7月11日(木)論考の執筆開始 [お仕事(執筆)]
7月11日(木)
某誌から依頼された論考「成立から21年、「GID特例法」の今」の執筆。
概要(粗筋)は作ってあったが、本格的に文章化。
まだ半分ほど。
某誌から依頼された論考「成立から21年、「GID特例法」の今」の執筆。
概要(粗筋)は作ってあったが、本格的に文章化。
まだ半分ほど。
3月26日(火)「追記」作業、終了 [お仕事(執筆)]
3月26日(火)
2年前の民放連の講演録(20000字)に、2年間の状況の変化を解説する「追記」を執筆する作業、やっと終了。
4000字ほどにまとめた。
これで締切り(27日)に間に合う。
夜、手直し原稿を担当者に送信。
溜まっていた仕事関係のメールのお返事を、やっと書く。
やれやれ。
2年前の民放連の講演録(20000字)に、2年間の状況の変化を解説する「追記」を執筆する作業、やっと終了。
4000字ほどにまとめた。
これで締切り(27日)に間に合う。
夜、手直し原稿を担当者に送信。
溜まっていた仕事関係のメールのお返事を、やっと書く。
やれやれ。
3月24日(日) [お仕事(執筆)]
3月24日(日)
2年前の民放連の講演録(20000字)、ようやく校正作業を終える。
続いて、2年間の状況の変化に応じるための「追記」の執筆。
まだ体調が完全に回復していないので、心身ともにけっこうきつい。
2年前の民放連の講演録(20000字)、ようやく校正作業を終える。
続いて、2年間の状況の変化に応じるための「追記」の執筆。
まだ体調が完全に回復していないので、心身ともにけっこうきつい。
3月23日(土)講演録の校正 [お仕事(執筆)]
3月23日(土)
夜中、2年前の民放連の講演録(20000字)の校正作業。
まだ、体調回復途上ということもあり、17000字くらいで力尽きる。
あとは明日。
夜中、2年前の民放連の講演録(20000字)の校正作業。
まだ、体調回復途上ということもあり、17000字くらいで力尽きる。
あとは明日。
残り1回分だが [お仕事(執筆)]
2月28日(水)
北丸雄二さんとの公開対談(紀伊國屋書店・新宿本店)の手直し作業、4分割の3回分を終了。
あと1回分あるけど、今日はハードな整体マッサージの反動で、とても眠い。
残りは明日にする。
北丸雄二さんとの公開対談(紀伊國屋書店・新宿本店)の手直し作業、4分割の3回分を終了。
あと1回分あるけど、今日はハードな整体マッサージの反動で、とても眠い。
残りは明日にする。
2月27日(火)公開対談のゲラの手直し [お仕事(執筆)]
2月27日(火)
1月31日の北丸雄二さんとの公開対談(紀伊國屋書店・新宿本店)のゲラが届いた。
4分割の2回分を手直し。
後は明日。
1月31日の北丸雄二さんとの公開対談(紀伊國屋書店・新宿本店)のゲラが届いた。
4分割の2回分を手直し。
後は明日。
インタビュー原稿の手直し [お仕事(執筆)]
2月14日(水)
夜中。3時間半、頑張って、女性誌『Lee』のインタビュー記事(5500字)の手直し終了。
これで、期日(今週中)までに戻せる。
でも、疲れた。
3時半か・・・、寝よう。
夜中。3時間半、頑張って、女性誌『Lee』のインタビュー記事(5500字)の手直し終了。
これで、期日(今週中)までに戻せる。
でも、疲れた。
3時半か・・・、寝よう。
1月30日(火) [お仕事(執筆)]
1月30日(火)
12月に「ジュンク堂・池袋本店」でやった公開対談(お相手は奥野克巳先生)の書き起こし記事(約10000字)の校正作業。
自分のしゃべりを読むの、好きじゃない(どんどん直したくなる)ので、ちょっとストレス。
午後、3時間ほど、頑張ってなんとか終える。
12月に「ジュンク堂・池袋本店」でやった公開対談(お相手は奥野克巳先生)の書き起こし記事(約10000字)の校正作業。
自分のしゃべりを読むの、好きじゃない(どんどん直したくなる)ので、ちょっとストレス。
午後、3時間ほど、頑張ってなんとか終える。
1月9日(火)資料紹介資料紹介「責め場の女形に憑かれて」の原稿整理 [お仕事(執筆)]
1月9日(火)
『Antitled』3号に「資料紹介」として寄稿する「責め場の女形に憑かれて-中村和美さんからの手紙-」の書式を整え、解説を手直しする作業。
文字数3万字、画像70点の長編なので、1日がかり。
中村和美さんは、1970~80年代、数多くのSM雑誌に告白記や小説を寄稿した「和装女装マゾ」。
2003年、ご本人から「こんな人生があったことを後世に伝えて欲しい」と、長文の手紙と多数の画像を託され、私がライフヒストリー的手記に構成・編集し、解説を付した。
責め場の女形への憧憬に始まり、性別越境(女装)、マゾヒズム、和装フェティシズム、男色が交差するセクシュアリティの記録として、また、女装者の性行動が活発だった「before it」(AIDS流行以前)の時代の記録として、他に類例がなく資料価値が高い。
また、南青山の歌舞伎女形バー「音羽」や上野の和装ゲイバー「ロンシャン」など1960年代・東京の性風俗の記録も貴重。
でも、本当に載せてくれるのか? かなり不安。
『Antitled』3号に「資料紹介」として寄稿する「責め場の女形に憑かれて-中村和美さんからの手紙-」の書式を整え、解説を手直しする作業。
文字数3万字、画像70点の長編なので、1日がかり。
中村和美さんは、1970~80年代、数多くのSM雑誌に告白記や小説を寄稿した「和装女装マゾ」。
2003年、ご本人から「こんな人生があったことを後世に伝えて欲しい」と、長文の手紙と多数の画像を託され、私がライフヒストリー的手記に構成・編集し、解説を付した。
責め場の女形への憧憬に始まり、性別越境(女装)、マゾヒズム、和装フェティシズム、男色が交差するセクシュアリティの記録として、また、女装者の性行動が活発だった「before it」(AIDS流行以前)の時代の記録として、他に類例がなく資料価値が高い。
また、南青山の歌舞伎女形バー「音羽」や上野の和装ゲイバー「ロンシャン」など1960年代・東京の性風俗の記録も貴重。
でも、本当に載せてくれるのか? かなり不安。