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9月24日(月)今日の古代史(長岡遷都) [お仕事(古代史)]

9月24日(月)  晴れのち曇り  東京 28.1度  湿度 52%(15時)

7時過ぎ、起床。

シャワーを浴びて、髪にあんこを入れて頭頂部で結びシュシュを巻く。

化粧と身支度。
青・白・黒の不思議な柄のロングチュニック(2分袖)、黒のレギンス(3分)、黒のサンダル、黒のトートバッグ。

9時前、家を出る。
今日は晴れて日差しはあるが、空気はさわやかで、駅まで15分歩いてもほとんど汗をかかない。

東急東横線で渋谷に出て、京王井の頭線に乗り換え、9時47分発の急行に乗る。

追加プリントを印刷。

10時半、産経学園(吉祥寺)で「史料でたどる奈良時代政治史 」の講義。

延暦3年(784)の長岡遷都について資料の講読と解説。
桓武天皇は、延暦3年11月11日、まだ建設途上の山背国長岡宮に移幸し、ここに実質的に奈良時代は終わった。

20日には新宮の地主神となる賀茂上下、松尾、乙訓の社に勅使が立ち神階を加え、社殿を収蔵する。
24日には母親(故内大臣藤原良継の室阿倍古奈美)の喪に服していた皇后藤原乙牟漏と、中宮高野新笠(天皇の母)など後宮の女性たちも長岡に移る。

ちなみに、皇后藤原乙牟漏が氏社である春日神社の神を長岡宮の北西郊外に勧請したのが大原野神社で、以後、藤原氏の皇后が奉祀する神社になる。

12月2日には、中納言藤原種継以下、造宮に功労があった官人たちに位階が与えられた。

それにしても、遷都予定地の視察が5月16日、遷都決定が6月10日、準備期間6か月での遷都はあまりにあわただしい。
前後の例をみると、平城遷都は2年2カ月、同じ桓武天皇による平安遷都は1年9カ月かかっている。

このよく言えばすばやく迅速な、悪く言えばあわただしくまるで逃げるような遷都にこそ、平城棄都・長岡遷都の本質がある。

そこらへんの整理は次回に

12時、終了。
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