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藤原道長自筆の日記「御堂関白記」がユネスコ「記憶遺産」に [お仕事(古代史)]

6月19日(水)

京都の「陽明文庫」(藤原道長の子孫である近衛家の文庫)に所蔵されている藤原道長自筆の日記「御堂関白記」(国宝)が、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の記憶遺産に登録されることが決定した。
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陽明文庫の文庫長の名和先生の喜びはさぞやと思う。

3年前に、まったく無名の炭鉱記録画家の作品(山本作兵衛氏の筑豊の炭鉱画)に先を越された時には、国際日本文化研究センター「日記の総合的研究」共同研究会のメンバーはちょっとショックだった(ユネスコの価値基準がわからないという意味で)。
今回は、日本政府のイチ押しだから、まず大丈夫と思っていたが、よかった、よかった。

道長自筆の「御堂関白記」は、一条天皇の長徳4年(998)から後一条天皇の治安元年(1021)年のものまで断続的に14巻(1巻は半年分)残っている。
著名な人物の自筆の日記としては世界最古であり、当然の評価だと思う。
(ちなみに、無名人物の日記としては、正倉院文書の中に奈良時代の天平18年=746のものがある)

私が最初に「御堂関白記」の自筆本を陽明文庫で見せていただいたのは、大学院時代に山中裕先生の「『御堂関白記』講読会」の巡見で連れて行っていただいた時だった.
もう30年も前のことだが、その時の文庫長も名和先生だった。
その後も何度か機会があり、3年前にも藤原道長研究の第一人者である倉本一宏さん(国際日本文化研究センター教授)が主宰する「日記の総合的研究」共同研究会の巡見で、見せていただいた。
この時は、名和文庫長が裏書を見るため展示ケースを開けて巻子を裏返してくださり、その様子を傍で見ていて、とてもドキドキした。
国宝中の国宝をガラス越でなく目の当たりにする機会なんてめったにあることではなく感激だったが、同時に咳やくしゃみはもちろん、息すらできない感じで、かなり心臓に悪い。
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文字の大きさや行詰め、変体漢文の文法や漢字の使い方、抹消や訂正の様子がリアルにわかるのも自筆本だからこそで、そこから道長の性格や日記を書いた時の心情などがうかがえる。
さらに、道長という人は、『小右記』の藤原実資や『権記』の藤原行成のように毎日長文の細かな日記を書くような性格の人ではなく、鷹揚と言うよりかなりずぼらな人であり、そういう性格の人が政権担当者(内覧・左大臣)としての職務を自覚して、かなり頑張って日記を書いていた(だから、初期においては、しばしば記述が中絶する)ことが伝わってくる。
本来、いい加減な三日坊主的性格の私が、がんばって日記を書き続けているのと、どこか通じるものがあり、親近感を覚えてしまう。
カルチャーセンターでも「御堂関白記」自筆本を読む講座を5年間やったし、私としても思い入れはけっこうある。

名和さんがおっしゃっているように、人類の文化遺産としての価値をよく理解して、次の世代にしっかり受け継いでいかなければならないと改めて思う。
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「御堂関白記」記憶遺産に決定 陽明文庫長が喜び

歴史的に貴重な文書や絵画の保存を目指す国連教育科学文化機関(ユネスコ)の記憶遺産に、陽明文庫(京都市右京区)所蔵の平安貴族藤原道長の日記「御堂関白記」(国宝)と、江戸時代の鎖国直前の日欧交渉を伝える、仙台市の「慶長遣欧使節関係資料」(同)の登録が19日決まった。記者会見した陽明文庫の名和修文庫長(75)は、「わが国の文化の素晴らしさを世界の人に知ってもらえる」と世界的な史料として認め
られた喜びを語った。

