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12月20日(金)福島県いわき市の「ハダカのおもてなし」ポスター [現代の性(一般)]

12月20日(金)
知人のツイッターで知ったのだが、福島県いわき市は「カモン!いわき市『ハダカのおもてなし』」という観光キャンペーンを実施中で、「フラガール」に加えて新たに「ファイヤーナイフダンサー」が「いわき市おもてなし人」として観光PR!ということで、こんなポスターを作っている。
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調べてみたら22日までメトロの銀座駅と表参道駅に大きな駅貼りポスターを出しているようだ。
http://iwaki-omotenashi.jp/schedule/schedule_event/schedule_20131218_2.html
この知人は、JR総武線に乗った際に「吊り広告が1両全部ハダカの男だらけになってて壮観というか圧倒というか目のやり場に困るというか」と感じる。
そこから、この広告が首都圏の女性にターゲットを絞ったものであり、男性の裸体を多く露出した広告でヘテロセクシュアル女性を欲情させ、女性観光客を誘致する広告戦略と推測する。
女性の裸体を多く露出した広告でヘテロセクシュアル男性を欲情させ、男性観光客を誘致する広告戦略の真逆のパターンということだ。
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そして、こうしたヘテロセクシュアルを無条件の前提にした街頭広告が、女性の裸体に欲情しないゲイ男性、男性の裸体に欲情しないレズビアン女性、あるいは性欲を感じないAセクシュアルな人を疎外し、抑圧していることを指摘する。
この指摘、たしかに重要だと思う。
マスを対象にした商業広告のほとんどは、セクシュアル・マイノリティなど最初から相手にしていないので(おそらく存在すら思い浮かべていない)、そうした広告の氾濫の中でセクシュアル・マイノリティも「疎外」されることに、つい慣れっこになってしまう。
男性だからといって、すべての人が女性の裸体画像に惹かれるわけではないことは、しっかり主張しておくべきことだと思う。

その上で、いささか疑問に思うのは、女性の裸体画像に涎を垂らす男性というパターンの逆、つまり「男性の裸体画像に涎を垂らす女性」というパターンは、はたして普遍性をもつのだろうか?ということだ。
最初の話に戻れば、「ファイヤーナイフダンサー」の半裸ポスターが、男性の裸体を多く露出した広告でヘテロセクシュアル女性を欲情させ、女性観光客を誘致する広告戦略なのか?という疑問である。
確かに、女性の中にも、男性の裸体に欲情する人はいる。
わざわざお金を払って男性ストリップショーを見に行く人もいる。
だから違うというわけではないのだが…。
ただ、はっきり言えば、ポスターの男性の半裸体に欲情して「いわき市に行こう!」と思う女性は、やはり少ないと思う。
むしろ、男性の裸体に引いてしまう女性の方が多いのではないだろうか
そういう文脈で、このポスターが女性客誘致に効果があるのか?といえば、おおいに疑問だ。 
つまり、異性の裸体画像を見ることで欲情するというパターンは、男性と女性とでは非対称であり、真逆の広告戦略は有効ではないということだ。
それは、日常の社会、インターネット世界における裸体画像の量を見れば、容易に解ることで、女性の裸体画像の氾濫に比較しての男性の裸体画像の少なさは、ゲイ男性を除けば、需要がまったく少ないことを端的に物語っている。
これは、「女性はそういうものを観てはいけません」という伝統的な規範、つまり文化の問題だけではなく(そうした規範はかなり弱まっていると思う)、どうも男女の欲情のシステム(回路)に構造的な差があるのだと思う。
男性は視覚的な性的刺激に比較的ダイレクトに反応して欲情する。
魅力的な女性の裸体写真1枚を見せれば簡単に勃起する男性もけっこう多い。
欲情の回路が単純なような気がする。
それに対して、女性は視覚的な刺激だけでは欲情しにくい。
そこになにかストーリーが必要だったり、さらには聴覚的な刺激や触感が必要だったりで、欲情に至る回路が複雑なような気がする。
だから、女性向けのポルノグラフィーはなかなか難しい。

そもそも、いわき市の観光キャンペーンの「ハダカのおもてなし」の「ハダカ」を「裸体」と考える人がいたら、かなり「裸過敏症」だと思う(「ハダカ」と片仮名表記になっていることにも注意)。
この「ハダカ」は、基本的に「包み隠しのないこと」という意味だ。
まあ、若干「身に衣類を着けていないこと」という意味を掛けてなくはないが。
だから、「ハダカのおもてなし」キャンペーンのモデルになっている、水族館の女性職員さんや、温泉宿の女将さんや、トマト農家のご主人が、裸体でおもてなしするわけではないことは、誰にでもわかる…、
はずだ、と書こうと思って、少し不安になった。
もしかして、「ハダカのおもてなし」から「裸体でおもてなし」を連想してしまう「裸過敏症」の人が増えているのかもしれない。

