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段ボール8箱が小さなハードディスクに [性社会史研究(一般)]

10月21日(木)

5月19日に大型段ボール8箱で送り出した1950~60年代の「性風俗雑誌」の撮影が終わり、こんな小さなハードディスクに収まって戻ってきた。
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雑誌1冊分よりずっと小さい。

26誌458冊を全頁(約8万頁、4万コマ)高精度画像で撮影し、電子アーカイブ化。
各誌の書誌解説と収録記事のインデックスを付けて、来夏、リリース予定。

すでに海外の大学図書館、アーカイブから引き合いが来ているとのこと。
問題は国内の大学図書館が、どれだけ購入してくれるか?
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「終活」(収集した資料の整理)の進行状況 [性社会史研究(一般)]

10月14日(木)

私の「終活」(収集した資料の整理)の進行状況。

① 1950~60年代「性風俗雑誌」(500冊)
某出版社で全文電子アーカイブ化。
撮影作業終了、現在、編集作業中。
来夏、リリース予定。
実物は、東京の某私立大学に寄贈予定。

② 1990年代~2000年代、ニューハーフ・女装・性同一性障害ビデオ録画(VHS46本)
関西の某私立大学の研究所へ寄託し、DVD化。

③ 1870~現在(150年間)の異性装、「性転換」、トランスジェンダー、LGBT関係の新聞・雑誌切り抜き&コピー
東京の某国立系大学へ寄託検討。

実現すれば、残すべき資料は、だいたい後世に伝えることができそう。

あとは、残された時間を使って、本を何冊書けるか。
今、編集中のものを含めて、3冊は出したい。
そうすれば、心おきなくこの世に「さよなら」できる。


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新聞・雑誌資料の行き先 [性社会史研究(一般)]

10月14日(木)

私蔵の新聞・雑誌資料の件、某大学の専任教員(若手)の方から、お声を掛けていただき、前向きに検討してくださるとのこと。

実現するかどうかは、わからないが、とりあえずその線を最優先で考えようと思う。

いろいろご提案・ご教示くださった方、ありがとうございました。


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新聞の切り抜き資料 [性社会史研究(一般)]

10月13日(水)

今日、新聞の切り抜きを整理していて思ったこと。

2010年代のLGBT関係の記事は『朝日新聞』中心だがかなりある。
性同一性障害関係の記事は、1995年以降、地方紙を含めてかなり網羅的にある。
トランスジェンダー&異性装(女装・男装)についての記事は、明治・大正・昭和・平成と150年分くらいある。

これらの新聞資料は、私が死ねば、文字通りスクラップとして廃棄される運命だ。
どこかに引き取ってもらって、1点ずつスキャニングして、年月日、掲載紙、見出しをデータとして付して、検索可能にしたら、(オリジナル性はなくても)けっこう使えるデータベースになると思う。

でも、どこも引き取ってくれないだろうな。
日本に真っ当なLGBT系アーカイブがないのがつくづく残念だ。


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7月11日(日)「性欲研究会」 [性社会史研究(一般)]

7月11日(日) 晴れ  東京  31.8度  湿度71%(15時)

10時、起床。
朝食は、オレンジデニッシュとコーヒー。
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今日は「性欲研究会」の例会(オンライン)。
13時から18時半まで、なんと5時間半。
昨日のワクチン接種の副反応で身体がだるく、途中から頭も痛くなったが、最後まで出席。
いろいろ刺激になったし、漠然と考えていた論理がすっきりした。
あらためて、この研究会はすごい!

【メモ①】
社会はカテゴリー(ジャンル)の集合体である。
すべてのカテゴリーは構築される。

【メモ②】
斎藤光さん(京都精華大学教授)の論理枠組み ―「カフェー」と「デート」―

近代日本のジェンダーの編成
学校(男女別学)
会社(雇用は基本的に男性のみ)
徴兵制(男性のみ)

基本は男女の社会的分離。
分離されたジェンダーの数少ない接触面が「カフェー」。

戦後のジェンダー編成の変化、
学校 → 男女共学化
会社 → 一般職として女性就労
徴兵制 → 廃止
男女分離が崩れた社会で、ジェンダーの接触面として「デート(男女交際)」が焦点化。
その「見本」として、すでに「デート・システム」を身に着けていた占領軍(米軍)兵士。
占領軍兵士の日本人女性の「デート」実践 →「パンパン」問題の発生

