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7月9日(火)明治大学「ジェンダー論」第13講「『恋愛』と『結婚』のジェンダー(2)―その現在―」 [お仕事(講義・講演)]

7月9日(火)  晴れ  東京  35.4度  湿度52%(15時)
8時、起床。
朝食は、オレンジパンとコーヒー。
シャワーを浴びて、髪にあんこを入れて頭頂部で結んで和装用の髪飾りをつける。
9時、化粧と身支度。
先週、東京経済大学で半期に1度の「着物de講義」をしたので、今週は明治大学でも。
紺地に白と青緑で大きな芙蓉の花を染め出した綿絽(紫織庵)。
薄いクリーム色の吸い上げ暈しの麻の半襟を付けた半襦袢。
帯は黄色基調の博多帯を下に、赤黒の半幅帯を上に巻いて順子オリジナルの「二階文庫」結び。
草色の夏の帯締を掛ける
赤地に花柄の手提げ袋。
白木の台に七宝柄の赤の鼻緒をすげた高右近の下駄。

10時半、家を出る。
暑い! 今日も猛暑日の予感。

先週、東経大の「着物de講義」の日よりも8度も気温が上がっている。
東急目黒線から都営地下鉄三田線に入って、神保町駅で下車。
車内で先週のコメント票を読む。
11時50分、駿河台下の明治大学文学部講師控室に到着。
今日の分のレジュメは前回印刷済の1枚×250部。
次回配布のレジュメ3枚×250部を印刷しておく。
コンビニで買ったお握りを食べて腹ごしらえ。
12時25分、レジュメを教室に運ぶ。

13時、明治大学文学部「ジェンダー論」第13講開始。
コメント票の質問や感想にいくつか対応した後、第12講「『恋愛』と『結婚』のジェンダー(1)―その歴史―」の残りを解説。

1 セクシュアリティ観の変遷―「色」から「恋愛」へ―
 (1) 前近代セクシュアリティ観
 (2) 近代のセクシュアリティ観
 (3) 「恋愛」の誕生
2  「結婚」の歴史
 (1) 形態的に
 (2) 階層的に
 (3) 制度的に
---------------(ここから)---------------------
3 近代における結婚システム
 (1) 見合い婚
 (2) 「囲い込み婚」(職場結婚)
 (3) 恋愛結婚

続いて、第13講「『恋愛』と『結婚』のジェンダー(2)―その現在―」に入る。

1 結婚難の時代
 (1) 基本的要因
 (2) 恋愛と結婚の直結
 (3) 「婚活」は有効か? 埋まらない溝
2 「恋愛」と「結婚」の問題点
 (1) ドメスティック・ヴァイオレンス」
 (2) 選択的夫婦別姓制度
 (3) 同性パートナー問題
---------------(ここまで)---------------------
 (4) シングルマザー問題
 (5) 非婚単身者の激増
おわりに―「恋愛」と「結婚」の未来像―
(余白)捨て猫の寓話

少し残してしまったが、まずまずの進行。
これは、少し頑張れば、消化できそう。
14時30分、終了。
例によって、片付けながら学生さん(男子)の卒論の相談に乗る。
もう1人、学生さん(女子)の単位レポートのアドバイス。

15時、講師控室に戻る。
残りレジュメの処理とコメント票の仕分け作業。
15時45分、A新聞のH記者から電話が入ったタイミングで辞去。
P1030674 (3).jpg
↑ 講義後、大学近くのレトロな喫茶店で。

ところで、講義の前、配布レジュメのセッティングをしていたら、何人かの女子学生さんが寄ってくる。
女子学生A「先生の着物、とてもすてきです」
私「ありがとう。大正末から昭和初期の柄の写しなのよ」
女子学生A「どこで買ったんですか?」
私「京都の紫織庵というところ」
女子学生B「私たちが買う浴衣とはきっと値段が違うのよ」
私「まあ、ユニクロとかの浴衣よりは高いわね」
女子学生A「今度、浴衣買うつもりなんですけど、何かアドバイス有りますか」
私「そうね、少し高くても生地が厚めなのを買いなさい」
女子学生B「それだと暑いじゃないですか」
私「どっちみち暑いでしょ。ペラペラの薄い浴衣って、けっこう透けちゃうのよ」
女子学生A「えっ、透けちゃうんですか、それは困る」
明治大学の学生さん、普段はこんなに話しかけてこない。
やっぱり、着物効果。
他にもコメント票の提出の時、「先生、すてきです」とわざわざ声をかけてくれた女子学生もいて、うれしい。
男子学生の中にも「先生、今日はなんで着物なんですか、何かあるのですか?」と尋ねてきた人もいた。
「特に何もないのだけど、まあそろそろ着ようかなって感じ」と返事したら。
「いいですねぇ、そういうさりげなく着物を着るっていう感覚」
なかなかよく解っているじゃないか、君、いい男になるよ。
まあ、たくさんの学生さんに喜んでもらって、猛暑の中、着て行ったかいがあった。