前近代の日本社会は、少なくとも、庶民レベルでは裸体におおらかな社会だった。
とくに暑い夏は、裸体は男女問わず珍しいことではなかった。
半裸の男性が道を行き来し、胸の合わせを大きくくつろげている女性も珍しくなかったし、路地に入れば長屋のおかみさんは腰巻1つ(上半身裸体)で洗濯をしていた。
銭湯も洗い場の仕切りは低く(もしくは無く)。お互い丸見えだった
したがって、異性の裸体に単純に欲情することも少なかった。
いちいち欲情してたら、銭湯に入れない。
それが、近代化の過程で、裸体を野蛮なものとして嫌う欧米人の感覚に迎合する形で裸体は忌避され抑圧されていく。
それが文明化だった。
しかし、人の習い性として、隠されると見たくなる。珍しくなるとより刺激的になる。
こうして裸体と欲情を結ぶ回路がどんどん強化されていった。
その行き着いた先が「裸過敏症」の人の増加なのだろう。

話をもう一度、戻すと、いわき市の「ファイヤーナイフダンサー」の男性半裸体のポスターは、ヘテロセクシュアル女性を刺激する性的記号として見るよりも、裸体==primitive=「野蛮」という記号性で見るのが正解だと思う。
彼らの顔面に施された刺青を思わせるペイントからもprimitive=「野蛮」という記号性を読み取ることができる。

ともかく、裸と着衣の文化論に関心がある私としては、いろいろ考える機会をくれた知人のツィートに感謝したい。


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コメント 6

丁字屋

こんばんは

 この手の話を聞くと モンド映画 ヤコペッティ なんて言葉が頭を駆け巡ります。 子供の頃 こっそり見ていた金曜スペシャル(東京12チャンネル)をおもいだしちゃうなぁ。
by 丁字屋 (2013-12-21 20:20) 

Gen

確かに江戸時代などに来日した「異人さん」たちが書き残したものには日本のおおらかさについての記述がありますね。
若い娘さんが行水の途中で彼らの姿を見るために裸で往来に飛び出してくる。「こんにちは」と恥ずかしそうに挨拶するのは自らの裸体を恥じてでなく、「異人さんに対しては無礼」なことを分かっていて、その非礼をわびる気持ちだとか。
銭湯では老若男女が裸でくっつきあっていかにも平和そうな様子で湯船につかっている。
それでいてめったに間違いも起こらない。
意外とおおらかなままの方が犯罪は少なくていいのかもしれません。
近代に慣れた我々にはもう手に入らない自由ですね・・・。

ちなみに写真のポスター、以前は「ふ~ん」ですが、今では「おお~」です。
自覚すると色々変わって困りますね・・・。
by Gen (2013-12-22 00:04) 

ふぶら

そうでしたか…だからこのポスターや車内吊り広告は、女性専用車両車だけに全面展開していたJR中央線だったのか? などと…
すみません。自分は全く性的意図? に気がつかず、「おっ! 寒くなってきた時にこういうあったまる広告はいいなぁ~ファイヤーダンスかぁ~上半身はだかの元気な若者の写真は寒さもふっとぶなぁ~」などと脳天気な感想でした。
改めて「そうなのか?」と思って見たら、とても恥ずかしく感じてしまいました…どきどき。
by ふぶら (2013-12-22 10:44) 

三橋順子

丁子屋さん、いらっしゃいま~せ。
ヤコベッティ監督というと「世界残酷物語」ですね。
「ファイヤーナイフダンス」の形態には、「野蛮」を見て楽しむ「文明」という構造が明らかにあるのですが、日本人は、そこらへん鈍感ですから。
by 三橋順子 (2013-12-25 00:39) 

三橋順子

Genさん、いらっしゃいま~せ。

>おおらかなままの方が犯罪は少なくていいのかもしれません。
>近代に慣れた我々にはもう手に入らない自由ですね・・・。
おっしゃるとおりです。一度(変に)目覚めてしまうと、もう元にはもどれないのです。

>ちなみに写真のポスター、以前は「ふ~ん」ですが、今では「おお~」です
「おお~」と思う人が増えているとしたら、広告としては成功ですけど…。
by 三橋順子 (2013-12-25 00:43) 

三橋順子

ふぶらさん、いrっしゃいま~せ。
>自分は全く性的意図? に気がつかず、「おっ! 寒くなってきた時にこういうあったまる広告はいいなぁ~ファイヤーダンスかぁ~上半身はだかの元気な若者の写真は寒さもふっとぶなぁ~」などと脳天気な感想でした。
いえいえ、一般的に女性の裸体はエロティックなイメージ、男性の裸体は健康的(元気)なイメージというのが、近代のイメージでしたから。
ごく最近まで、圧倒的にそういう受け止めをする女性が多かったと思います。
私が気になったのは、そうした従来の感覚が変わってきたのかな?という疑問です。
セクシュアリティの理論?として、性的視線→恥ずかしいから隠す→隠されると余計に見たくなる→もっと恥ずかしくなる、という流れがあるのですが、もし、女性が男性の上半身裸体に性的な視線を向けるようになると、それを恥ずかしいと思う男性が増えて、隠すようになるのかな?と妄想しています。
たとえば、男性の水着もタンクトップ型になるとか・・・。


by 三橋順子 (2013-12-25 00:51) 

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