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リレーエッセー「ジェンダー・スクランブル」第8回「トランスジェンダーということ」 (『翻訳の世界』1998年3月号掲載) [現代の性(性別越境・性別移行)]

9月18日(木)
2カ月ほど前、ジェンダー史研究者の茶園敏美さんを介して知り合ったフリーのライター&編集者の大橋由香子が、その昔、『翻訳の世界』(バベル・プレス)掲載のリレー・エッセー「ジェンダー・スクランブル」に書いた「トランスジェンダーということ」という文章で私のことを知ったと聞いて、驚きながらも、うれしく思った。
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-07-23-2
数日前、古いファイルを捜索していたら、そのコピーが出てきた。
翻訳の世界199803号 (2).jpg
掲載は『翻訳の世界』1998年3月号だから、もう16年以上も前のことだ。
私はその前に、『クィア・スタディーズ‘97』(七つ森書館、1997年10月)に「トランスジェンダー論-文化人類学の視点から-」という論文を書いているが、「トランスジェンダーということ」を一般向けに解説した文章としては、たぶん日本ではかなり早い方だと思う。

今、読み返してみても、私の状態はともかくとして、ほとんど手直しする必要を感じない。
(まさか、この10年後、自分がフルタイムTGに移行するとは思ってなかった)
「だからお前は進歩がないのだ!」と言われるかもしれないが・・・。
このエッセーの10年後に刊行されることになる『女装と日本人』(講談社現代新書、2008年9月)の「第6章 日本社会の性別認識」で詳述する内容の核は、この時、すでにできていたのだなぁと思う。

指摘しておきたいのは、1990年代末から2000年代に至る「性同一性障害」概念の「大流行」以前に、「トランスジェンダー」という概念は少なくとも1990年代半ばには日本でも識者の間で定着しつつあったということだ。
トランスジェンダー概念の日本への導入については、「トランスジェンダー論-文化人類学の視点から-」で紹介しているが1980年代後半のことだ。
そのことを無視して、トランスジェンダー概念が「性同一性障害」概念より後から入ってきたように言うのは、誤りだし、歴史の捏造である【追記参照】。

ところで、このリレー・エッセーは、1990年代に入って欧米の小説などでセクシュアルマイノリティが数多く登場するようになり、翻訳者がそうした知識を必要とするようになったことで企画され、1997年8月号から掲載された。
当時としては、かなり先進的な企画だったし、各回、斬新で高密度のエッセーの連続だったが、残念ながら1冊の本にまとまることはなかった。

私がコピーを持っている範囲で執筆者を示すと、こんなラインナップだった。

(1)萩原まみ(元『アニース』編集者)「著者のセクシュアリティは重要か?」
(2)麻姑仙女(MTFTS、レズビアン・フェミニスト)「性を語る、気になる言葉たち」
(3)桃河モモコ(セックスワーカー)「セックスワーカーを名乗るということ」
(4)鬼塚哲郎(大学教員、ゲイリブ活動家)「ホモフォビアあれこれ
(5)平松美保(レズビアン・マザー)「レズビアンマザーという生き方」
(6)黒岩純(FTMTS)「フェイカーの憂鬱」
(7)嶋田啓子(MTF、モデル)「生きられる窪みを求めて」
(8)三橋順子(MTFTG)「トランスジェンダーということ」
(9)マーガレット/小倉東(ドラァグクィーン)「ドラァグクィーンの主張」
(10)大塚隆史(ゲイ・クリエイター)

私には友人の嶋田啓子さんから来て、トークライブで知り合ったばかりのDQ業界の大御所マーガレットさんに渡した。
大塚さんの後、いつまでリレーが続いたのか、こんど調べて見ようと思う。

