門示現(さんじゅうさんしんふもんじげん)」というのがあるからです。
なんだそれ?と思う方も多いと思いますが、観世音菩薩は、世を救済する際に、衆生の「機根」(性格や仏の教えを聞く器)に応じて33の形体で示現するという仏説です。
「応現身」と言って、相手に応じて姿を変えるのです。
その33パターンの中に、女身の形体が7つもあります。
比丘尼身(白衣観音)、優婆夷身、長者婦女身(馬郎婦観音)、居士婦女身、宰官婦女身、婆羅門婦女身、童女身(持蓮観音)などです。
↑ 持蓮観音(サールナート出土・5世紀頃)
↑ 馬郎婦観音=魚籃観音(江戸時代初~中期・絵師不詳).
日本において、観世音菩薩は、しばしば女性的に造像されます。
奈良・法華寺の十一面観世音菩薩(平安時代前期・9世紀前半)は、光明皇后の姿を写したという伝えがあります。
胸の膨らみはないので女身ではありませんが。
↑ 奈良・法華寺「十一面観世音菩薩像」(9世紀前半)
日本ではありませんが、インドネシアの東部ジャワ出土の「般若波羅蜜多菩薩座像」の胸には、明確にお椀形の膨らみがあり、乳首と乳輪までがリアルに表現されています。
シンガサリ王朝の初代王妃の姿とも、13世紀の末に在位したクルタナガル王の王女の姿であるとも言われています。
↑ 「般若波羅蜜多菩薩座像」(インドネシアの東部ジャワ出土)
私の故郷の埼玉県秩父市の秩父三十四箇所観音霊場 第四番高谷山金昌寺の「子育観音」(江戸時代)は、赤子に乳を吸わせる完全な女身で造形されています。
↑ 秩父・金昌寺「子育て観音像」(江戸時代)
性別を変えるのは、観音さまだけではありません。
南都西大寺の再興に尽力した叡尊というお坊さんの『感身学正記』という日記の建長3年(1251)正月5日条に不思議なことが記されています。
「大小尼衆、すべていまだ再興せざるを悲しみて、一比丘を変じて比丘尼となすこと、奇特常篇を越えたり」
比丘(男性の仏道修行者)が比丘尼(女性の仏道修行者)に変じたことへの驚きを記しています。
これだけでは、なにが起こったのかよくわからないので、具体的な事情を調べてみますと、『招提千歳伝記』という本に、寛元年中(1143~47)のこと、帝釈天が下ってきて教円という僧侶に「(唐招提寺派律宗では)比丘僧は備わったが比丘尼がまだいない。だから教円を尼にする」と言って消えます。すると、教円はたちまち男を変じて女になり、故郷に帰って姉を教化して出家させ、この姉こそが中宮寺を再興する信如尼である、という話があります。
つまり、唐招提寺派律宗における尼衆誕生の契機が、教円という僧侶の性転換だったという説話で、叡尊はこの話を知って驚いて日記に記したのです。
同様の話は『本朝高僧伝』などにも見え、少なくとも中世~近世にかけてはかなり流布していたようです。
仏法興隆のためならば、菩薩も僧侶も方便として性を転換することを厭わない仏教の思想がよくわかります。
そんな仏教が、性別の越境をタブー視するはずがないのです。
3 観音の化身としての稚児
さて、稚児と観音さまのお話をしました。それがどう絡むのかというと、観世音菩薩≒稚児なのです。
寺に仕える少年は「児(ちご)灌頂」の儀式(本尊は観世音菩薩)を通じて、稚児となり、観音の化身となります。生身の人間ではなく、この世の者でない至高の存在になるので、僧が交接しても「不邪淫戒」に抵触しません。
稚児と交わることは、観世音菩薩と一体と為ることなのです。
今日の講演会、R18指定でないこことを、うっかり忘れていました。
会場に17歳以下の方、いらっしゃいますよね。たいへん申し訳ありませんが、ちょっとの間、顔を伏せるか、目を瞑っていてください。
これは観音の化身である稚児と僧侶の絡みの図です。
『稚児之草紙』という鎌倉時代に描かれた絵巻で、京都の醍醐寺三宝院の秘蔵です。
本来なら、文化財指定されて当然のものですが、醍醐寺は公開していません。
現在、東京の「永青文庫」で開催中の「春画展」に大英博物館所蔵の精密な模写が出品されていて、画像はそこからとりました。
さて、最後にちょっとだけ神様の話もしましょう。名古屋の熱田神宮の神様について、こんな話があります。
「玄宗ノ日本ヲ攻テ取ラントスル処ニ、熱田明神ノ美女ト成リテ、玄宗ノ心ヲ迷スト云」( 『長恨歌并琵琶引私』 室町時代)
熱田の神様が美女楊貴妃に変身して、唐の玄宗皇帝の心を蕩かし、日本侵略の意図を挫折させたという話です。
「大国の 美人尾州に 跡を垂れ」という古川柳があるように、江戸時代には地誌や旅案内などにも記され、広く知られていた話で、熱田神宮の森の奥には楊貴妃の墓という五輪塔もありました。
今は撤去されて土台の石しか残っていませんが。
↑ 熱田神宮にあった楊貴妃の墓(『張州雑志』巻39)
まとめ
時間が迫ってきました。まとめましょう。
仏教や日本固有の信仰である神道には、異性装や同性愛を禁じる宗教規範はありません。
早い話、観音様も、僧侶も、そして神様も女性に変身するのが日本なのです。
そんな神や仏が、人が性別を変えるのは駄目だ、なんて言うはずがないのです。
『旧約聖書』で(男性)同性愛や異性装、去勢を厳しく禁じているユダヤ-キリスト教社会とは、その点で大きく宗教規範が異なります。
「性別を越えてはいけない」という宗教規範があるか、ないかは、トランスジェンダーと社会の関係を考えるうえで、とても重要なことです。
「なんで女になってはいけないのですか?」と問うた時に「それは神が許さない」と言われてしまうユダヤ-キリスト教社会と、「観音様も女になるじゃないですか、だったら、私が女になってもいいでしょう」と言える日本とはかなり状況が違うということです。
