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11月20日(水)今日の古代史(紡錘車の錘に所有者の名を記すわけ) [お仕事(古代史)]

11月20日(水)  晴れ  東京  17.2度  湿度37%(15時)

8時、起床。
朝食は、カツサンドとコーヒー。
シャワーを浴びて、髪と身体を洗い、髪はよくブローしてにあんこを入れて頭頂部で結んでシュシュを巻く。
化粧と身支度。
白と黒のジラフ柄のロング・チュニック(長袖)、黒のブーツカットパンツ、黒網の膝下ストッキング、黒のショートブーツ、黒のトートバッグ、黄色のウールのポンチョ。
9時55分、家を出る。
コンビニで配布資料のコピー。
東急東横線で自由が丘に移動。

10時半、産経学園(自由丘)で「『続日本紀』と古代史」の講義。
考古学の話題を2つ。
群馬県伊勢崎市関遺跡出土の紡錘車の錘(紡輪)の話。
蛇紋岩製で上面の最大径は4.4㎝、8世紀後半(奈良時代)のものと推定されるが、側面に「佐位郡」「有」と針書されている。
この遺跡周辺は、古代の上野国佐井郡なので矛盾はないが、問題は文字が書かれている意味。
物品に文字が書かれる場合、一般的に所有銘であることが多い。
とくに大事なものには記名して所有権を明示する。
しかし、紡錘車の錘って、そんなに大事なものなのだろうか?
あるいは、郡(行政機関)が所有するものなのだろうか?
という疑問がわく。
実は、紡錘車の錘に、文字(人名・郡名)を記す例は、上野国および武蔵国北西部(毛野文化圏)に集中している。
そのことを重視すると、単なる所有銘ではなく、他の意味があったのではないか?という考えも出てくる。
でも、他の意味って何?
考古学では、よくわからない物が出ると「祭祀」という話になる。
で、「御利益を得るために住所を刻んだのではないか」などという、かなり首を傾げたくなるような説が出てくる。
まあ、養蚕地帯である毛野文化圏特有の祭祀があった可能性もなくはないが・・・。
私は、やはり所有銘だと思う。
この地域のは、紡錘車の錘に所有者の名を記す必要があるような、なんらかのシステムがあったと考えるべきだろう。
たとえば、紡いだ糸を郡衙に収めるよう義務づけられている(契約している)人たちがいて、その登録の代わりに郡がまとめて制作・調整した紡錘車の錘を配布するような・・・。
紡錘車の錘への記名については、大学院生の頃から、不思議に思っているのだが、これくらいしか考えが浮かばない。
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紡錘車に古代郡名「佐位郡」 伊勢崎の関遺跡
関遺跡(伊勢崎市本関町)からの出土品で、糸を作る際に使われた8世紀後半の石製道具「紡錘(ぼうすい)車」に、古代の郡名「佐位郡(さいぐん)」の文字が彫られていたことが、県内で初めて県埋蔵文化財調査事業団の出土品整理作業で確認された。
専門家は、出土地が佐位郡の政治文化の中心地に近いことから、知識層が関連するものと推測。祭祀(さいし)に関わっているとみて、「御利益を得るために住所を刻んだのではないか」とみている。
紡錘車は、糸によりをかけるために使用された。事業団によると、県内で紡錘車に古代の郡名が確認された例はこれまでに、芳賀東部団地遺跡(前橋市)出土の「勢多郡」のみという。
img.jpg
古代の郡名「佐位郡」の文字が確認された紡錘車。極めて細い文字で彫られている