御堂関白記は、藤原氏による摂関政治の最盛期を築いた藤原道長(966~1027年)の自筆の日記。全36巻のうち、自筆は14巻が近衛家が設立した陽明文庫に残る。現存する自筆日記としては最古で、古い暦の一種「具注暦(ぐちゅうれき)」の余白に書き込まれている。現存分は998~1021年のもので、道長33歳から56歳までの記述がある。後世の写本12巻と合わせて1951年に国宝となった。

ユネスコは「世界最古の自筆日記であり、重要な歴史的人物の個人的記録」と指摘。「王朝文化が頂点に達した時代を活写した極めて重要な文書」とした。名和文庫長は「今後世界各国から注目を浴びる。この先千年伝え残すのがわれわれに課された義務だ」と話した。今回登録された記憶遺産は、日本の2件を含め計54件。
『京都新聞』2013年6月19日(水)20時39分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130619-00000000-kyt-l26
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焼失の危機、何度も乗り越え 御堂関白記、記憶遺産に
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写真:世界記憶遺産の登録が決まった藤原道長の日記「御堂関白記」を手にする陽明文庫の名和修文庫長
=京都市右京区、戸村登撮影

【筒井次郎、大村治郎】この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば――。権勢を誇った和歌で知られる平安貴族、藤原道長(966~1027)の日記「御堂関白記(みどうかんぱくき)」(国宝)が、世界記憶遺産に登録されることになった。朗報に、関係者らは喜びの声を上げた。

「千年間守られた日本の文化が、世界に知ってもらえた」。御堂関白記を収蔵する「陽明(ようめい)文庫」=京都市右京区=の文庫長、名和(なわ)修さん(75)は喜んだ。

平安貴族の藤原氏とその直系の五摂家筆頭・近衛家の宝物十数万点を管理する歴史資料館として、首相を務めた近衛文麿が1938年に設立した。

文麿の親族と縁があった表具師の父が、文庫設立時から古文書の修理などを担当。名和さんは同志社大の夜間部に入った56年、文庫に就職。「文庫のできた年に生まれ、文庫のために生きてきた」

関白記を収めた書庫は鉄筋コンクリート高床土蔵造り。天井や壁面はすべて桐(きり)材だ。「文化財は保存するだけでは意味がない。文化的な貢献が大事だ」と年間600~700人の見学者を受け入れ、博物館での展示にも協力してきた。

関白記はかつて焼失の危機があった。15世紀の応仁の乱で近衛家の邸宅は乱入した軍勢によって焼き払われたが、日記は別の場所に移され無事だった。17世紀の大火では書庫に延焼。数人が大急ぎで中に入って日記を運び出したという。

「今までの人々の奮迅の働きがなければ、今日の姿はない。いつまでも伝え残そうとする心が日本の文化。それが認められたのが極めて喜ばしい」

関白記を東大の学生時代から研究し、全現代語訳を出した国際日本文化研究センター(京都市西京区)の倉本一宏教授(55)は指摘する。「欧米にも中国にもこの時期の日記は残っていない。権力者の自筆の日記が残っていることは奇跡だ」

関白記は古写本も含め、道長が33~56歳のころ、998~1021年の公私にわたる出来事を記している。「権力を持っているのに小心者。感激家でよく泣いた。自分にしっぽをふる人間には優しいが、敵対する者には冷たかった。田中角栄さんのようなタイプだったんでしょう」

『朝日新聞』2013年6月19日8時22分
http://www.asahi.com/culture/update/0619/OSK201306180204.html
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真樹猫ちゃん

お、これはめでたい受賞ですにゃん。関連の人としてあのお二人の翁、大宅世継と夏山繁樹のご両人にもお知らせしたいもにょです。ここ五百年ほど会っておりみゃせぬが。
by 真樹猫ちゃん (2013-06-23 14:01) 

三橋順子

真樹大姉様、いらっしゃいま~せ。

>大宅世継と夏山繁樹
私がお会いした時もずいぶんご高齢でしたが・・・。
よろしくお伝えくださりませ。
by 三橋順子 (2013-06-24 03:06) 

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