むしろ、日本には、伝統的に、双性的(ダブル・ジェンダー)な存在に「神性」を見る文化、「双性原理」が根強くありました。
そのため、社会の性別越境、トランスジェンダーへの親和性が、現在でも欧米諸国に比べて高いのです。
そこら辺のことは、『女装と日本人』や『岩浪講座 日本の思想』、『ユリイカ』に書きましたので、ご興味があったらお読みください。
そうした日本の社会・文化的特性を、トランスジェンダーの人たちのQOLの向上にもっと生かすべきなのではないでしょうか、というのが今日のお話のまとめです。
望みの性別で生きようとする方たちに、少しでも勇気を与えることになれば、うれしいです。
ご清聴、ありがとうございました。
【参考文献】
黒田日出男「『女』か『稚児』か」 (『姿としぐさの中世史』平凡社、1986年)
彌永信美『観音変容譚ー仏教神話学Ⅱー』 (法蔵館、2002年)
三橋順子『女装と日本人』(講談社現代新書、2008年)
三橋順子「性と愛のはざま -近代的ジェンダー・セクシュアリティ観を疑う-」
(『講座 日本の思想 第5巻 身と心』 岩波書店、2013年)
三橋順子「トランスジェンダー文化の原理 ー双性のシャーマンの末裔たちへー」
(『ユリイカ』2015年9月号 青土社 2015年)
三橋順子「日本トランスジェンダー小史 ー先達たちの歩みをたどるー」
(『現代思想』2015年10月号 青土社 2015年)
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【討論での発言】(一部)
私は、歴史学、社会学、文化人類学を学び、文化的構築主義に立っています。
高垣先生がおっしゃるように、性別の移行をしようとする根源的な原因は脳の器質的なものだと思います。
しかし、それが、性別移行(トランスジェンダー)という行為になって現れるまで、あるいは現れてからも、さまざまな社会的・文化的影響をこうむります。
宗教的な思想や規範は、そうした社会的・文化的影響の中でも、かなり大きな要素だと思っています。
だからこそ、キリスト教社会である欧米と、仏教の影響が大きいタイや日本では、トランスジェンダーの形が違ってきて当然なのです。
あるいは、同じ非キリスト教圏でも、タイと日本の様相はかなり違います。
高垣先生がおっしゃるように、タイのTrans-manは、ほとんど手術しません。
それにし対して日本のTrans-manはやたらと手術をします。
タイと日本でTrans-manの身体違和の在り様が根本的に異なると考える(本質主義)よりも、やはり社会環境の違い(法制や経済事情)が影響していると考えるべきでしょう(構築主義)。
トランスジェンダー現象を、社会的・文化的に構築主義的に考える必要と面白さがそこになるのだと思います。
高垣先生からタイにおいて「カトゥーイ」という伝統的なトランスジェンダー的存在が、性別の移行をしようとする人たちに受け皿になり、そこで、性別移行に必要な情報が受け渡されていくというお話がありましたが、私も「カトゥーイ」という伝統的な文化が担っている役割はとても重要だと思います。
日本でも、少なくとも20世紀末までは、「ニューハーフ」の世界がそうした役割・機能を担っていたわけです。
性別を女性に行こうしたい人たちにとって必要かつ有益な情報やコネクションが、そこに蓄積されていたわけです。
しかし、20世紀末~21世紀初頭にかけて「性同一性障害」概念が流布されていく中で、そうした世界はまるで悪しきもののように扱われ、忌避され、衰退していきました。
では、それに代わる機能をもつものができたかと言うと、必ずしもそうは言えません。
ジェンダー・クリニックも自助・支援グループも、情報や技術の提供という面で、十分な機能を持てたかと言えば、かなり疑問です。
それが、こんなに情報が流通しているのに、本当に当事者にとって必要な、リスクが少ない情報がなかなか得られないという、現在の混迷した状況に至った一因だと思います。
「性同一性障害」概念の移入に際して、2000年の歴史をもつ日本のトランスジェンダー文化が蓄積してきた「知恵」をばっさり切り捨てて捨ててしまったことは、大きな失敗だったと思います。
性別の移行は、社会の中で、ジェンダーという文化体系(性別認識や技術の集合)に則って行われるもので、医療だけでなし得るものではないのです。
私は『女装と日本人』を、「性同一性障害」概念の移入によって切り捨てられた世界の「遺書」のつもりで書きました。
伝統的なトランスジェンダー文化の継承という点では、もう取り返しがつかない、はっきり言って私はもうあきらめています。
2015-11-26 12:14
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稚児という存在は、ロリとショタを考える良い契機ですね。
女人禁制だから稚児が女性の替わりというのなら、生理の前の女児でも同じことでしょう。理屈はつけられたはずです。
やっぱり、そこには美少年を特別視する何かの心理があったんでしょうか。
美少女とは違う別の何か?
生殖つまり輪廻と関わりのない若い肉体の美に、僧たちは解脱の契機を見ていたんでしょうか。
by スクルー (2015-11-27 20:49)
スクルーさん、いらっしゃいま~せ。
僧侶の戒律では、生理前の女児であっても、女性はNGですから、論外です。
少年に重ねたのは、建前的には観世音菩薩のイメージであり、性的には女性だったと思います。。
by 三橋順子 (2015-11-30 22:15)