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石垣島北西沖の群発地震 [地震・火山・地質]

地震4月18日(木)
17日に震度5強の地震があった三宅島が注目されているが、場所は全然違うのだけど、これ(↓)も気になる。

17日15時18分頃 与那国島近海 M4.5 震度1
17日15時31分頃 与那国島近海 M4.4 震度1
17日15時36分頃 与那国島近海 M4.2 震度1
17日15時43分頃 石垣島北西沖 M5.6 震度1
17日15時50分頃 石垣島北西沖 M5.7 震度1
17日16時26分頃 石垣島北西沖 M5.5 震度1
17日16時39分頃 与那国島近海 M4.1 震度1
17日16時40分頃 石垣島北西沖 M4.0 震度1
17日20時12分頃 与那国島近海 M5.2 震度1
18日04時14分頃 石垣島北西沖 M4.6 震度1
18日23時08分頃 石垣島北西沖 M5.9 震度1

震源が陸地から遠いので震度1ばかりだが、2日間にM5クラスが5回、M4クラスが6回も起こっている。
石垣島・与那国島は日本の最西端、そんなところで大きな地震があるのか?と思う人も多いと思うが、ここもまた地震地帯。
南から押し寄せるフィリピン海プレートが琉球海溝からユーラシアプレートの下に潜り込んでいる場所。
海溝型の巨大地震(M8クラス)も稀に起こるし、それに付随するM6~7クラスの大地震はときどき起こる。

しかも、八重山の場合、ほとんどが海なので、大地震は高い確率で津波を伴う。
1771年4月24日(明和8年3月10日)のM8級の海溝型巨大地震に伴う「八重山地震津波(明和の大津波)」はその典型で、八重山地方で9400人、宮古島地方で約1000人が亡くなった。
八重山諸島の犠牲者は、人口のほぼ3分1に相当する。

近年の宮古・八重山地方の被害地震はこんな感じ。
1926年8月7日 宮古島近海(M7.0)
1938年6月10日 宮古島北西沖(M7.2)宮古島で2m前後の津波。
1947年9月27日 与那国島近海(M7.4)死者5
1958年3月1日 宮古島近海 (M7.2)死者2
1966年3月13日 与那国島南西沖(M6.7) 死者1

1920~60年代にはだいたい10年周期で起こっていた。
ところが、その後、ぱったり止み、1966年の地震からもう47年が経過している。
だから余計に不気味なのだ。

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