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宗教規範と性行動について―「ジェンダー論」のコメント票から(6)― [お仕事(講義・講演)]

5月20日(火)

明治大学「ジェンダー論」のコメント票を読んでいると、宗教規範が性行動を規制していることに、「意外」「思ってもいなかった」というような感想が散見される。
そこで、質問にまとめて応じようと思い、文章にまとめてみた。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの一神教においては、神の教えが性生活(セックスライフ)も含めて生活形態(ライフスタイル)全般を強く規制している。
しかし、日本の伝統的な信仰(古神道=アミニズム)では、神は人間の生活に口を挟むことはめったにない。
性生活については、農耕祭祀の基本である五穀豊穣と子孫繁栄とは理念的にも実質的(生産労働力)にも強くリンクしていたので、神は性行為を規制するどころか、おおいに奨励した。
仏教も出家者はともかく在家の人の生活にはそれほど介入はしない。
つまり、日本人は宗教によって性行動が規制された経験にまったく乏しいので、宗教と性的規制の関係について、実感がいたって乏しい。

しかし、世界の多くを占める一神教の世界ではそうではない。
宗教者の側からすると、信者の生活を宗教規範に則った形で矯正することは重要な問題で、特に性行動の規制は、その中心的課題となる。
一見、西欧諸国やアメリカの一部の州(東部や太平洋岸)では、セクシュアリティが解放されているように見えるが、それはセクシュアリティの自由を人権と考える人たちが、セクシュアリティは宗教規範に則して規制されるべきだと考える人たちを若干上回っているからである。
それも絶対的なものではなく相対的なものである。
70:30や60:40ならまだいいが、55;45とか、さらには51:49とかの比率が実際の場合、何かの事情で逆転しないとも限らない。
逆に、同性愛者への抑圧を公然と行っているロシアや、同性愛を刑罰化したアフリカのウガンダのような国は、セクシュアリティは宗教規範に則して規制されるべきだと考える勢力が、セクシュアリティの自由を人権と考える人たちよりも力をもっている国である。
さらに言えば、ウガンダの反同性愛法の成立の背後にはアメリカのキリスト教原理主義団体のバックアップがある。
単にアフリカが野蛮・未開であるという話ではないのだ。
同性愛者に重い刑罰を科すウガンダは、私たちからすれば悪質な人権抑圧国だが、キリスト教原理主義者からすれば神の教えが正しく実行されている国ということになる。

同性愛者だけの問題ではない。
日本ではほとんど問題にならないが、女性の妊娠中絶を認めるかどうかは、今でもキリスト教圏では、現実の政治的対立点だ。
生殖につながらない性行動を認めないキリスト教会は、コンドームの使用さえ「神の教えに背くこと」としてきたのだから。
つまり、性的な自由、セクシュアル・マイノリティの人権尊重という課題は、常にユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの一神教の宗教規範との戦いなのだ。

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コメント 14

kimu

どうして一神教においてはセクシャルマイノリテイを排除する傾向が強いのか、厳格な共同体を維持するために、そういう人たちが排除されていったのではないか・・と思いを巡らし、検索しているうちに、こちらにたどり着きました。

目から鱗で、御記事を読みました。「経歴」では、三橋様の写真を見ておりました。すばらしい!

三橋様の書かれたものを早速取り寄せて読むようにいたします。

by kimu (2014-10-19 11:07) 

三橋順子

kimuさん、いらっしゃいま~せ。
「目から鱗」という言葉は、私にとっていちばんうれしい評価です。
ありがとうございます。
拙著『女装と日本人』お読みいただけたら、幸いです。
by 三橋順子 (2014-10-20 04:35) 

kimu

三橋様、御著書の「女装と日本人」の御紹介、ありがとうございました!う、おもしろい!改めて目から鱗でした。第一章のⅠのヤマトタケルの部を読み終えたところです。建国の英雄が女装をし、慰みの最中の隙を見計らって討つ場面になるほど!と思いました。女装、同性愛が当時から文化として受け入れられていることを感じました。明治期以降の男性化してからのスパンで捉えがちですが・・。ともかく、読み進めます。いや、楽しいです~。


by kimu (2014-11-02 08:45) 

kimu

第一章、「古代~中世社会の女装」を読み終えました。洞見に富み、知的な刺激を与えてくれる内容に敬服しております。

上記、「文化として受け入れられている」は訂正いたします。「固有の文化としてあった」で、どうでしょうか。

自分の中の固定観念が切り崩されております。
by kimu (2014-11-02 20:26) 

三橋順子

kimuさん、いらっしゃいま~せ。
拙著、ご購読ありがとうございます。
「目から鱗」と言っていただけるのが、いちばんうれしいです。
歴史学の基本は史料の解釈で、そこから「歴史像」を組み立てていくわけですが、それが時の流れの中で無理なく動いてくれれば、それほど間違っていない、ということだと思ってます。
そんなわけですので、流れがスームーズかどうか、気にして読んでくだされば幸いです。

