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11月2日(土)現代風俗研究会(東京の会)第17期第1回 [お勉強(研究会)]

11月2日(土)  曇り  曇りときどき小雨  横浜  16.2度   湿度85%(15時)
11時、起床。
朝食は、洋ナシデニッシュとコーヒー。
シャワーを浴びて、髪にあんこを入れて、頭頂部で結んで、シュシュを巻く。
化粧と身支度。
黒地に白で唐草模様のチュニック(長袖)、裾にラインストーンが入った黒のレギンズ(6分)、黒網のストッキング、黒のショートブーツ、黒のトートバッグ、黒のカシミアのショール。
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13時40分、家を出る。
東急東横線・みなとみらい線を乗り継いで、横浜へ。
弁天町の関東学院大学(関内メディアセンター)で開催される「現代風俗研究会・東京の会」第17期第1回例会に参加。
ところが、みなとみらい線の日本大通り駅から地上に出たところで、突発性方向オンチを発症。
何度も来ているはずなのに、逆方向に歩いてしまう。
2ブロックほど歩いたところで「違う!」と気づき、Uターン。
10分近くロスしてしまい、定刻の15時、ぎりぎりに到着。
今回から第17期となり、新テーマは「音楽をめぐる風俗」。
純粋に音楽だけでなく、社交ダンスやアイドルファン、オーディオ・マニアなど音楽に関連するさまざまな風俗を取り上げていく予定。
第1回の報告は、細川周平氏(国際日本文化研究センター教授:音楽学)による「戦前のルンバ受容」。

ルンバは1920年代に国際的な人気を得たアフロキューバ音楽「ソン」の海外での俗称(アメリカ人が営業的に付けた名称)。
ヒット曲「南京豆売り」(1930)が1931年(昭和6)にアメリカから伝えられ、日本でも親しまれた。
1937年にはキューバの五重奏団が東京溜池のダンスホール「フロリダ」に出演して、それなりの反響を呼んだ。
しかし、どうも日本人のリズム感には合わなかったようで、ダンスホールで演奏されても、踊る人が少なかったらしい。
浸透度ではタンゴに遠く及ばなかった。
それでも、服部良一をはじめとする作曲家による「ルンバ歌謡」が戦前だけで10数曲、記録されていて、さらに日中戦争~太平洋戦争の戦中期の洋楽抑圧期にはルンバのリズムを取り入れて民謡を編曲した「ルンバ民謡」も録音されている。

報告では、実際に音源を聞かせていただき、とてもおもしろかった。
初期(1932~34)の「ルンバ歌謡」は、ルンバのリズムと芸者出身の歌手の歌謡がまったくマッチしてなく、別々の音楽を同時に演奏しているだけという気がする。
それが、1938~42年の「ルンバ民謡」になると、ルンバのリズムがちゃんと編曲され民謡に取り込まれている。
わずか10年足らずで、見事に融け込んでいて、日本人の外来文化受容の巧みさ・才能を思わせる。
昭和戦前期における外来文化の受容のひとつのケースとしてとても興味深かった。

ちなみに「ルンバ民謡」の編曲を多く手がけたのは。「幻の伝説的編曲家」と言われる杉井幸一という人。
最近、再評価されつつあるようだが、伝記など詳しくはわかっていないらしい。

懇親会は、中華街へ。
3連休初日の夜ということで、ずいぶん賑わっている。
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市場通りの「酔楼」いう店。
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飲み放題のコース料理で2980円なので、味はそこそこ(けっして、まずくはない)。
21時、お開き。
帰路は、JR石川町駅まで歩いて、横浜で東急東横線に乗り換え。
22時、帰宅。
軽い酔いと疲労で早寝。
就寝、1時半。

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