北原童夢さんの評論集 [現代の性(一般)]
11月7日(木)
キャンディ・ミルキィ師が、官能作家の睦月影郎先生の「東久邇宮文化褒賞」受賞記念パーティ(11月3日)で、北原童夢さんに会ったそうな。
私は、1980年代末から1990年代前半にかけて、北原童夢さんの評論でセクシュアリティについて、ずいぶん勉強させてもらった。
『フェティシズムの修辞学』(青弓社、1989年)
『ボンデージ進化論』 (青弓社、1992年)
『欲望するハイヒールーフェティシズムの系譜ー』(三一書房、1994年)
とりわけ、フェティシズムについての知識の多くは、この時期、北原さんと秋田昌美さんの本で得た。
今、大学の講義で、フェティシズムに言及できるのも、そのお陰だ。
キャンディさん、うらやましい…。
私も北原さんにお会いして、ここに書いたような御礼を言いたかった。
やっぱり、世界(交際範囲)が狭いと駄目だなぁ。
80年代末から90年代前半の時期(バブル全盛期からアフターバブル期)は、フェティシズムやボンデージなど、多様な性現象への関心が高まった時期だった。
北原さんの第一評論集『フェティシズムの修辞学』のカバーに揚げられたものだけでも、足フェチ、髪フェチ、異装、拷問、アメリカン・コミック、ボンデージ、人形愛、ラバー&レザー、刺青、あぶな絵。
その関心の多彩さがわかると思う。
その中には、異性装(女装・男装)やシーメール(She-male)への関心も含まれていた。
そういう時代に、知識を学び、現場を体験できたことはラッキーだったと思う。
しかし、そうした流れは、1990年後半以降の「平成大不況期」になると、たちまちしぼんでしまった。
そして、2000年代の日本の「性」は、どんどん「まじめ」になり、90年代の妖しい豊穣さ、「遊び」感覚を失っていった。
今、Amazonで調べたら、上記の3冊の評論集、全部、絶版だった。
時の流れをしみじみ感じる・・・。
キャンディ・ミルキィ師が、官能作家の睦月影郎先生の「東久邇宮文化褒賞」受賞記念パーティ(11月3日)で、北原童夢さんに会ったそうな。
私は、1980年代末から1990年代前半にかけて、北原童夢さんの評論でセクシュアリティについて、ずいぶん勉強させてもらった。
『フェティシズムの修辞学』(青弓社、1989年)
『ボンデージ進化論』 (青弓社、1992年)
『欲望するハイヒールーフェティシズムの系譜ー』(三一書房、1994年)
とりわけ、フェティシズムについての知識の多くは、この時期、北原さんと秋田昌美さんの本で得た。
今、大学の講義で、フェティシズムに言及できるのも、そのお陰だ。
キャンディさん、うらやましい…。
私も北原さんにお会いして、ここに書いたような御礼を言いたかった。
やっぱり、世界(交際範囲)が狭いと駄目だなぁ。
80年代末から90年代前半の時期(バブル全盛期からアフターバブル期)は、フェティシズムやボンデージなど、多様な性現象への関心が高まった時期だった。
北原さんの第一評論集『フェティシズムの修辞学』のカバーに揚げられたものだけでも、足フェチ、髪フェチ、異装、拷問、アメリカン・コミック、ボンデージ、人形愛、ラバー&レザー、刺青、あぶな絵。
その関心の多彩さがわかると思う。
その中には、異性装(女装・男装)やシーメール(She-male)への関心も含まれていた。
そういう時代に、知識を学び、現場を体験できたことはラッキーだったと思う。
しかし、そうした流れは、1990年後半以降の「平成大不況期」になると、たちまちしぼんでしまった。
そして、2000年代の日本の「性」は、どんどん「まじめ」になり、90年代の妖しい豊穣さ、「遊び」感覚を失っていった。
今、Amazonで調べたら、上記の3冊の評論集、全部、絶版だった。
時の流れをしみじみ感じる・・・。
2014-11-07 22:12
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