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民主党から民進党へ [政治・選挙]

3月27日(日)

結党以来の支持者として「民主党」という党名が消えるのは寂しい。
1996年の結党から2009年の政権獲得を経て今に至る20年は、試行錯誤の連続であり、成功と失敗が交錯する歴史だったが、とにもかくにも一度は自民党政権を打倒して、民主党政権を樹立したことは、日本の政治史に残る成果であり、支持者として大きな喜びだった。

「市民が中心」という結党の理念に基づいて掲げられた民主党の政策、「官僚が主人公ではなく国民が主人公」「コンクリートから人へ」「子供を社会が育てる」「真面目に働く人が報われる社会」などは、私は間違っていないと今でも思っているし、けっして「挫折」ではないと思う。

しかし、残念ながら、それらの政策は国民に受け入れられなかった。
安定的な官僚主導のもとで「人よりコンクリート」の政策を進め、子供は「伝統的な家族制度」のもとで育て、真面目に働く人よりうまく立ち回る人が報われる社会を目指す政党を、国民の多くが選択した。

それは、「市民中心主義」の政策を浸透できなかった民主党の力量不足ではあるが、一面では民主的な選挙制度のもとでの国民の選択の結果であるから仕方がないと思う。

新たに結党された民進党が、政権を目指す道は険しい。
清新な人材を登用し、政策の整合性を高めていかないと、衆議院100~120議席の中規模政党に終始してしまうと思う。
それはかっての社会党の姿にほかならず、それでは駄目だ。
次期党首には、ぜひ女性を!
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民主20年の理念、挫折の先は

「市民が主役」を掲げてスタートした民主党の名前が27日、なくなる。結党から約20年、「マニフェスト」など新しい政治文化を永田町に吹き込み、2大政党の一翼として2009年には政権も担った。だが、わずか3年で下野し、その後も党勢は上向かず、党名変更を迫られた。党の理念だった「民主」はなぜ消えることになったのか。

「国民の期待に応えられなかった――」。ある議員は民主党と維新の党が合流する「民進党」の綱領に、こうした民主党の総括を入れるよう求めた。

民主党が新たな理念を掲げて一時、「国民の期待」を集めたことは確かだ。

「官僚から市民へ。市民一人ひとりの代表が民主党という思いを込めた」。1996年9月、初代代表になる鳩山由紀夫氏は党のスローガン「市民が主役の民主党」を発表した記者会見でこう語っていた。

98年に決定した党基本理念では「生活者、納税者、消費者の立場を代表する」と宣言。経済界や業界団体を基盤にしてきた自民党、労組を母体にした社会党などと一線を画し、「市民」を基盤にした新しい政党像を打ち出そうとした。

その最大の象徴がマニフェスト(政権公約)だった。2003年総選挙で初めてマニフェストを掲げた菅直人氏は「政権を担当した時に実行する政策を政権担当前に国民のみなさんに約束する」と訴えた。「地方の活性化」などあいまいな公約をもとに、有権者に事実上の白紙委任を求めてきた従来の政治のありように対し、「市民への約束」を一つひとつ明確にし、有権者に支持を求めたのだ。

こうした理念はマニフェストの中身に盛り込まれた。「コンクリートから人へ」「国民の生活が第一」の訴えは、「市民が主役」という結党の理念と通底していた。始めたら止まらない公共事業を見直す機会もつくり、「子どもを社会で育てる」という考え方のもと、子ども手当の創設や高校授業料の無償化を主要政策にすえた。

民主党結党からのメンバーで、元官房長官の仙谷由人氏は「自民党に対抗するオルタナティブ(別の選択肢)として、民主党は新しい政治価値を提供することができた」と振り返る。
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しかし、その後の民主党は「市民が主役」の理念を徹底できず、大きな失望をかうことになった。

06年から約3年間、代表を務めた小沢一郎氏は、マニフェストの実現へ「予算を組み替えれば財源はいくらでも出てくる」と強調したが、財源のめどを立てられず、見直しを余儀なくされた。菅氏は首相就任後まもなく、マニフェストになかった「消費税10%」を打ち上げたが、その陰には財務省の意向がちらついた。

「官僚から市民へ」の看板だった政治主導も頓挫した。政権発足直後、省の予算をチェックしようと副大臣や政務官が自ら電卓をたたく姿が報じられたが、ある民主党の副大臣経験者は「政治家だけでは行政機関を動かせないことがわかり、その反動で、急激に官僚頼みに傾斜した」と振り返る。「市民が主役」という理念はあっても、実現させるすべが十分でなかった。

原点回帰も試みた。下野後の13年、当時の細野豪志幹事長は地方議員を対象にしたセミナーで「『民が主役の民主党』という原点に立ち戻ろう」と呼びかけた。岡田克也代表も「看板の掛け替えでは国民の信頼は回復しない」と「民主」にこだわった。だが、「民主」の名を残すためにひねり出した「立憲民主党」は、党の世論調査で民主党支持層でも少数の支持にとどまった。

「民進党」という党名には、「民主」に代わるどんな理念を込めるのか。「民進」を推した維新の江田憲司前代表は「民と共に進むというカラーを打ち出し、進歩や進化、改革を民の立場から進めていく」と語る。だが、急ごしらえ感は否めない。

ヒントがないわけではない。

民進党の政調会長に内定した山尾志桜里衆院議員は、インターネット上の匿名ブログを国会で取り上げ、待機児童問題で政府を動かしつつある。山尾氏は24日の記者会見で「普通の人が声を上げれば、政治は動くんだというところを見せたい」と語った。長妻昭代表代行も「いまや中間層がばらけている。分断社会だ」と指摘。民意にピントを合わせることが難しい時代だからこそ、「政治の側が市民に入っていかないといけない」と語る。

市民を「主役」と位置づけるだけでなく、その主役の声を現実の政治に結びつけていけるのか――。「民進」の名に与えられた課題だといえる。

(村松真次、蔭西晴子)

『朝日新聞』2016年3月26日05時00分

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