昼食抜きだったので、夕方、家猫さんが買ってきたネギトロ巻き。
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1時間ほど「懇親会」に参加。

夕食は、牛肉を焼く。
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生野菜。
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ほたて入り松前漬け。
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海鞘の酢醤油漬け。
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食後、気分が悪くなり、和室で横になるが、少し寒気を感じる。
22時頃、ベッドに移動して就寝。
夜中、ワクチンの副反応で発熱(詳細別記)。

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3月6日(土)Zoomで1年2か月ぶりの「性欲研究会」。 [性社会史研究(一般)]

3月6日(土) 曇り  東京  21.0度  湿度45%(15時)

Zoomで1年2か月ぶりの「性欲研究会」。

Zoom開催が可能になったのは、今までパソコンにいっさい手を出さなかった主宰の井上章一先生が、なんとZoomができるようになったから。
地位(2020年4月、国際日本文化研究センター所長に就任)はひとを人を変える。

参加者全員の近況報告の後、1本目の研究報告は、河原梓水さん「現代日本のSMクラブにおける「暴力的」な実践――女王様とマゾヒストの完全奴隷プレイをめぐって」。

SMをテーマにした日本初の本格的な論文で、とても興味深かった。
欧米におけるSMの病理化・脱病理化の流れは、同性愛やトランスジェンダーのそれと、とてもよく似ている。
同時に、日本でSMが病理(精神疾患)と認識されていないことは、同性愛や性別移行を病理とする認識が一般化しなかったことと同じ様相。

二本目の報告は、古川誠さん「福永武彦「草の花」における男どうしの関係 ―硬派的稚児愛からプラトンニックな友愛へ ―」。

その後、澁谷知美さんの『日本の包茎―男の体の200年史―』(筑摩選書)の書評会。

19時10分、研究会終了。

13時から、6時間以上の長丁場。
疲れたけど、充実していた。
やっぱり、この研究会、すごい!

ともかく。皆さん、お元気そうでなにより。
ただ、男性陣の頭髪がずいぶん白くなった気がした。
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澁谷知美『日本の包茎―男の体の200年史―』をいただく [性社会史研究(一般)]

2月18日(木)

性欲研究会仲間の澁谷知美さんから新著『日本の包茎―男の体の200年史―』(筑摩選書、2021年2月)をいただく。
澁谷知美『日本の包茎』.jpg
もう10年くらい前、研究会で「『日本の童貞』の次は『日本の包茎』ですね」なんて冗談を言ってたのが、実現した。
まさに労作、すばらしい。

研究会で、いつも澁谷さんの報告を聞いていたので、私はたぶん日本で10番目くらいに日本包茎史に詳しいのだが、表紙(帯)に「恥を植えつけてビジネスにしたのは誰か。あいつらだったのか」とあるように、ほんとうにひどい話なのだ。
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1950年代の性風俗雑誌のアーカイブ化を目指して [性社会史研究(一般)]

12月6日(日)

下に書いたような経緯で集めた1950年代の性風俗雑誌(約130冊)、もう先が長くないので、どう処分しようか、考えていた。

お金がない研究者が苦労して集めたもので愛着はあるが、あの世には持っていけないし、できれば、後進の研究者の役に立てる形で処理したいと思っていた。

それが、某出版社が立ち上げた有償のデーターベースで、全文公開できる可能性が出てきた。

細かい打ち合わせは、まだこれからだが、うまくことが運べば、冥途の旅路の心残りが1つ減ることになる。
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昭和戦後期の性風俗雑誌の書誌研究
  ―1950~60年代を中心に―    三橋順子

はじめに
昭和20年代前半(1946~50)、戦後の混乱期、出版規制が解除されると、性風俗を主なテーマにした粗悪な紙質の短命な雑誌が数多く刊行された。それらの雑誌は、3号くらいで出版元が倒れる(倒産)ことから、3合飲むと悪酔いして倒れる粗悪な酒「カストリ」(酒粕から作ったとされる)にたとえて「カストリ雑誌」と呼ばれた。

