『東京新聞』神奈川版に紹介されました [お仕事(出演・取材協力)]
1月19日(月)
今日(1月19日)の『東京新聞』神奈川版で紹介されました。
写真は本番(15日の講義)で撮るはずだったのが、記者の都合で急遽前日に撮ることになり、服も化粧も普段バージョンで焦りましたが、まあまあに写っていて安心。
でも、新聞て、なんでこう年齢をでかでかと出すのだろう?
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<元気人@かながわ>性社会・文化史研究明大などで講師 三橋 順子さん(59歳)
「歌舞伎の女形(おやま)に宝塚、各地の祭りと、性別越境の要素がこうもある国はない」
川崎市教育委員会が企画した男装・女装とジェンダーを考える連続講座。初回の十五日、講師として登壇して受講者に語りかけた。
同市川崎区の金山神社の「かなまら祭」(四月)に女装した人々が参加し始めたのは現代のことだが、例えば横浜市戸塚区の八坂神社の「お札まき」(七月)は昔から女装のおじさんたちがお札をまく。関係者も「なぜか」と首をひねる光景だ。卑弥呼(ひみこ)の男装説などを紹介しながら、「もともと日本人は性別を越えた人にときめいてきた」と解き明かしていく。
■20代で違和感自覚
自らもトランスジェンダー(性別越境者)だ。ただ研究、発表する立場になるまで「先が見えない暗い細道を一人歩いた」と振り返る。小学生のころは性的違和を感じていなかったと思っていたが、妹が習うバレエ教室に「なぜ私はあそこにいられない?」といら立ち、石を投げた記憶がよみがえった。
違和感を自覚したのは二十代初め。東京・渋谷駅で見かけたすてきな女性に、恋心ではなく「あのようになりたい」というイメージが浮かんだ。その後は思い悩むばかり。「性同一性障害」の呼称を「精神疾患として望まない手術に追い込むこともある」と批判し、自らもその立場をとらないが、二十代当時はその概念すらなかった。大学の図書館で心理学の本を読みあさり、「自分は何なのか」の答えを求め続けた。
三十歳で異性装を経験し、実体化したもう一人の自分に「順子」と名付けた。本格的に開き直れたのは一九九〇年代のことだ。
■メディアで発言
性的マイノリティーへの理解が進み、求めに応じて当事者としてテレビ、雑誌などで発言を始めた。自説確立への研究を進め、九八年には身体の性、心の性、社会的性役割などの不一致とみることで理解しやすくする「性の多層構造論」を提唱。二〇〇〇年以降、ありのままの自分で大学の教壇に立つようになった。
人口百四十六万人の川崎市で、性的マイノリティー(少数者)は5%なら七万人、性同一性障害は一万人に一人なら百四十人に上る。市は一〇年に性同一性障害の相談窓口を全国で初めて開設。連続講座は、自身をこの道の研究に導いた舞踊評論家の石井達朗さん、少女漫画の異性装に詳しい専修大の押山美知子助教ら「異性装ではベスト、高レベルな講師陣」という。
「川崎ほどの規模なら、さらにマイノリティーが集える場もほしい」。そう注文をつけながらも「当事者として、また情報を持つ研究者として地元の施策を支援していきたい」と語る。
(山本哲正)
◆私の履歴書
1955年 埼玉県で生まれる
95年 トランスジェンダーとして社会活動を始める
98年 性の多層構造論を提唱する
2000年 中央大文学部で女性教員として教壇に
05年 お茶の水女子大で「トランスジェンダー論」の講義を担当
08年 女装を軸に日本文化史をひもとく「女装と日本人」(講談社新書)を発表
『東京新聞』2015年1月19日(神奈川版)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20150119/CK2015011902000122.html
今日(1月19日)の『東京新聞』神奈川版で紹介されました。
写真は本番(15日の講義)で撮るはずだったのが、記者の都合で急遽前日に撮ることになり、服も化粧も普段バージョンで焦りましたが、まあまあに写っていて安心。
でも、新聞て、なんでこう年齢をでかでかと出すのだろう?