ところが、講義を終えて講師控室に戻る途中、白髪の老教授(男性)?とすれ違った時、「何考えてるんだ」という声。
明らかに聞えよがし。
老教授の言葉の続きを想像すると「神聖な教育・研究の場である大学にちゃらちゃら着物など着て来て」ということなのだろう。
まあ、そういう反応は今回が初めてじゃないし、承知の上。
念のため言っておくと、学生は浴衣と思っていたが、私は襟なし、素足の浴衣の着方はしていない。
半襟つけて、白足袋を履いて、帯には帯揚をかけて、綿絽を夏の着物として着ている。
それが講義をする者としての礼節だと考えるから(その点、講義後にちょっと解説)。
まあ、そんなこと言っても、あの白髪の老教授の世代には通用しないのだろう。
彼ら(現在の60~70代)こそが、日本の和装文化を衰退させた元凶の世代なのだから。

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コメント 4

マミー

あづい〜。もうすでにバテてます。
それにしても、このきものとっても素敵!!

絽の物はやはり少し涼しいのでしょうか?私、着たことないのでわからないのですが。木綿の普通の浴衣は昔、花火大会に着ていきましたが、あまりの暑さに死にそうでした。昔の祖母たちが若い頃の写真なんか見ると、今とちがって随分とゆったりと着こなしている様に見えましたが、今の着方はきっちりしてますね。汗をおさえるために“芸者の高帯”とか言いますが、あれはほんとに効果があるのかな?

じいさん教授もたまには袴で講義でもやればいいのにw ねっ
by マミー (2013-07-10 13:15) 

三橋順子

マミーさま、いらっしゃいま~せ。
綿絽はあまり涼しくはないです。絹絽に比べてかなり地厚ですから。
ただ、汗を大量にかくのを避けられない状態の場合、絹物は汗シミが怖いので、お洗濯が可能な綿絽を愛用しています。
着付け方ですけど、おっしゃるとおりで、昭和戦前期までの着付けはかなり緩いです。襟の合わせ位置が低いし、身頃の重なりも浅い(少ない)し、帯の巻き方も斜めになっていたり・・・。そうじゃなかったら、着物で立ち働けなかったのだと思います。
今のようにきっちりした直線的な着付けが主流になったのは、1970年代以降、着付け教室の流儀が広まってからです。
私は、昔の着付けを意識して、比較的緩めに着ているので「だらしない」とよく言われます。

「芸者の高帯」ですが、腋の下に発汗を抑えるツボがあるので、高帯でそこを押さえた状態にしていると、少なくとも顔に汗が出ないのは確かなことのようです。
ただ、芸者さんや女優さんなどの職業の人は、顔に汗をかくと、仕事にならないので、ある意味、気合で止めている気もしますね。

あと、老教授の年代だと、着物・袴を持っている男性はほとんどいないでしょう。和装文化にいちばん縁遠かった世代ですから。
by 三橋順子 (2013-07-10 21:23) 

マミー

私が中学生の頃(随分昔だな〜)同級生のお母さんが温泉芸者だったのです。参観日とか卒業式の時彼女も来るのですが、えもんの抜け方が大きい、髪型がやっぱりそのスジの方特有の大きくきっちりした結い方。小さく細面の美人でかなり回りのお母さんたちから浮いていましたが、私は密かに彼女を見るのが楽しみだったのです。なんかこう、いいんですよね〜。『温泉芸者』って言う響きもいいな〜。やっぱり三味線なんかも弾けてサ。私、じっと見つめて、目が合ったりなんかすると恥ずかしくて目をそらしたり。とうとうお話しする機会もなかったけど、彼女今もお元気かしら?
by マミー (2013-07-13 04:30) 

三橋順子

マミーさん、いらっしゃいま~せ。
いいですねぇ。芸者さんをしているお母さんが授業参観。
たしかに周囲から浮くかもしれませんが・・・。
最近は、母親が着物姿で授業参観に行こうとすると、子供が泣いて「止めて!」と言う話を聞いたことがあります。
by 三橋順子 (2013-07-14 00:36) 

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