>「文化として受け入れられている」は訂正いたします。「固有の文化としてあった」
そうですね。おそらく、日本人の歴史が始まったときから、そうした人たちがいて、それを社会の中で生かす(活用する)システム(文化)があったのだと思います。
by 三橋順子 (2014-11-02 21:05) 

kimu

順子様、

「女装者愛好男性という存在は、女装者以上に知られていません。しかし女装者が古来から存在していたように、女装者好きの男性も古来から存在していたと思うのです。いや、むしろ彼らこそ。古来以来の双生原理を現代に伝えている男性と言われるでしょう」(p276まで読み終えたところです)

いや~この洞察力、もって生まれた天性(トランスジェンダー)、自分はヘクトでこういう傾向もありませんが、それでも「女装」を網羅したこの学術書は(普通、学術書たるものは無味乾燥に感じがちですが(?))、同時にワクワクさせてしまう面白さがあり目が離せません。傑作だと思いました。まだ最後まで読み終えてはいませんが、もう一度読み直したいとも思っています。

ところで、文中で「女装者やニューハーフ・・」と書いておられますが、その違いがわからずにおります。読み直したり、インターネットで調べたりしましたが、どうも自分のヤワな頭では・・。簡単に説明していただければありがたいのですが。
by kimu (2014-11-12 12:09) 

kimu

訂正いたします。

ヘクト→ヘテロ

「むしろ彼らこそ。古来以来・・」→「むしろ彼らこそ、古来以来・・」

       <m(__)m>
by kimu (2014-11-12 12:28) 

kimu

順子様、

後にも出てきておりますように、「ニューハーフ」をプロの女装者と解して読めば問題ないように思いました。

重ねて失礼しました。
by kimu (2014-11-15 10:21) 

三橋順子

kimuさん、いらっしゃいま~せ。
いつもご感想ありがとうございます。
お返事遅くなり、失礼しました。

「女装者」という概念は1960年代に成立するもので、「アマチュアの」(女装を生業としない)、「パートタイムの」女装をする人という概念です。
したがって、ほとんどの場合、身体の女性化(女体化)はしません。

「ニューハーフ」は1970年代末~1980年代初頭に出てくる言葉で、「女装、もしくは女体化していることをセールスポイントにして活動している人」、もしくは「商業的(プロフェッショナルな)なMtFトランスジェンダー」ということになります。
20世紀末の段階で日本の「ニューハーフ」の職種は、飲食接客業(ホステス)、ショービジネス(ダンサー)、性的サービス業(セックスワーカー)の3つつで、私はこれを「ニューハーフ三業種」と言っています。

by 三橋順子 (2014-11-15 14:17) 

kimu

順子様、

お忙しい中、解説ありがとうございました。御著の中で、そのように定義がしてあったような気がします。それを踏まえて読み進めなければならなかったのですね。お手間をかけました。

今、「女装と日本人」読みました。これほど感動した本はない、と思うほど感動しました。(60になろうとしている近頃、いい本に出会うと、生きていてよかったとしみじみ思うようになりました)。私が当初抱いていた、キリスト教はなぜセクシャルマイノリテイーに厳しいのかという疑問にも、十分すぎるほど答えてくれる内容でありました。

ありがとうございました!

近日また、簡単に感じたことを書きたいとおもっています。



by kimu (2014-11-16 17:59) 

三橋順子

kimuさん、いらっしゃいま~せ。

>これほど感動した本はない、と思うほど感動しました。
ありがとうございます。
うれしいです。

by 三橋順子 (2014-11-19 23:15) 

kimu

順子様、

お久しぶりであります。メールいたしました。
もし、メールが届いていないときは、こちらにご一報いただければありがたいです。お忙しい中、恐縮です。
by kimu (2015-01-20 22:56) 

三橋順子

kimuさま、メール、届きました。
お返事は、もう少しお待ち願います。
by 三橋順子 (2015-01-21 00:54) 

kimu

GIDではなくて、transgender。また、響きもいいです。キリスト教の影響を受けた自分は、性別2元論な発想や体質があります。もともと、ユダヤ教の律法は、人の心を縛るものでありました。周りを海に囲まれた日本と違って、過酷な環境で他民族との抗争を繰り返したユダヤ民族は、それによって民族的なアイデンテイテイを確保しなければならなかったからのだと思います。一方、キリスト教の元祖のイエスは律法から自由であろうとしたが、後継者となったパウロは新たに律法的なものを持ち込んで縛ってしまった。キリスト教の「人権派」と「律法派」がある所以だと思っています。

順子様の「女装と日本人」とこちらのブログを通して、当初の疑問が解け、また得るものが大きかったです。(「女装と日本人」は、再読しているところです。)ありがとうございました。


by kimu (2015-02-28 22:21) 

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