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<元気人@かながわ>性社会・文化史研究明大などで講師 三橋 順子さん(59歳)
「歌舞伎の女形(おやま)に宝塚、各地の祭りと、性別越境の要素がこうもある国はない」
川崎市教育委員会が企画した男装・女装とジェンダーを考える連続講座。初回の十五日、講師として登壇して受講者に語りかけた。
同市川崎区の金山神社の「かなまら祭」(四月)に女装した人々が参加し始めたのは現代のことだが、例えば横浜市戸塚区の八坂神社の「お札まき」(七月)は昔から女装のおじさんたちがお札をまく。関係者も「なぜか」と首をひねる光景だ。卑弥呼(ひみこ)の男装説などを紹介しながら、「もともと日本人は性別を越えた人にときめいてきた」と解き明かしていく。
■20代で違和感自覚
自らもトランスジェンダー(性別越境者)だ。ただ研究、発表する立場になるまで「先が見えない暗い細道を一人歩いた」と振り返る。小学生のころは性的違和を感じていなかったと思っていたが、妹が習うバレエ教室に「なぜ私はあそこにいられない?」といら立ち、石を投げた記憶がよみがえった。
違和感を自覚したのは二十代初め。東京・渋谷駅で見かけたすてきな女性に、恋心ではなく「あのようになりたい」というイメージが浮かんだ。その後は思い悩むばかり。「性同一性障害」の呼称を「精神疾患として望まない手術に追い込むこともある」と批判し、自らもその立場をとらないが、二十代当時はその概念すらなかった。大学の図書館で心理学の本を読みあさり、「自分は何なのか」の答えを求め続けた。
三十歳で異性装を経験し、実体化したもう一人の自分に「順子」と名付けた。本格的に開き直れたのは一九九〇年代のことだ。
■メディアで発言
性的マイノリティーへの理解が進み、求めに応じて当事者としてテレビ、雑誌などで発言を始めた。自説確立への研究を進め、九八年には身体の性、心の性、社会的性役割などの不一致とみることで理解しやすくする「性の多層構造論」を提唱。二〇〇〇年以降、ありのままの自分で大学の教壇に立つようになった。
人口百四十六万人の川崎市で、性的マイノリティー(少数者)は5%なら七万人、性同一性障害は一万人に一人なら百四十人に上る。市は一〇年に性同一性障害の相談窓口を全国で初めて開設。連続講座は、自身をこの道の研究に導いた舞踊評論家の石井達朗さん、少女漫画の異性装に詳しい専修大の押山美知子助教ら「異性装ではベスト、高レベルな講師陣」という。
「川崎ほどの規模なら、さらにマイノリティーが集える場もほしい」。そう注文をつけながらも「当事者として、また情報を持つ研究者として地元の施策を支援していきたい」と語る。
(山本哲正)
◆私の履歴書
1955年 埼玉県で生まれる
95年 トランスジェンダーとして社会活動を始める
98年 性の多層構造論を提唱する
2000年 中央大文学部で女性教員として教壇に
05年 お茶の水女子大で「トランスジェンダー論」の講義を担当
08年 女装を軸に日本文化史をひもとく「女装と日本人」(講談社新書)を発表
『東京新聞』2015年1月19日(神奈川版)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20150119/CK2015011902000122.html
2015-01-19 13:30
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コメント(6)
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順子さん、このお洋服とっても似合っています。ウエストがほっそりしていますね。とてもお若く見えますしとても綺麗です。
by マミー (2015-01-22 04:56)
マミーさん、いらっしゃいま~せ。
ありがとうございます。うれしいです。
この手の柄、錯視効果(目の錯覚を招く)があるので、好きです。
by 三橋順子 (2015-01-22 12:56)
初めましてこんにちは。ブログ拝見させていただきました。
食べ物の写真が多くてお腹がすいてきました。
素敵なお洋服ですね!
by スヌーピー (2015-01-23 13:43)
お~、美しくも凛々しいお姿、我らの世代の旗手、フレ~フレ~ヽ(^o^)丿ヽ(^o^)丿
by kimu (2015-01-23 20:55)
スヌーピーさん、いらっしゃいま~せ。
ありがとうございます。
食べ物の画像が多いのは、食生活の自己管理の意味もあります。
by 三橋順子 (2015-01-24 14:43)
kimuさん、いらっしゃいま~せ。
同世代の方に応援してもらえるのは、とてもうれしいです。
頑張らなくちゃ、という気になります。
by 三橋順子 (2015-01-24 14:44)