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トランスジェンダーをめぐる日本社会の状況認識 [現代の性(性別越境・性別移行)]

7月31日(木)
昨日、多摩市民講座の後、女性センターや教育委員会の方に、こんな話をした。

日本では(かなり丁寧に調べても)トランスジェンダーであるというだけで殺されるヘイトクライム殺人の事例が確認できない。
あくまでも新聞報道をベースにした調査なので皆無とは言えないが、きわめて稀なのは間違いない。

トランスジェンダーであるというだけで、年に数~10人レベルで殺される中南米諸国(ブラジル、メキシコetc)やトルコ、インド、あるいはアメリカなどと比べれば、日本のトランスジェンダーを取り巻く社会状況ははるかに良いと言える。

もちろん、それは比較の問題であって、殺されなければそれでいいという訳ではない。
日本でもトランスジェンダーに対する「いじめ」や就労差別など、解決しなければならない問題は多く、そうした点を中心にトランスジェンダーの人権尊重を社会に訴えていくことは必要だ。

しかし、日常の生活の中で、理不尽な暴力によって命を奪われる心配が(ほとんど)ないということは、とても大事なことだ。
あるいは、日本ではトランスジェンダーだからという理由で、商店でもレストランでも居酒屋でも入店を拒まれることが(ほとんど)ないが、諸外国ではその種の社会的排除は稀ではない。
そうした日本社会の状況は、もっと肯定的に評価されていいと思う。

トランスジェンダーを取り巻く社会状況という点で、日本が欧米諸国に比べて劣悪である、後進的であるという認識や、欧米諸国の有り様がトランスジェンダーにとっての理想形であるかのような主張は、社会の一面しか見ていないもので、はっきり言って間違っている。

たとえば、公的な性別の変更にほとんど何の要件もつけないアルゼンチン・モデルを「すばらしい!」と礼賛する運動家がいる。
しかし、ヘイトクライムが続発するアルゼンチン社会が日本社会より住みやすいとは、トランスジェンダーである私にはとても思えない。

欧米と日本とでは、社会の成り立ちは同じではない。
同性愛や異性装に対する宗教規範の存在やたどってきた歴史がかなり異なっている。
社会基盤が異なるのに同じ戦略で立ち向かっても、良い結果は望めない。
単純な日本否定、欧米模倣的な主張をいくら繰り返したところで、日本社会の根幹部分には届かないし、むしろ反発を買うだけで、さらなる状況改善にはつながらない。

今日の講座のように、日本社会の現状をしっかり踏まえ、その良い部分を生かしながら、その上にトランスジェンダーの人権尊重を求めていく地道な努力を積み重ねるしか状況を改善していく道はないと思う。

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