「カストリ雑誌」を含む連合国軍占領下の日本で刊行された出版物は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が設置した民間検閲支隊(CCD)によって検閲目的で集められた。
そして、民間検閲支隊の解体後、集められた出版物は、参謀第二部・戦史室長を務めていたゴードン・ウィリアム・プランゲ(1910~1980)によって、アメリカのメリーランド大学に移送され、1978年にゴードン・W・プランゲ文庫(Gordon W. Prange Collection)と命名され、整理・研究が進められた。
この膨大な資料群はマイクロフィルム化され、その複製(マイクロフィッシュ)が国立国会図書館、国際日本文化研究センターなどで閲覧できる。

「カストリ雑誌」の実物は残存数が少なく、現在では収集は困難だが、プランゲ文庫のお陰で、1949年初頃までの雑誌については全容のほぼ把握と、研究に必要な資料の抽出が可能である。
しかし、GHQによる検閲終了(1949年10月)後、1950年代に出版された性風俗雑誌は、体系的に収集・保存している機関がなく、全体像の把握、書誌研究が大きく遅れていて、研究の「穴」になっている。

たとえば、この時期の代表的な性風俗雑誌『人間探究』(1950年5月号~1953年8月号、増刊を含めて全34冊、第一出版社→探究社)、『風俗草紙』(1953年7月号~1954年10月号、2冊の増刊号を含めて全14冊、日本特集出版社)、『風俗科学』(1953年8月号~1955年3月号、全19冊、第三文庫)、でさえ、まとめて閲覧できる図書館・研究機関はない。
まして、他の性風俗雑誌となると、刊行状況の把握すら、困難である。

私は、2010年頃から、1950年代に刊行された性風俗雑誌の収集を始め、幸い『人間探究』『風俗草紙』『風俗科学』の3誌はコンプリート(完全収集)することができた。
また1960年代の代表的な性風俗雑誌『風俗奇譚』も、諸先輩から譲られて、かなりの量を所蔵している。

他の雑誌の収集は、きわめて不十分ではあるが、私もすでに高齢者の仲間入りで、収集の進行を待っている状況ではなくなりつつある。

風俗科学195501.jpgあまとりあ195412.jpg
青春タイムス 3-8(195011) - コピー.jpg内外特報 1953年10月19日号 - コピー.jpg
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斎藤光『幻の「カフェー」時代 夜の京都のモダニズム』 [性社会史研究(一般)]

9月28日(月)

「性欲研究会」の研究仲間の斎藤光さん(京都精華大学教授)から新著『幻の「カフェー」時代 夜の京都のモダニズム』(淡交社、2020年9月)をいただく。
斎藤光『幻のカフェー時代』1.jpg
ありがとうございました。
長年のご研究が一書にまとまり、何よりです。

また、淡交社みたいな上品な出版社から本が出せるの、うらやましいです。

口絵1の織田一磨の新宿のカフェー街の絵は、拙著でも使いたかったもの。
カラー図版が使えないので断念したが。

図版を見ていて(まだ、図版しか見てない)、女給さんの着物は、縞銘仙が多いように思う。
表紙の女給さんは、たぶん麻の葉柄の銘仙。
斎藤光『幻のカフェー時代』2.jpg
カフェーの時代(1920年代~30年代前半)は、そのまま銘仙の全盛期と重なるし、丈夫で(絹織物にしては)水濡れにも強い銘仙は、女給さんの労働着として最適だったと思う。
中でも、縞銘仙は、比較的安価で手に入りやすいし、着る人を選ばないので、たぶん都合が良かったのだろう。
おそらく、女給さんの着物としては、縞銘仙→模様銘仙→お召し(縞)の順で格が上がっていったはず。
ただ、残っている写真では、縞銘仙と縞お召しの見分けはきわめて困難。
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神田小川町の「土地の記憶」 [性社会史研究(一般)]

9月13日(日)


1910~20年代に「変態性欲」論の中心人物として活躍した性科学者・羽太鋭治博士の診療所が東京・神田小川町であったことを知る。

戦後、1950年代に『第三の性』などを編纂した性科学者・太田典礼博士の研究所も神田小川町だった。
そして、今、神田小川町には「はりまメンタルクリニック」がある。

神田小川町は、かつては東京市(都)電、現在は東京メトロの路線が交差する交通至便の地だが、けっして広い街ではない。

そこにこうした連鎖(羽太鋭治→太田典礼→針間克己)がある。
「土地の記憶」(地霊)を感じてしまう。
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