以下、記録の意味もあり、私の回を全文復刻します。

【追記(19日)】
トランスジェンダーを表題にした書籍としては、1989年に刊行された渡辺恒夫『トランス・ジェンダーの文化』(勁草書房)が最初で、続いて1990年に蔦森樹編『トランス・ジェンダー現象』(至文堂)が出ている。
TVとTGの中間概念としての(狭義の)TG概念の紹介としては、森高夏樹さんという方がサンフランシスコのテンダーロイン地区センターのカウンセラーであるシェリ・ウェップ氏(MTFTS)にインタビューした報告「花咲けるサンフランシスコの女装者たち」(『くいーん』82号、1994年2月号、刊行は1993年12月)が早いと思われる。
また日本におけるトランスジェンダーを冠した団体としては、たかなしなおみさんが主宰したT-Gapが最初と思われる。
T-Gapの立ち上げげ時期は、確実にはおさえられていないが、「LAP(ライフ・エイズ・プロジェクト)ニュースレター」の1995年1月号(7 号)に「T-GAPのページ」が登場する(東優子氏の教示による)ので、1994年末頃と推測している。
http://www.lap.jp/lap1/nlback/lapnlbac.html
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このコーナーは、毎回ジェンダーやセクシュアリティに強い関心のある方々にご登場いただいています。次回は三橋さんのご指名により、小倉東さんの登場です。

『翻訳の世界』1998年3月号(バベル・プレス)掲載
「ジェンダー・スクランブル」第8回 三橋順子
トランスジェンダーということ

三時間ほど前、いかにも「学校の先生」という感じの地味なスーツにネクタイ姿で自宅にへと急いだ同じ道を、胸元の開いた黒のベルベットのミニワンピースに雪豹柄のコートという「オミズのお姉ちゃん」ファッションでヒールの音もリズミカルに、私は駅へと向かいます。

私のように生まれもった生物学的性(sex)とは異なる社会的性(gender)を生きている人間をトランスジェンダー(transgender=TG)と言います。私の場合は、男性から女性へですから、MTF(male to female)ということになります(逆ならfemale to male=FTM)。さらに付け加えれば、私はジェンダーを変換するのは週に二回程度ですから、パートタイムのMTFTGです。これに対して、常時「性の越境者」として生活している人(フルタイムTG)も最近は増えてきています。

さて、私たちは街ですれ違う人の性別をどうやって判別しているのでしょうか。誰も性器を人目にさらしているわけでも、性別証明の書類を首から下げて歩いているわけでもありません。服装、髪形、アクセサリー、化粧、しぐさ、言葉づかい、あるいは乳房の膨らみの有無、髭、体毛の有無、喉仏の有無、体つきなど、様々な性別の指標(ジェンダー記号)を頼りに判別しているのです。

社会的な性別判定がジェンダー記号によってなされているならば、その記号を上手に操作すれば、ある程度の社会的性差の越境は可能になります。もちろん、体つき(身長・肩幅など)や喉仏など容易に変えにくいものもありますが、あとは適切な技術とセンスを身につけ、習練を積みさえすれば、なんとかなるものなのです。

「街を歩いててバレませんか」とよく尋ねられますけど、私の場合、身長や骨格が「男らしい」ので、まあバレています(バレないで望みの性で通用することをパスpass、バレることをリードreadと言います)。でも、たとえバレても、東京や大阪のような大都市では、社会が性別によって期待し要求する性役割であるジェンダー・ロール(gender role)にその人が適合してさえいれば、ほとんど問題にはされません。現代に日本社会のシステムは西欧文明の影響を受けた強固な男女二分制ですけど、その根底には日本の伝統的な柔軟性の高いジェンダー意識が息づいているように思います。

不思議なもので、擬似的にではあっても女性としての時間を長く過ごしていると、性自認(ジェンダー・アイデンティティ gender identity)や性的指向性(セクシュアル・オリエンテーション sexual orientation)にも影響が現れてきます。つまり「女としての私」という意識の比重が次第に大きくなり、「女」としての性的行動も取れるようになりました。

男女双方向の視点を持ったことで、男と女、そして人間性や社会の本質が少しずつ見えてきたような気もします。自分が自分らしく生きるために、私はトランスジェンダーとしての人生を歩んでゆこうと思います。

970108 (2).jpg
三橋順子(みつはし じゅんこ)
女装家。MTFTG、「Club Fake Lady」主宰。執筆、講演、ボランティア・ホステスなど幅広く活動。主な著述は「トランスジェンダー論」(『クィア・スタディーズ‘97』)、「トランスジェンダー用語の基礎知識」(『ひまわり』30号)

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