大学におけるLGBT問題 [現代の性(同性愛・L/G/B/T)]
10月8日(土)
某研究会で、一橋大学法科大学院で起こった痛ましい事件について、ジェンダー&セクシュアリティに理解がある大学教員(女性)が熱心に語る。
「LGBTの学生の居場所が大学に必要」「教職員全体のLGBT理解を底上げする必要」etc、どれもまったくごもっともである。
でも、その場にゲイの大学教員が不在なことを誰も不思議に思わない不思議。
そもそも、ゲイであることをオープンにしている大学教員(常勤職)が欧米に比べてあまりにも少ないことが、大学におけるゲイ学生をめぐる状況を困難にしている大きな原因だと思うのだが、誰もそのことを指摘しない。
ヘテロセクシュアル&シスジェンダーの教員がLGBTに支援的であることは、とてもありがたいことだが、それでも、当事者としては、どこまで解ってもらえるか、やはり不安があると思う。
逆に、私のようなしがない非常勤講師でも、性的マイノリティであることをオープンにしている人間が大学教員の中にいることは、LGBTの学生にとって気持ちが楽になるというか、少しは支えになっていると思う。
当事者性のある教員がいれば、そこに当事者性のある学生は自然に集まってくる。
LGBTの学生が集える「施設」を作ることは必要だし重要だが、そこに「(当事者性がある)人」がいることが大事なのだ。
でも、なかなか発想が「人」には行かない。
そもそも、教員ですらカミングアウトできないような環境の大学で、LGBTの学生が学びやすい環境を作れるのか?という根本的な懐疑が、議論の中で抜け落ちていることに、私はいらだつ。
まず、大学がLGBTの教員を積極的に採用することが、状況の改善につながるはずだ。
それと、曲がりなりにもTの大学教員のパイオニアである私が、どうやって道を切り開いてきたのか、話を聞こうともしない姿勢はいかがなものか。
まあ、それは私の存在感のなさのせいだし、非常勤講師がいくら意見を言っても大学の機構改革にはつながらないのは確かなのだが・・・。
私でなくても、まずは当事者の意見を聞くという姿勢が必要なのではないだろうか。
某研究会で、一橋大学法科大学院で起こった痛ましい事件について、ジェンダー&セクシュアリティに理解がある大学教員(女性)が熱心に語る。
「LGBTの学生の居場所が大学に必要」「教職員全体のLGBT理解を底上げする必要」etc、どれもまったくごもっともである。
でも、その場にゲイの大学教員が不在なことを誰も不思議に思わない不思議。
そもそも、ゲイであることをオープンにしている大学教員(常勤職)が欧米に比べてあまりにも少ないことが、大学におけるゲイ学生をめぐる状況を困難にしている大きな原因だと思うのだが、誰もそのことを指摘しない。
ヘテロセクシュアル&シスジェンダーの教員がLGBTに支援的であることは、とてもありがたいことだが、それでも、当事者としては、どこまで解ってもらえるか、やはり不安があると思う。
逆に、私のようなしがない非常勤講師でも、性的マイノリティであることをオープンにしている人間が大学教員の中にいることは、LGBTの学生にとって気持ちが楽になるというか、少しは支えになっていると思う。
当事者性のある教員がいれば、そこに当事者性のある学生は自然に集まってくる。
LGBTの学生が集える「施設」を作ることは必要だし重要だが、そこに「(当事者性がある)人」がいることが大事なのだ。
でも、なかなか発想が「人」には行かない。
そもそも、教員ですらカミングアウトできないような環境の大学で、LGBTの学生が学びやすい環境を作れるのか?という根本的な懐疑が、議論の中で抜け落ちていることに、私はいらだつ。
まず、大学がLGBTの教員を積極的に採用することが、状況の改善につながるはずだ。
それと、曲がりなりにもTの大学教員のパイオニアである私が、どうやって道を切り開いてきたのか、話を聞こうともしない姿勢はいかがなものか。
まあ、それは私の存在感のなさのせいだし、非常勤講師がいくら意見を言っても大学の機構改革にはつながらないのは確かなのだが・・・。
私でなくても、まずは当事者の意見を聞くという姿勢が必要なのではないだろうか。
2016-10-08 11:17
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