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「地震は忘れたころにやってくる」-「関東大震災」から91年- [地震・火山・地質]

9月1日(月)
今日は「関東大震災」(1923年9月1日「大正南関東大地震」M7.9)の91年目の記念日である。
驚いたことに『朝日新聞』の今日の朝刊は「天声人語」の冒頭で少し触れているだけで、「関東大震災」関係の記事は皆無(夕刊は1面に特集記事)。
この調子では、現在9月1日になっている「防災記念日」は、いずれ3月11日に変更になるのではないだろうか。

まあ、それも仕方がないだろう。
今年91歳になる私の父でさえ、関東大震災の2カ月半後の生まれだから、「関東大震災」は知らない
私の亡母は、大正9年(1920)生まれで、東京の大森(大田区)で「関東大震災」に遭っている。
でも、「庭にあったいちばん大きな木の根元に避難して震えていた」という記憶しかないようだ。
3歳半だからそれ以上の記憶を期待するのは無理だ。
私が子どもの頃、母方の祖母(明治31年=1898生)に聞いた話では、「立っていられないような揺れ」だったそうだ。
大森は武蔵野台地の縁で比較的地盤は良い。
それで「立っていられないような揺れ」(推定震度5以上)だったのだから、地盤が悪い東京低地(下町)や横浜海岸部がどんな悲惨な状況だったか想像できる。
関東大震災震度分布.gif
↑ 大正南関東大地震(1923)の推定震度分布
濃い色が震度7、薄茶色が震度6強、黄色が震度6弱。
東京より神奈川県の揺れが大きかったことがはっきり分かる。

祖母の話はその夜「東の空が真っ赤で怖かった」と続く。
「関東大震災」の時、東京では西部の山の手地区と東部の下町地区とは被害の程度・様相が全然違う。
山の手では倒壊する家屋も少なかったし、火災もそれほど起こっていない。
それに対して、下町は倒壊家屋が多く、そこから出た火が合流・合体して消火不能な大火災になり、多数の犠牲者が出た。
とりわけ本所(墨田区)の「陸軍被覆被服廠跡」では火災大旋風が集まった避難民を襲い、3万8000人という膨大な死者は数えた。
東京府の「関東大震災」による死者・行方不明者は7万0387人で、そのうち6万6521人が火災による犠牲者ということになっているので、火災による死者の57%が1カ所で発生したことになる。
関東大震災焼失地図.gif
↑ 「関東大震災」による火災による焼失地域。

「被服廠跡」など東京の被害ばかりが強調される傾向がある「関東大震災」だが、神奈川県の被害も甚大だった。
東京より震源(相模湾)に近いのだから当然なのだが、意外に知られていない。
(参照)2013年8月20日「横浜開港資料館『被災者が語る関東大震災』展」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-08-20-3
横浜の倒壊家屋の率は東京よりはるかに高く、住宅倒壊による死者は東京府が3546人だったのに対して、神奈川県は5795人に上っている。
また、東京府では6人しかいない「流出埋没」による死者も836人を数えている。
特に足柄下郡片浦村(現:小田原市の一部)では、大規模な山崩れにより集落が埋没し多くの犠牲者が出た。
また、東海道線根府川駅では地震発生時に通りかかっていた列車が駅舎・ホームもろとも土石流に巻き込まれ海中に転落し、100人以上の死者を出した。

さらに、房総半島南部の被害も激烈で、千葉県北条町(現:館山市)では、2つあった銀行以外、すべての建物が倒壊したという。
地震によって地盤が一気に1.57mも隆起したのだから、当然と言えば当然だ。

こうした大被害をもたらした、「関東大震災」は陸側のプレートの下に沈み込むフィリピン海プレートが沈み込む相模トラフを震源とする海溝型巨大地震である。
岩盤の破壊は神奈川県小田原市の直下から始まり、相模湾を横断して、千葉県館山市の直下にまで及んだ。
こうした相模湾系の海溝型巨大地震は約200年に1度の周期で繰り返されると考えられている。
まだ91年が経っていないので、このタイプの大地震が再来するまでには、まだ余裕があるだろう。
私が生きている間には起こりそうもない。
しかし、東京では、南関東直下型大地震(M6.8~7.3)がいつ起こってもおかしくない時期になっている(発生確率今後30年間で70%以上)。
こちらは、私でも経験する可能性がかなりある。
私より若い人たちはなおさらだ。

「関東大震災」の記憶は薄れ、歴史のかなたに消えていくことで、東京では大地震の記憶を語り伝えることが、もうほとんど難しくなりつつある。

しかし、地震は忘れた頃にやってくる

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コメント 1

真樹猫ちゃん

関東大震災といいみゃすと、東京の被害ばかりが報じられみゃすが、震源に近い神奈川県も大変な被害で、横浜市では市街地の焼失、鎌倉では鶴岡八幡宮の鳥居の倒壊、大仏の損傷、小田原城、石垣山一夜城の石垣も被害がありみゃした。また海岸では、その昔怪しの者が新田とかいう賊を手引きした稲村ケ崎を始め海岸線が隆起していみゃす。

そうそう小田原城といえば、最近は風魔忍者で町おこしとかで、忍者祭りとやらを開催していみゃす。今年は先月末日に終わりみゃしたにょで、来年は名のある乱波を率いて参加してはいかがでせう。
by 真樹猫ちゃん (2014-09-02 22:47) 

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