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11月17日(土)吉田のうどん [日常(料理・食べ物)]

11月17日(土)

今日のお昼は、「吉田のうどん」(丸新製麺)。
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お汁は、長ネギとしめじを入れて煮て、鶏肉、油あげ、ほうれん草をトッピング。

「吉田のうどん」は、米があまりとれない山梨県郡内地方(富士吉田市や都留市を中心とした桂川流域)で、主食として食べられてきた極太の腰が強いうどん。
茹でるのに15~18分もかかり、実に歯ごたえが有って腹持ちがいい。

都留文科大学の帰り道に大月駅の売店で売っているのを買ってくるのだが、3人前(汁付き)540円とお値段も手ごろ。

東京をはじめ都会の人は、農業や農作物に縁遠いので、「米がとれない所」というのがイメージできない。

米作り(水田稲作農耕)には大量の水が必要だ。
しかし、土木技術や灌漑技術が未発達な前近代には、平地でも水利が悪く、水田が作れないところがずいぶんあった。
関東近辺だと、東京・埼玉の西部に広がる武蔵野台地、埼玉から群馬にかけての関東山地の東山麓、あるいは山梨の郡内地域などがそうした地域だ。

郡内地方の場合、富士山の湧水が豊富で水利は悪くないのだが、土地が溶岩の基盤に火山灰質の土壌が乗っている形で、水持ちが極めて悪い。

こうした地域では、稲に代わって小麦が主産物になる。
そして、小麦を粉にして加工して食べる粉食文化が発達する。
山梨県の「ほうとう」や群馬県・埼玉県西部の「おっきりこみ」などがそれで、その中で一番上等なのが「うどん」ということになる。

さらに、水利も平地も乏しいような山間地になると、稲はもちろん小麦もロクにできなくなる。
そうした山間地では主産物が蕎麦になる。
と言えば聞こえはいいが、つまり蕎麦しかとれないという土地柄。
私の郷里の埼玉県秩父地方や東京の奥多摩町・檜原村、山梨県だと丹波山村などが相当する。

山間の傾斜地での農耕がやっかいなのは、養分のある土壌が雨が降ると下方へ流れて落ちてしまうことだ。
だから、傾斜地を耕す時は、必ず低い方から高い方へ向かって土を掻き上げるようにしていく(「土上げ」などと言う)。
言うのは簡単だが、すごい重労働だ。

現代人に、そうした山間地の農業の大変さを語っても理解不能だと思う。
そもそも山間急傾斜地での農耕文化は過疎化や高齢化で急速に滅びつつある。
それを子供の頃とは言え、間近に見聞きできたことは、研究者として幸せだったとつくづく思う。

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コメント 6

あまがえる

>一番上等なのが「うどん」
手間がかかるからでしょうか?寝かせる時間も長いと聞きますし…

ちょうどこの10月に、行楽渋滞を避けて青梅街道から山梨に抜けてぶどう狩りに行ったおり、丹波山村の近くを通りながら「ここの丹波川が多摩川の源流で、元の名前でもある」と父から教わりました。奥多摩周辺は本当に山の深い場所です。秩父に連なっているわけですから当然なんですが、東京にこんな山奥がある事を知らない人は多いですよね。

うどんが名物の場所が米所でない事は、一昔前では当たりでしたが…最近の人はピンと来ないかもしれませんね〜
ちなみに私も、小金井と小平の境に住んでいた頃小平周辺にうどん屋が多いと気づき、住んで初めて水利の悪い地域だったことを知りました。台地の上はやはり河川の流域とは違いますね…
by あまがえる (2012-11-17 17:14) 

京子

信州の山間地では「辛み大根」が取れます。
そんな作物しかできない石ころだらけに斜面の畑でとれた
大根はとても辛みが強いのですが、(ネズミの形に似た大根)
その大根のしぼり汁に味噌やゴマを食えて釜揚げうどんを
そのタレに付けてたべる「おしぼりうどん」があります。
坂城から戸倉あたりだけにあるローカルメニューです。
一度食べに来てください。

by 京子 (2012-11-17 20:55) 

deri

こんばんわ、お久しぶりです。
私今年50になりましたが、その昔(可愛らしい?嘘です)
高校生のころ有る家庭科の先生に、言われたことが今もかなり記憶に残っています。それは、
”旦那さんの出身地がそばの名産地はなるべくお嫁に行かないほうが良い”と。
当時早い話お米が出来ないから苦労するよ。ということなんですね。
このことは今でもこと有るごとに思い出します。
by deri (2012-11-19 01:24) 

三橋順子

あまがえるさん、いらっしゃいま~せ。

>手間がかかるからでしょうか?
そうです。手間がかかる=上等=祝いごとやお客さんが来たときの食べ物ということです。

>小平周辺にうどん屋が多いと気づき、住んで初めて水利の悪い地域だったことを知りました。

おっしゃる通りです。私の博物館学の先生に加藤有次教授(2003年逝去)という方がいて、小平市在住で別名「うどん先生」(武蔵野手打うどん保存普及会会長)と呼ばれていました。
武蔵野台地のうどんのことは、その先生によく聞かされました。

by 三橋順子 (2012-11-19 02:59) 

三橋順子

京子さん、いらっしゃいま~せ。
大根はかなりの山間・痩せ地でも取れます。
ですから米や蕎麦の増量材に使いました。

「おしぼりうどん」ですか、食べてみたいなぁ。
辛いの好きなので・・・。
今年こそ、上田に行こうと思いながら、もう11月半ばになってしまいました。
by 三橋順子 (2012-11-19 03:03) 

三橋順子

deriさん、いらっしゃいま~せ。

>”旦那さんの出身地がそばの名産地はなるべくお嫁に行かないほうが良い”と。

ああそれ至言です。いまより流通事情が悪い時代(1960年代以前)は、ほんとうに思うように米が食べられない地域って有りましたから。
日常食が、蕎麦、蕎麦がき、うどん、おっきりこみ、すいとんの世界です。
お正月のお餅も、粟餅、きび餅、栃餅で、餅米だけの白いお餅はありません。
私のようにたまに食べる分には豊かな食文化と言えなくもないですが、毎日食事を作る「嫁」にとっては、それはもう大変だったと思います。

by 三橋順子 (2012-11-19 03:12) 

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