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二項対立&身体本質主義的なセクシュアリティ観への懐疑 [お仕事(講義・講演)]

10月10日(火)

『歴史の中の多様な「性」』を書いた頃から、いえ、それ以前から、身体を絶対基準にした同性愛:異性愛という二項対立的なセクシュアリティ観にかなり懐疑的になっている。

そして(両性愛を挟むにしても)、同性愛と異性愛から構成される性的指向をセクシュアリティの第一義的なものとする考え方にも疑問をもっている。

それは、ヨーロッパ・キリスト教社会の宗教規範の批判的継承である近代性科学の所産であり、汎世界的に適用できるものではない。

そうした考えは、『歴史の中の多様な「性」』が出版された後の1年間でますます強くなっている。

9月と10月の「日比谷図書文化館」での2回の講演では、そのことを踏まえて話している。

13日の講演では、「結論」として、次のように言うつもり。

・身体本質主義に基づく性的指向(Sexual Orientation)が第一に重要であるという認識は、常に正しいわけではない。

・近代西欧文化由来の「性科学」の認識は必ずしも万能ではなく、時に疑ってみる必要があるのではないか。

・少なくとも、現代の「性科学」の認識を時代や地域が違う文化に単純に適用するのは止めた方がいい。

まあ、こんなことを言っても、まさに「蟷螂の斧」で、誰もわかってくれないと諦めていた。

ところが、10月から始まる神戸大学の青山薫教授(社会学)のプロジェクト「アジアにおける《多様な性》――英語ジェンダー二元論を超える試み」のキックオフ共同研究会で、話をしてほしい、と依頼された(それが11月11日の名古屋での研究会)。

この科研プロジェクトは目的を「アジアにおいて、英語由来のジェンダー二元論からすれば非典型的な性の位相を体現する人たちの《性の多様性》とは何かを改めて明かにし、こちらの《多様性》に基づいて、現行のジェンダー概念を超えた性の概念を構想する端緒となることをめざす」としていて、私が考えていることと重なる部分が多い。

私には、現地調査をする資質も体力もないが、歴史的な知見という点で、お役に立てるならば、うれしいし、次の世代の研究者に、自分が考えたことを引き継いでもらえれば、なおうれしい。


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