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3月25日(月)今日の古代史(早良親王の経歴) [お仕事(古代史)]

3月25日(月)  小雨  東京 11.2度  湿度74%
7時、起床。
眠い・・・、身体がすごく疲れているのはわかるが、仕事は休めない。
熱めのシャワーを浴びて、なんとか身体を起こす。
髪にあんこを入れて頭頂部で結びシュシュを巻く。
化粧と身支度。
黒地に紫・群青・水色・茶色の大小の長楕円がたくさんある変な柄のロング・チュニック(長袖)、黒のブーツカットパンツ、黒網の膝下ストッキング、黒のショートブーツ、黒のトートバッグ。
菜の花色のケープ。

9時10分前、小雨の中、家を出る。
今日は冬が戻ってきたように肌寒い。
東急東横線で渋谷駅へ、京王井の頭線に乗り換える。
東横線から井の頭線の乗り換えは、もともとJR渋谷駅を挟んで対角線で遠かったのが、東急渋谷駅の移転でさらに遠くなった。
しかも、まだ最短経路が見つけられない。
今日は用心して10分早く家を出たので、余裕を持って9時47分発の吉祥寺行き急行に乗れたが、5分早目ではギリギリだったと思う。

10時半、産経学園(吉祥寺)で「史料でたどる奈良時代政治史 」の講義。
延暦4年(785)9月の藤原種継暗殺事件=早良親王廃太子事件について。
立太子以前は東大寺の僧侶だった早良親王の経歴は『続日本紀』にはまったく記されてないので、「大安寺碑文」などの史料によって復元しながら解説。
早良親王が草創期の東大寺に入り、じっかり修業・修学した一流の僧侶であり、父親の白壁王が即位した光仁朝には大安寺東院に住し「親王禅師」と称して東大寺をはじめ仏教界全体に影響力をもったことを説明。
この点は、男性研究者時代(28年前)に論文を書いているので、少し忘れていることはあったが、解説するのにまったく問題はない。
12時、終了。

昼食は、2ヵ月ぶりに南口駅前通りのタイ料理「Khuchai(クゥーチャイ)」へ。
130325-1.JPG
カオパッキーマオを注文(880円)。
身体がほてり少し汗ばむほどのちょうど良い辛さ。
ジャスミンティの器がすてき。

お会計の時に、店主(キックボクシング元日本フライ・バンタム級チャンピオンの深津飛成さん)が「生まれました」と言うので、「どちら?」と尋ねると、「男の子です」と、とてもうれしそう。
「おめでとうございます。(奥様に)よろしくお伝えください」と言って辞去。

いつものように駅前の古書店で昔の性風俗雑誌をあさる。
今日はとくに収穫なし。
12時57分の急行で渋谷へ。
(続く)


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白河陽子

 いつもブログを拝読しております。さて、
>この点は、(中略)開設するのにまったく問題はない。
は、「解説するのにまったく問題はない。」ではないでしょうか。ちょっと気づきましたので書き込みいたしました。
by 白河陽子 (2013-04-09 23:51) 

三橋順子

白河陽子さま、いらっしゃいま~せ。
誤字訂正ありがとうございます。

by 三橋順子 (2013-04-10 21:10) 

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