「上毛新聞ニュース」2013年9月6日(金) AM 07:00
http://www.jomo-news.co.jp/ns/6613783939763915/news.html
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関(せき)遺跡 【国道462号改築関連】 郡名「佐位郡」を刻む紡輪(ぼうりん)
伊勢崎市本関町にある関遺跡から文字が刻まれた石製の紡輪が発見されました。この紡輪は蛇紋岩製で、上面の最大径は4.4㎝、厚さは1.5㎝です。紡輪とは糸に撚りをかける時に使用する紡錘車のはずみ車で、布をつくるために必要な道具です。この紡輪は4区5号竪穴住居の床面に貼り付くように出土しました。この住居の住人が使っていたものと考えられます。
さて、関遺跡から出土した紡輪には、文字が刻まれ、その内容がとても珍しいものでした。文字は側面に「佐位郡(さいぐん)」「有」と書かれ、とても達筆です。このほかにもいくつか文字が刻まれていて、現在専門家に依頼し分析を進めているところです。さらに、遺跡周辺は古代行政区分の佐位郡にあたりますが、まさにその郡域内から「佐位郡」と刻まれた紡輪が出土しました。郡名を刻んだ紡輪は、芳賀東部団地遺跡で出土し、「勢多郡」の文字が書かれた例がありますが、「佐位郡」は初めてです。また、側面と上面には直径3~4㎜、深さ1.5~2㎜の穴がそれぞれ5か所と4か所あけられています。この穴は何のためにあけられているのかは今のところ不明ですが、配置から装飾的な意味合いがあるのかもしれません。
どうして紡輪に文字が刻まれているのか、文字は何を意味しているのかなど疑問は尽きませんが、今後他の出土例と比較しながら、その背景を探っていきたいと思っています。

財団法人 群馬県埋蔵文化財調査事業団「群馬の遺跡・出土品・最新情報」
http://www.gunmaibun.org/remain/iseki/seiri/2013/20130903-1.html
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もうひとつの話題は、鳥取県鳥取市の青谷横木遺跡。
平安時代前期(9~10世紀)の遺跡で、低湿地であるため木製品の遺存が良い。
3800点に及ぶ大量の木製祭祀具に加えて、今回、木簡が発見された。
img_1526312_62543536_2.jpgimg_1526312_62543536_0.jpg
さらに、古代山陰道と推定される砂利敷の道路遺構も発見されている。
問題は、遺跡の性格で、文書木簡の内容が「出挙」の返納に関するものなので、近くに公的機関(郡衙、もしくはその出先機関)があったことは間違いない。
この地域は、因幡国気多郡に相当する。
すぐ近くの台地上から総柱建物が出土しているので、そこが倉庫群(正倉別院)だと思われる。
一方、官道がすぐ近くを通過していることから、駅家の可能性も指摘されている。
さらに、祭祀具の大量出土から、郡衙の祭祀施設(祓戸)があった可能性も高い。
つまり、地方行政機関が集中立地していた可能性があり、興味深い遺跡になっている。
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鳥取・青谷横木遺跡 国内初、木簡での出土
■住民代表から行政への文書
鳥取市青谷町の青谷横木遺跡から平安時代(9~10世紀)に住民の代表が行政に対し税の返納などを約束する内容の文面が記された木簡2点が出土し、5日、鳥取県埋蔵文化財センターが発表した。
住民代表が上部機関に提出する形式の木簡としては国内初。同様の内容が紙に書かれた例はあるという。
出土した木簡は、長さ約32センチ、幅約4センチと長さ約36センチ、幅約4センチの2点。税の納付期限を約束する内容などが書かれ、「税(稲)は9月中に進上いたします。もし、期限を過ぎた場合は罪をたまわりますので、(期限までに)納め終えます」など生々しい契約の様子が読み取れるという。
センターによると、当時は行政が農民に対し強制的に稲を貸し付け、農民がそれを育てて収穫し、利子分を加えた稲を返納するシステムが整っていたらしい。また、木簡は、文面で同じ文の繰り返しなどが見られることから、行政が念書の下書きなどとして使用した可能性があるという。
このほか、木製の人形など祭祀具約3800点も出土。センターは「遺跡周辺はこの地域の行政機関があった場所でないか」としている。現地説明会が8日午前10時と午後2時にある。
「msn産経ニュース」2013年9月6日 02:27
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130906/ttr13090602270000-n1.htm
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残りの時間、『続日本紀』巻18、天平勝宝4年(752)8月条の講読。
12時、終了。
(続く)
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